柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 青島氏が亡くなった。 調べてみると、1932年生まれと言うから、15歳年上である。 我々団塊の世代にとって、何かに付け印象に残る人だった。 特に、直木賞受賞作『人間万事、塞翁が丙午』は、印象に残る。 新潟に来た翌年の受賞作だ。 柏崎マイコンスクールの仕事も順調とは言えず、昼は、ほとんど来ない生徒を待って暇を託ち、午後遅くなれば、小学生相手の塾の講師、夕方からは高校生の家庭教師、それが終わればスナックの厨房で働く(午前中には仕込みをするのだが)。 着たきりスズメで柏崎に着たので、住む所も侭ならず、ましてや本を買うこともできない。 そんな時に、読んだのが『人間万事、塞翁が丙午』だ。 鬱屈した気持ちを慰めてくれる笑いがあった。 TVの番組など関心が無かったし、見る暇もなかった。 そんなことで、この小説は、青島氏を見直す好い機会でもあった。 そう、ある意味、その作品の笑いの効用に感謝さえしているのだ。

 振り返ってみると、当時、諧謔というのか、ブラックユーモアとでもいうのか、そんな笑いが流行していた。 余り読まなかったユーモア小説を、と言っても、せいぜい井上ひさしの小説ぐらいだが、よく読んだものこの時期だ。 そうそう、井上ひさしの『モッキンポット師の後始末』を読んだのも、家庭の事情で広島に帰り、生命保険、ジャノメのセールス、百科事典緒の営業をしていた時期だ。 人間、塞いだ時には、笑いを求めるようである。

 さて、今の時代は、どうだろう。 お笑い番組が全盛かに見える。 しかし、どうも疑問を持つのだ。 「諧謔」などという高尚なセンスなど微塵も感じない。 何かしら、底の浅い「哂い」のみ。 どこか嘲笑に似た響きがあり、臭いがする。 退廃の時代の「ワライ」なのだろうか。

 青島氏、逝去のニュースを聞き、昔の「笑い」を想いうかべた。 「ああ、人生、人間万事、塞翁が丁亥(ひのとい)」と。

 青島幸雄氏の御冥福をお祈りします。

(12月20日)『柏崎通信』423号から転載

 


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