柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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承前。

 

 今回は、先に紹介した「剣の山観月会」の嵐渓の添え書きしたと云う絵を紹介する。ただ、何とも達筆なので、全文を読むことが出来ない。ご容赦。尚、お分かりの方があれば、ご教授願いたい。因みに、嵐渓は、絵の中央、芸妓の踊に拍子を取っているようだ。

 

 ところで、今回は、柏崎を訪ね登楼したという米国人の事を書く予定だったが、仲々該当する人物に行き当たらない。序に言うと、アーネスト・サトウが、鉢崎(現在の柏崎市米山で船を雇い柏崎の鯨波に着いている。それが、明治13651880)の事だ。この事に関しては、以前『柏崎通信』で紹介している。また、同11年には、イザベラ・バードが、新潟を訪問している。それに依ると、当時新潟には、18人の外国人が居たそうだ。慶応3年(1867)、サトウが英国公使パークスと共に軍艦で新潟に立ち寄っており、その当時の外人数が4名であったというから、新潟が開港されて後の発展ぶりが知れよう。そんな訳で、柏崎に来た米国人も直ぐに判ると思ったのだが、簡単ではなさそうだ。

 

 

Best regards

梶谷恭巨


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