柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 最近は気の重くなるようなニュースばかりだ。 世の中、どうなっているのだ。 どうなるのだ。 何となく、人類の終末観を予感する。  昨日、久しぶりに木島さんと話した。 氏の日本海文学大賞受賞以来か。 「こうりゃあ、キルケゴールの死に至る病ですね」、こんな言葉が口をつく。

 ナショナル・ゲオグラフィックのサイエンス・ライブラリーで、面白い試みをしている。 類人猿・原人の研究結果から、それぞれを人類学的特徴に基いて、俳優をハリウッドの特殊メイクする。 そして、その俳優をLAの街中に突然出現させ、街の人の反応を見る実験だ。 そこで、どの段階で、特殊メイクの類人猿あるいは原人を人類と認めるかというのである。 結論から言えば、ホモエレクトス辺りで、ある程度の時間が経つと、人類と認めるようだ。 実験そのものにも興味があるが、むしろ、関心を引いたのは、先人類が、何故に滅んだのかという事だ。 先人類あるいは原人が、生態系の上位に位置した時代は、ホモサピエンスの時代を遥かに超越するのだ。 詳しくは知らないが、現在の人類は、ジャワ島辺りの超巨大噴火による地球の寒冷化を生き残った僅か2000人から始まったそうだ。 世界規模の遺伝子(DNA)の調査で、それが判明したとか。 そして、その原形をとどめるのが、アフリカのカラハリ砂漠の居住する「サン族」だそうである。 

 食物連鎖のヒエラルヒーが何処かで狂ってくると、その生態そのものが滅びる。 生き残った生物があれば、そこに新たなヒエラルヒーが生れる。 頂点に立つ生物が、基盤になる下層の生物を滅ぼせば、頂点に立った生物の中でヒエラルヒーが構成されることもあるのかも知れない。 それが、今の人類であるということも出来るのではないか。 そんな事が頭をよぎる。

 もう一つの考えからたが、「棲み分け理論」だろう。 種が生き残る為に、自然は一種の「フェール・セーフ・システム」を提供する。 生態系が分散され、種は外的内的要因による種の危機を回避してきた。 人類が民族として分散してきたのも、あるいは文明が同時多発的に生れたのも、一種のフェール・セーフ・システムではないのだろうか。 しかし、文明の発展と共に、あるいはグローバル化と共に、「棲み分け」は困難となった。 そして、ネットワーク社会化は、「棲み分け」そのものを崩壊させる。 飛躍かもしれないが、そんな構図が見えて来る。

 このように考えると、「格差社会」は、一種の新たなる生態系のヒエラルヒー化の生んだ必然的帰結と見ることも出来る。 言い換えれば、人類の「危機が、今、そこにある」と言う事になるのではないか。 地域の崩壊も、その論理に従えば、何となく見えて来る。 国家の基底部を構成した地域が崩壊すれば、次に来るのは何だろうか。 これは、個々人の心の問題についても言える。 アイデンティティという人間存在の基盤を失えば、自我の崩壊を招くだろう。 もしかすると、キルケゴールは、それを「必然性と可能性の絶望」、言い換えれば「死に至る病」と捉えたのではないだろうか。 キルケゴールの時代、ルネッサンス・大航海時代を経て、封建制農村社会が崩壊し、グローバル化が進行し、一部では産業革命が生れている時代だ。 どこか、現在と似ているのではないか。

 それでも、ヨーロッパ社会が崩壊することはなかった。 異種の文明、言い換えれば、新たなるフロンティが常に存在した。 「棲み分け」というフェール・セーフ・システムが機能したのだ。

 誰だったか、ハッチントンだったか、日本を一つの文明圏とし、その特異性、すなわち、異種の価値観が混在することを許す寛容性に着目している。 別な表現を借れば、街角を曲がれば、あるいは、トンネルを抜ければ、全く別の文化が存在するのが日本だと云うのだ。 敢えて言えば、「汽水域文化圏」、私は、そんな表現をしてみた。

 その日本の文化あるいは日本文明が、実は、内部から崩壊し始めているのではないだろうか。 そう危惧すのである。 少子化、犯罪の低年齢化、自殺の増加、企業倫理や指導者倫理の危機、それに、地方の崩壊が進行する。 鶏が先か卵が先か、それは分からない。 しかし、相互作用はあるのである。 昨夜、衛星放送で「クルーシブル(The Crucible、るつぼ、厳しい試練)」という映画を見た。 17世紀末におこった米国マサチューセッツ州セイラムの魔女裁判の話だ。 些細なことから集団ヒステリックが始まる。 200人近い村人が魔女として告発され、19人が処刑された。 マスコミの在り方によっては、その再現もあり得るだろう。 否、既にその観があるのでは。 因みに、この時の判事は、サミュエル・ホーソンの先祖。 作品『緋文字』の見方も変わるだろう。

 まあ、そうは言っても、悲観的にはなりたくはない。 今年は、総選挙の年。 性善説を信じ、人類の未来を信じる者にとって、国・地域のリーダーたる政治家に、僅かでも期待を賭けたいのだが、果たして如何。 「草莽崛起」の言葉が浮かぶ。 

『柏崎通信』429号(2007年1月19日)から転載


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