柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 先週の土曜日、昨年末開館した河井継之助記念館を木島さんに同行して訪ねた。 一月のこの時期、通常なら雪を懸念するのだが、曾地峠辺りで、霙交じりの雨、長岡市内には雪の気配さえない。 大凡の場所の見当は付いていたのだが、念の為に、駒形君を訪ね所在を確認する。 記念館の駐車場で、送ってくれた若井と息子と別れ、木島さんと記念館へ。

 館内に入ると、幕末日本には3台、しかも中2台を継之助が確保したというガトリング砲のレプリカが鎮座している。 受付で案内を請い館長の稲川先生と面会。 入口脇の事務室で面談。 今回の訪問は、木島さんの取材と歴史講座の打合せということだったが、話題は文学から歴史に及び、歴史講座の話は何処へやら。 歴史については多少の知識があるが、文学になると全くの門外漢。 しかし、傍聞しながらも、興味は湧くばかりで
あった。 「矢張り、長岡には華がある」、話に登場する人々が生き生きと色彩を放ってくるのだ。 話が歴史の及び、稲川先生に多少の質問。 細い眼の奥に熱を帯びた視線を感じる。 「こりゃあ、とても敵わん」 勉強不足を痛感する。

 話は尽きないが、木島さんの取材がある。 稲川先生の案内で、展示物を拝見。 各コーナーで説明を聞く。 最高の案内人の最良の解説である。 増えてきた入場者には、「申し訳ない」の一言。 継之助の日記『塵壺』などの展示にも、通り一遍の展示ではない稲川先生の配慮がある。 床は気持ちを和らげるブルーを基調にしたカーペット、展示内容の表題にはサブタイトル、見る者の心理を計算した視線より低く目の展示位置、全文
を展示できない史料は特に厳選して重要な部分を、展示された古文書の解説には徹底してルビをふるといった具合だ。

 圧巻なのは二幅に書かれた「常在戦場」、勿論真筆である。 それに、小千谷談判で受け取って貰えなかった『太政官建白書草稿』 書家に依頼して複製を作られたそうだ。 初見だが、継之助の思想・人となりが明確になる。 『峠』から想像して漢文だと思っていたが、幸いにして書下ろし文調、書体も御家流ではなく行書体(?)、何とか読むことができた。 内容も素晴らしい。 継之助の「民」の思想が明確になる。 稲川先生の解
説も、ここで最も力が入った。

 因みに、書体には意味がある。 確かではないのだが、天皇(皇帝)へは「楷書」、高位の官衙(官庁)あるいは上級者へは「行書」、同位の者あるいは庶民は「草書」を使うと聞いたことがある。 ただ、日本の場合、公文書は「御家流」だった。 漢字かな混じり文・行書体で書かれた事に、「何かの意味があるのでは」と感じた。 但し、全くの憶測。

 いずれにしても、一見、否、一見どころか何回でも訪ねて、熟読したいほどの価値がある。 拙文で紹介するのが申し訳ない。 近くには「山本五十六記念館」もある。 一度、訪ねては如何だろう。 歴史に対する見方が変わるかも知れない。

『柏崎通信』434号(2007年1月30日)より転載


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歴史研究、読書
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柏崎マイコンクラブ顧問
河井継之助記念館友の会会員
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