柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 江戸後期における学塾、特に私塾の在り方は実に興味深い。 前回の「久啓舎」の
例を見ると、師匠である古賀謹一郎は、幕臣であり、蕃所調所頭取の職にあり、相当
に多忙であるため、「久啓舎」に顔を出すことは稀であったようだ。 そこで、塾生
の学習は、自習あるいは輪読が中心だった。 ただ、塾生と言っても年齢は少年から
熟年まであり、中にはその分野で一家を成す塾生もいたようで、そうした塾生を中心
にセミナー(ゼミナールと言った方が雰囲気に合うように思えるが)方式で勉強して
いたのではないだろうか。

 余談だが、大学時代、(学習院が特殊なのかもしれないが)、学塾形式の痕跡のよ
うなものが残っていた。 正規の学科ではないのだが、経済研究会では、教官は参加
せず、学生が自主的に輪読とセミナーを実施していた。 時には、セミナーの合宿が
あり、新潟県の妙高高原にあるセミナーハウスで一週間の詰め込みセミナーをした経
験がある。

 要するに、「久啓舎」は塾生の自主運営だったのではないだろうか。 ところが、
河井継之助が江戸遊学で最初に入塾した斉藤拙堂の塾では、少々様相が異なっていた
ようだ。 例えば、こんなエピソードがある。 斉藤拙堂と勝海舟が激論したことが
あるそうだ。 さて、何についてだろう。 この激論を傍で見ていた塾生の中に、小
林虎三郎と吉田松陰が居たそうだ。 両者は斎藤塾の「二虎」と言われたそうだか
ら、もしかすると、彼らだけ陪席許されたのかもしれない。 この様子をイメージす
ると、「久啓舎」とは異なるようだ。 しかし、斉藤拙堂も元は昌平黌の教官であり
幕臣であったが、後には、津の藤堂藩の藩儒として藩校「有造館」督学(教頭に当た
るのだろうか)になった。

 当時の著名な学者には大抵パトロンが居た。 単なるパトロンとの関係(パトロ
ネージ)というより、多くが雄藩の藩儒として出仕している場合が多い。 その上
で、尚かつ私塾も開いている。 すなわち、大抵「二束のわらじ」なのだ。 さて、
こうした状況を考えると、著名な私塾と言うものは、一種の全寮制の大学院と内弟子
制度の融合したものとも思えるのだ。 イメージを飛躍させると、西欧の大学の場面
が浮んでくる。 例えば、ドイツでは、教官の移動と供に学生も移動したというか
ら、もしかすると、教育の在り方を追求していくと、一種の塾のようなものになるの
かもしれない。

 ところで、「セミナー」あるいは「ゼミナール」という教育の形式は、19世紀後
半にドイツで生まれた方式だ。 それが、英国や米国の大学に広がった。 因みに、
「Seminar」の英語の語源は、「Seminary」神学校に由来するのではなく、先に書い
た通り、ドイツの「指導教授の下で特殊研究をする大学の」研究グループ、すなわち
スペルも同じ「ゼミナール」である。

 取りとめもなく書いてきたが、江戸後期の高等教育には、二重構造があるのではな
いかと考えるのだ。 「建前と本音」というか「公式と非公式」が、幕藩体制の公的
最高学府である昌平黌でさえ、不可避な状況に在ったのではないだろうか。 その現
われが、松平定信の「寛政異学の禁」ではないかと思われる。 それを提言したの
が、「寛政の三博士」、すなわち古賀精理・尾藤二洲・柴野栗山だが、それぞれに朱
子学を至上のものとしたにしては、この三博士、柴野栗山を除けば、その後が余りに
も意外である。 古賀精理は佐賀の弘道間を創設し、尾藤二洲は叔父として、頼山陽
に多大な影響を与えるのだ。 この両者を単純に朱子学者ということが出来るだろう
か。 只、いずれにしても、塾による私的学統が継承されて明治維新の背景になっ
た、あるいは原動力になったということが出来るのではないだろうか。

 最近では、塾と言えば所謂「学習塾」のことだ。 その「学習塾」でさえ、子供た
ちいわせれば、学校の教師に対するより、余程親近感を持つという。 まあ、それは
別の次元の事として、過っての「塾」の在り方を見直す必要はないだろうか。 松下
政経塾は措くとして、「塾」の必要性を考える人が居ない訳ではない。 柏崎の創風
システムの石塚氏は、そういう塾が創りたいと過日私に相談された。 それが、「創
風塾」なのだが、様々な事情から頓挫してしまった。 実に残念である。 しかし、
恐らく、同様のことを考える人は多いだろう。 今、新たなる断絶の時代。 今こ
そ、「塾」の在り方を、見直すべきではないだろうか。

Best regards
梶谷恭巨

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歴史研究、読書
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