柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 先週の日曜日、町内の草刈があった。 恒例の行事で、町内の神社である若宮神社周辺と鵜川沿いの草刈をする。 朝、8時に若宮神社に集合。 地震後、初めて若宮神社を見る。 石の鳥居は、海に対してほぼ直角に立っている所為か、特に損傷も見当たらなかった。 大きな石碑もあるのだが、こちらも損傷なし。 しかし、石段を登り、境内に入ると、先ず二基の狛犬が被害を受けているのが目に入った。 阿の一基は、狛犬が落ち、吽の一基は狛犬が大きくずれていた。 驚いたのは、大きく開いた台座の間に蜂の巣があったことだ。 蜜蜂だそうである。  その他に、何基かある石の祠と石碑が、軒並み倒れていた。 幸い神社の建物そのものには、特に損傷が認められなかった。

 これらの石碑の中に「六百年祭」を記念した石碑がある。 昭和30年代に600年だ。 南北朝時代だろうか。 地形から見ると、山城であった可能性がある。 鵜川の蛇行は、時代とともに変化したと聞くので、若宮神社は鵜川に面した時代もあったのであろう。 いずれにしても、地形的に要衝の地であることに違いはあるまい。

 NHKの大河ドラマ『風林火山』は、先週、上杉謙信(長尾景虎)を中心にしたテーマだった。 そこに、枇杷島城主・宇佐美定満が登場する。 緒方研が演じていた。 昔、『天と地と』の映画では、渡瀬恒彦が、この役を演じたように記憶する。 柏崎には、今でも、枇杷島の名が残る。 大字枇杷島。 また、枇杷島を冠した小学校もある。 川を右あるいは前に見、山を背にするのは、兵法における布陣の定石である。 以前、過って枇杷島城があったと思われる周辺を歩いたことがある。 枇杷島あるいは剣野方面から山(高い山ではない、丘陵ともいる山だが、奥行きはありそうだ)、 そこに入ると、想像したのとは異なる風景が広がる。 小川沿いに畑が広が
り、池があり、更に上っていくと昔は明らかに棚田であったと思われる景観に出会う。 その辺りから別の谷津が始まり、今はほとんど使われていないと思われる山道を下ると若宮神社へ至る。  この地形を改めて地図の上に展開してみると、面白いことに気付く。 鵜川の上越側が防衛ライン、柏崎の市街側に、農耕地が広がる訳だ。 天保の国絵図によれば、枇杷島の石高はおよそ2500石、1つの村としては、最大級の石高である。 すなわち、過っては、枇杷島周辺が、この地域の中心的存在であったことが判る。 またこの一連の山並みは、海のほうに向かうと、戊辰戦争の戦場になった鯨波・赤坂山へと続き、番神堂の切り通しに至る。 上越方向からは、極めて攻め難い地形である。 桑名藩を初めとする奥羽列藩同盟の諸藩が、ここに防衛線を引いたことに納得するのだ。

 詳細は不明だが、今回の地震で、この地域の被害は然程でも無かったように思えるのだ。 確かに、若宮神社の狛犬像は倒れていた。 石段にも多少の歪が認められる。 しかし、大きな被害があったとは聞かないのである。 先人の知恵だろうか。

 これも詳細は不明なのだが、現在の中心街である本町通の被害とは別に、大きな被害が出たと聞く地域が、春日という地域だ。 柏崎地域は、江戸後期、領地が入り組んでいた。 桑名藩のほかに、旗本・安藤氏の所領があった。 五千石とか八千石だったと云う。 それが、春日を中心として地域だ。 報道でも知られる「リケン」の所在地も、ここである。 江戸後期、この地域では、一揆が起こっている。 大規模な一揆ではないが、領主の代官と地役人との結託による苛斂誅求の年貢徴収や借り上げが、騒動の原因だったようだ。 柏崎には、こんな諺があるそうだ。 「春日には嫁にやるな」と言うものである。 他藩領と比べ、そんな諺ができるほど、貧困であったと云う。 ただ、幕末には改善されている。 和算の関流八伝・佐藤雪山と広川晴軒(共に小千谷)が、安藤領・春日周辺を測量したのも、この頃である。 余談が長くなったが、この春日辺りは、旨まで浸かる深田が多かったそうだ。 要するに地盤が脆弱なのである。

 柏崎は、日本石油・帝国石油の発祥の地である為、昔、かなり詳細な地質調査が行われている。 地元の人も知らないようだが、現在の新潟産業大学の近くから、海岸に向けて油田開発のための地質調査の試験坑が掘られている。 うる覚えだが、沖合い3キロという長いものだと云う。 以前、旧石油資源開発公社の仕事をしたことがある。 その時、そんな話を聞いたことがあるのだ。 因みに、この時の仕事は、地質図をプロッターで描くと言うものだった。 当時は、大型のフラットベッドのプロッタが国産には無く、確かカルコンプのプロッタだったように記憶する。 何処まで関与していたのかは記憶が定かではない。 ただ、相当細密な地質図を見た記憶がある。 恐らく、目的は違うが、これだけ綿密な調査が、明治の昔から継続的に行われていた地域はないだろう。 皮肉なことである。 憶測に過ぎないが、縦割りの機構が、こうしたところにも出たのではないだろうか。

 余談だが、明治から大正にかけて、日本石油の陣頭に立って、地質調査・採掘調査を行っていたのが、山口出身の杉卯七(初代研究所長)である。 序に言えば、卯七の長男が、フランス文学者、フランス語フランス文学会の名誉会長(第3代)・会長(5・6代)の杉 捷夫氏である。 因みに、6代会長の時の副会長が、桑原武夫
で、7・8代の会長を勤めている。

 これも余談だが、杉卯七の勤続25周年を記念して、友人が柏崎に会した。 野村健堂と羽石重雄である。 共に山口県出身、羽石重雄は、当時、旧制長岡中学校(前・旧制柏崎中学校長)、野村健堂は、ペンネーム
黒頭巾と称して、多くのエッセーや評論を書いている。 この時、話題になったのが、生田萬であり、健堂は、『大塩平八郎と生田萬』に、その経緯を書いている。 これらの事は、以前、『柏崎通信』に詳しく書いた。 参照されたい。 更に余談になるが、杉卯七の父親は、奇兵隊で戊辰戦争を戦っている。 もし、卯七の父親が、
北越戦争に参加していたとすれば、何と言う皮肉であろうか。 こんな所にも、歴史の不思議を感じるのである。

 地震の後遺症は、むしろこれから現れてくるだろう。 しかも、時間と共に深刻になるのではないだろうか。 思いついたまま、だらだらと書いてしまった。 昨日、竹田君が訪ねて来た。 彼とも話したのだが、何となく疲れを感じる、そんな気分が尾を引いている。 今も、杉捷夫のエッセーを探したのだが、地震後未整理の書架
に、それを見つけることが出来ない。 ちょっとしたことに、どっと疲れる。 深刻な被害を受けた人々は、それどころではあるまい。 このお盆は家の中の整理だと、草刈の時、そんな話が耳に入る。 私も、その積りだが、さてどうなることやら。 推敲もしていない文章だが、今回はこの辺りで。

『柏崎通信』、516号から転記。

Best regards
梶谷恭巨

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