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柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 調査依頼をしていた山口県立岩国高校から回答があった。 その結果、岩国中学における羽石重雄校長の様子が、ある程度判明した。

 詳細は依然として不明だが、羽石校長は、九州の学校(校名不詳)から転任して明治42年(1909)4月に岩国中学の校長になった。 問題は、退任の経緯だ。 岩国高校の話によると、羽石校長は、大正1年末頃から校長排斥運動があり、翌大正2年2月依願退職していたのだ。 この経緯が、実に面白い。 何だか、夏目漱石の『ぼっちゃん』を髣髴させるエピソードがあるそうだ。 排斥運動の中心になったのは、8人の5年生。 その理由が、校長の金時計や洋装が気に食わないと言うのだ。 岩国中学は、藩校「養老館」の伝統受け継いで、当時も学生の間には質実剛健を良しとする気風があったようだ。 しかも、この羽石先生、新たに採用する教員を主に九州から求めたそうだ。 詳しい事は、校史にもかかれていないようだが、このエピソードは、後々まで語り継がれたようだ。 ただ、後日談だが、羽石校長は、実は、大変な人だと言うことが判り、関係者は、「慚愧に耐えなかった」と後になって悔やんだそうだ。

 前回、この依願退職の事実が判らなかったので、柏崎中学には、大正2年(1913)に着任かと推測していた。 確認のため、柏崎高校に問い合わせたところ、実は、大正4年2月着任と言う事実が判った。 そうすると、約2年間のブランクがある。 この間、継ぎの任地を探していたか、あるいは、一旦退職しているのだから、校長職の周旋運動(職探し)をしていたのだろうか。

 そこで、思い出したのが、夏目漱石の書簡のことだ。 明治39年、漱石は、畔柳芥舟(一校教授、くろやなぎかいしゅう)に長岡中学の英語教師の周旋を依頼されて、それに対する回答の書簡を出している。 次代が少々遡っているが、羽石重雄も、人脈を介して校長職の周旋を頼んだのではないだろうか。 柏崎中学は、明治33年(1900)高田中学の分校として開校し、翌年、創立記念式典を実施、明治35年新潟県立柏崎中学と改称している。 羽石重雄は、大正4年2月、柏崎中学の校長に就任しているが、この年の4月、設立15周年記念式典が行われていることから推測すると、矢張り強力な人脈があったと言うことだろうか。 改めて当時の教育人事に興味が湧いてくる。

 また、前回では、横山健堂・羽石重雄・杉の三人は、旧知の仲で、もしかすると、共に山口県出身あるいは旧制山口高校の同窓生ではないかと書いたのだが、横山健堂以外は、今のところ、何れの事実も特定できない。

『柏崎通信』377号(2006年9月1日)から転載
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