柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 前回と同様、松本良順を調べていた。 良順は、明治になって初代の陸軍軍医総監になった。 実は、一度確認していたのだが、第三代陸軍軍医総監、石黒忠悳(ただのり)は、三島郡片貝村(現在の小千谷市)の出身で、幕府医学所の出身、すなわち松本良順の門人なのだ。 因みに、越後長岡周辺には、医学の近代化に貢献した人物が多いのだ。 例えば、入澤達吉がいる。 入江達吉は、現在の見附市今町の出身(名誉市民になっていたようだ、1871年、慶応六年生)、近代日本内科学を確立した。 13歳の時、東大医学部予科を卒業したと言うから、その天才振りが想像できる。 また、森鴎外との縁も深いようだ(25歳の時、4年間ドイツ留学)。

 石黒忠悳は、その後、貴族院議員・第四代日本赤十字社長を歴任し、子爵に叙せられている。 実は、この石黒忠悳が、大橋図書館の初代館長に就任しているのだ。 それでは、大橋図書館とは何なのだと言う事になる。

 大橋図書館は、長岡出身で、明治の大手出版社「博文館」の創設者大橋佐平が、明治20年、財団法人として設立した。 大橋家の家訓「大橋共全会規約」に、その趣旨があるので紹介しよう。

 「大橋図書館は中興の祖奉公の宿志を遂ぐる為め左の趣旨(設立趣旨)を以って設立たる者なるを以って大橋家の子孫は該財団法人の協議員と共に永遠に其大成を期すべし。・・・・」とあるように、その意気込みが伺われる。 因みに、その趣旨をは、図書・雑誌の出版で成功した博文館の利益を社会に還元する、と言うものであった。 また、設立にかけた資金は、大橋家の資産の4分の1(125000円)であったと言うから、驚きである。 その後も、大橋家次代は、図書館の充実に多大な寄付をするのだが、関東大震災で全壊、再建の為に、25万円を基本金として寄付し、昭和15年には、図書館の資産が150万円に達したと云う。

 更に、この財団(大橋家)の社会的貢献は続き、博文館記念日等祝事の毎に、各大学の図書館への図書購入費援助や、金沢文庫の復興には、神奈川県知事と「神奈川県の径庭として永久に維持する事」と契約書を交わし、資金援助から物品・備品の購入まで援助したというのである。

 その後、図書館長は、石黒忠悳の枢密顧問官就任に伴い、加茂市出身で東京専門学校(早稲田)の学生時代から博文館に勤務していた坪谷善四郎に引き継がれた。 坪谷善四郎は、博文館の取締役・編集長の傍ら、現在の日比谷図書館の設立に貢献している。 因みに、大蔵喜八郎も同郷と言うこともあり、大いに支援したそうである。

 いずれにしても、博文館大橋家の社会への貢献は、現在、経団連が策定した『企業憲章』における企業倫理(CSR、企業の社会的責任)の手本とでもなるべきものではないだろうか。

 先週日曜日の日経文化欄は、国立国会図書館の電子化の問題を採り上げていた。 遅々として進まない電子化の問題である。 私は、電子図書館サービスが開始された当初(平成15年辺り)から利用登録しているのだが、このサービスは、全く不親切・不十分・不完全、更に、特定の情報に関しては、有料で、しかも高額なのだ。 例えば、学会誌の検索など、題名とサマリーのみので本文を見ることが出来ない(一部可能、徐々に公開か?)。 しかも、利用条件として、認定学会のメンバーであることを要求される。 私のように、個人の研究者には経費的にも利用が難しい。 そんな訳で、むしろ、米国の国立アーカイブ(文書館)や公的機関、あるいは各大学のデータベースを利用している。 日本の文献を探す場合でも、米国から調べた方が良いのだから、あきれてしまう。

 ただ、国立国会図書館は、世界にも珍しい立法府に所属する図書館だ。 調査、特に文献の調査に関しては、優れている。 公開されないが、国会図書館調査月報は、充実していた。 学生時代、フリーパスを貰っていたので、大いに活用したものである。

 言語と言う障壁があることは分かるのだが、技術は既に問題を解決する域にまで達している。 ペンシルバニア大学だったか1大学から始まった、「グーテンベルク・プロジェクト」は、私が加入した15年前(CDで供給されていた)から年々拡大し、今では、世界規模のプロジェクトになっている。 それに公開で、参加者を拒まない。 最近、ダンテの作品をダウンロードしたのだが、その時、確か50万冊以上が電子化され、約2万冊のEブックが閲覧できると記憶する。 (ただし、検索の仕方によっては、大抵のEブックに到達できる。 尚、公開で問題になるのが、著作権であるようだ。)

 しかし、これは一例に過ぎない。 技術的最先端にある日本が、むしろ、先進国中最後進国であるというのは如何なものであろう。 情報が世界を制する時代、我が国の状況は、背筋に寒気を覚えるほどだ。 「プロジェクト・グーテンベルク」は、一大学の提唱に始まり、企業の支援で広がった。 過って、大橋佐平の社会への貢献は、我が国の図書館の在り方の基本を作った。

 柏崎に住みながら、あるいは長岡や六日町に棲んではいたが、今現在のことには全くの無知、最近、様々な情報が通り過ぎていくのだが、必然性と言える歴史も、可能性としての未来のビジョンも、聞こえて来ない。 これでは、キルケゴールの『死に至る病』ではないか。 まあ、異邦人の戯言、ご容赦あれ。

『柏崎通信』(2006年9月29日)388号から転載


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