柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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承前。

「雑事」(10)

剣の山の鑑別会 文久元年八月廿六日、書画の展覧会を妙行寺に於て開かれた。当時
県下中の風流雅人が集まって来たが、彼の石黒男爵抔も列席された。会が終って後、
星野藤兵衛の邸宅剣野山に於て、観月会の催しがあったが、此際千代、若葉、松吉、
八ッ橋などと云う妓が絃鼓を弄して杯盤の間を賑わしたそうである。其時間斎坊と云
う人が兼て用意の絖地(ヌイヂ)に集りし男女廿有余人を描いたが、画家嵐渓が夫れ
に山色月光草樹を添えた。夫れが松の山の田邊家に愛蔵されてある。

 最も此嵐渓と云う画家は三條の人で、柏崎に滞留中は戯れて遊女の半襟などに画を
書いた事があるそうで、今でも其遺物が沢山残って居るそうである。

(註1)妙行寺: 「旅ナビ柏崎」というサイトに、次の様な紹介文がある。

 文永11年(1374)の創立で、慶長2年(1597)地震のため翌年「法修山妙行寺」と「海
岸山大乗寺」を合併して「海岸山妙行寺」となり番神から現在の西本へ移転しまし
た。創立となった文永11年、佐渡への流罪を許された日蓮上人は寺泊へ向かう途中、
暴風にあい番神の地へ着岸しました。ここで一夜を過ごした日蓮上人の教えにより、
真言宗大乗寺の住職慈福法師は、日蓮宗に改宗し、日心の法号を与えられました。慶
応4年(1868)の戊辰戦争では、本堂が官軍の本陣となり、本堂内には現在でも官軍兵
士の「らく書き」が残っています。

 多少コメントを付け加えると、日蓮宗の人々は、柏崎を聖地の一つと考えていると
聞いたことがある。特に、創価学会では、民俗学者でもある初代会長・牧口常三郎が
柏崎市荒浜の出身であることから、「牧口記念館」を設立している。因みに、牧口常
三郎は、札幌農学校出身で、新渡戸稲造の門下であり、民俗学者・柳田國男と共に、
「郷土会」を設立した創始者のひとりである。著者として有名なのは、『人生地理
学』がある。この『人生地理学』が、新渡戸稲造などに、広く読み認められ、北海道
から上京。八王子の小学校校長の傍ら、困窮する農民の為、「創価教育学会」を設立
し、その子弟の教育に尽力した。宗教的問題から、牧口常三郎が何かしら世に出ない
事は、残念である。

(註2)石黒男爵: 石黒忠悳の事。石黒忠悳に関しては、『柏崎通信』に何度か書
いたの省略するが(ブログにも掲載)、管見すれば、私立医科大学の創始者でもある
長谷川泰と共に、幕末・明治における我国の医療史におけるキーパーソンの一人と考
えるのだ。また、子息・忠篤は、先に書いた「郷土会」の創設者のひとりであり、
「農政の神様」と称された近代農業の改革者のひとりである。また、以前に紹介した
が、芹沢光治良の『人間の運命』の黒田課長のモデルである。

(註3)星野藤兵衛の邸宅剣野山: 現在の剣野小学校とその裏山にあった星野藤兵
衛の別邸。通称、「御殿山」と云う。星野藤兵衛については、既に何度か書いている
ので省略する。ただ付け加えると、星野藤兵衛の墓所は、先に出た「妙行寺」にあ
る。

(註4)間斎坊: 不詳。

(註5)絖地: (ヌメヂ)、日本画に使われる絹布。

(註6)嵐渓: 長谷川嵐渓の事。文化11年、三條の会津屋吉右衛門の長男として
生まれ、16歳の時、大槻盤渓に師事、20歳で江戸に出て、春木南湖に南画を学
び、天保4年には、仙台の菅井梅関に師事したが、36歳の時、父吉右衛門が死去、
帰郷して五十嵐川畔に居を構え、嵐渓釣徒と号した。門下に、村山半牧や本間翠峰は
どを輩出した。慶応元年没、墓所は、弥彦線北三条駅に近い真言宗宝塔院にある。

(註7)松之山の田邊家: 現十日市松之山の浦田口の田邊家の事だろう。知らな
かったのだが、明治9年に大荒戸と云うところに石油製油所が建設され、明治30年
には松之山石油株式会社が設立されている。明治38年、石油掘削が開始されると、
温泉が自噴した。これが松之山温泉の初めであろう。長岡の三郷屋温泉と似た経緯が
あるようで面白い。大正9年、松之山水力電気(株)が設立された年、田邊家は「泉
源及び土地等の総てを売却した」という記事があるが、その経緯については書かれて
いない。余談だが、松之山には能舞台があり、息子が狂言を習っていた関係から、野
村万作・萬斎師親子の舞台を見に行ったことがある。もう何年前になるだろうか。

 今回は、最も関心のある事項だった。もっと調べて見たいのだが、どうも時間がか
かりそうである。

Best regards
梶谷恭巨

コメント
無題
枇杷島城は(私の祖母の叔父さん?)の多額の借金で売却したそうです。
【2016/07/10 20:46】 NAME[田邊] WEBLINK[] EDIT[]
無題
枇杷島城は(私の祖母の叔父さん?)の借金で売却したそうです。
【2016/07/10 20:56】 NAME[田邊] WEBLINK[] EDIT[]


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