柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 陽明学に付いて、朱舜水・安東省菴 → 中江藤樹・熊沢蕃山 → 山田方谷・河井継之助の流れを追いかけている。 始めは、継之助・方谷から遡っていたのだが、今は、先の通りだ。 というのも、どうも繋がりが見つからないのだ。 ミシングリングである。

 兎に角、安東省菴の史料・関連文書を読んでいる。 その中に、鬼重忠恕著『小説・安東省菴』がある。 面白い事が書かれていた。 筑後柳川藩立花家の城代家老に小野という家がある。 安東省菴と小野家の二代目・伊織は、幼馴染だ。 (後に、省菴の妹が伊織に嫁いでいる。) その小野家の流れを汲むのが、安田財閥とも縁の深い「ヨーコ・オノ」なのだそうだ。 だからどうだと言うのではないが、連綿と続く人の繋がりが、こんな所にもある、と一人ほくそ笑むのである。

 安東省菴は、明の亡命学者(果たして、学者とのみ位置づけるべきか?)朱舜水を援助した人物として知られている。 安東省菴の家、すなわち安東家は、柳川藩開祖・立花宗茂と縁戚に当たる。 省菴は、分家して一家を立て200石の知行を受けていた。 実質的には、80石くらいといわれるようだが不詳。 その半知分を朱舜水に送り続けたのである。 その結果か、省菴の生活は相当に苦しかったようだ。 立花家は、宗茂がそうであるように、むしろ武門の家である。 藩風も、自ずから武を奨励した。 省菴自身も、武を第一と考えていたようだが、それが、痔疾の治療のため長崎に滞在した際、その医師(矢張り、亡命・帰化中国人)を介して、朱舜水と出会うのだ。 (立花宗茂という人物も興味深い。 一度改易になり、また先祖伝来の故地に返り咲いたの大名は、他にいないのではないだろうか。)

 『先哲叢談』第三巻に記載がある。 (同巻には、熊沢蕃山も掲載。) これを読むと、義の人であると同時に、端々に武人あるいは武士を感じるのだ。 例えば、その末文に次のようは評がある。

 「省菴、文事を以って一世に表見す、今此編(省菴の回顧録『扇銘』、この前文にある。)を読めば、其の少年の勇猛、豈(あ)に毅然たる大丈夫にあらずや、即(も)し省菴をして、戎馬(じゅうば、戦時)の際に生れしめば、其の為す所、亦(まt)迥(はるか)に群を出でん。 古云(いにしえにいわ)く、文事ある者は必ず武備ありと、省菴あり、省菴の高義、世に絶えて無し、其の学も亦世に多く有らざる所なり、而して性謙譲なり、男(息子)守直に告ぐる遺訓に曰く、我、才なく徳なし、汝、諸生と共に、年譜、行状、行実、碑銘、墓銘、及び文集の序等を撰すること勿れと」

 安東省菴は、不思議な人物である。 文献も少なく(私が知らないだけかもしれない)多くを知る訳でもないのだが、何かしら近親感を感じるのだ。 柳川藩の開祖・宗茂の波乱に飛んだ生き様が、省菴に反映されているのかも知れない。 事実、宗茂は、少年時代の省菴(助四郎)に、人に無い何かを見ていたようだ。 推して16歳で島原の乱・原城攻めに従軍した時、その身を気遣った書簡を送っている。 (先に書いた舜水との出会いの因縁にもなる持病・痔疾は、既に此の頃から患っていた様だ。) この中で、次男である助四郎(省菴)に分家して知行を与えることを約束している。 単に、縁戚の次男坊に対する気遣いではない。

 一言で言えば、省菴は「義」の人である。 省菴がいなければ、朱舜水と水戸家・光圀との関わりは出来なかっただろう。 その舜水がいなければ、果たして水戸学が成立しただろうか。 朱舜水もまた、「義」の人である。 国姓爺・鄭成功を支援したのも舜水である。 亡国・明に殉じて、生涯日本語を話さなかったと言う。

 余談。 日本で始めてラーメンを作り食したのは、水戸光圀公だと言われている。 しかし、黄門様にラーメンの作り方を教えたのは、朱舜水だと言われている。

 「義」と言う意味では、河井継之助も「義の人」いわれる。 古賀茶渓の久敬舎に入門したのは、当時希少だったと言われる王陽明全集があったからだと云う。 もしかすると、継之助は省菴と舜水の逸話を知っていたのではないだろうか。

 余談。 数年前だろうか。 柳川で、「殿様サミット」が開催された。 そこに招かれた旧大名家の当主の一人が、牧野氏だった。 ここで大いに語られたのが、「素読」を見直そうと言うものだったそうだ。 柳川に近い佐賀、山田方谷所縁の高梁、吉田松陰の山口、こうした地域では、幼稚園あるいは小学校で、実際に素読が実施されているそうだ。 「素読」については以前書いたことがあるが、予想以上の効用があるそうだ。 内容の問題ではない。 「素読」という行為そのものに、学習効果があるそうだ。 最初は、意味が解らぬまま読むわけだから、子供にとっては、大変な負担になるのかもしれない。 しかし、解らぬ字面を追う内に、何が書いてあるか知りたいと言う好奇心が生まれるのではないだろうか。 まあ、この話は別の機会に。

 余談の序に。 柳川に福岡県立伝習館高等学校がある。 旧藩校が始まりと云う。 県下屈指の進学校でもあるそうだ。 先輩の出身校なので、何となく知っているの。 伝習館の「伝習」は、恐らく、王陽明の『伝習録』に由来するのであろう。 ここにも、安東省菴と朱舜水、更に陽明学との繋がりが見える。

 だらだらと書き繋いできたが、長くなってしまった。 昨日は、会社に泊まりこみで仕事をした。 先ほど帰り、書いていたのだが少々疲れが出てきたようだ。 改めて書くことにしよう。

『柏崎通信』(522号、8月24日)から転載

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