柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 江戸後期の教育あるいは学問の系譜あるいは人間関係追及の旅も、現在、明治から大正初期に至っている。 同時に、その関係の広がりから医学・医療、そして戊辰戦争前後の混乱期から明治初期の復興期、更にそこで完成した人間関係の広がりにも踏み込もうとしている。 もっとも、舞台は、柏崎から長岡に移っているのだが、どうも、この辺りの歴史を追いかけていくと、「これは、単なる郷土史あるいは地域史の問題ではない」という感覚を覚える。

 先回、長岡(柏崎)・鹿児島・岩国(山口)・福岡(柳川)という広範囲な旧制中学の校長(教師)の交流について触れた。 その時には触れなかったのだが、福岡の柳川との関係には驚かされた。 安東省菴を書き、その系譜としての福岡県立伝習館高校(柳川)にも触れたのだが、まさか、旧制長岡中学の校長であった仙田楽三郎が、旧制伝習館中学校長として赴任しているとは。 実は、先輩であり友人であり、また私達夫婦の仲人でもある乗富さんの母校なのである。 因みに、高野五十六(山本五十六)は、仙田楽三郎が校長時代に在校していた。

 こうした明治における各界の全国的な人事交流あるいは移動は、上記の例を例外としないのではないだろうか。 当時の校長は、自ら職を求めたようだ。 例えば、先回も書いた坂牧善辰は、夏目漱石に自身の仕事の周旋も頼んでいる。 過渡期におけるトップ人事である。 坂牧善辰は、初代鹿児島県立第二鹿児島中学(現県立甲南高校)の後、川辺・川内の校長を歴任したあと、古巣である長岡には帰れず、大正4年、旧制三条中学校長に就任している。 この時、2人の教師を伴って帰っている。 その一人、小川景重は、新発田高等女学校校長に、もう一人、手塚義明は、旧制六日町中学初代校長に就任している。

 こうした校長あるいは教師の人事の変遷を追いかけるのは、明治の原動力の背景に、過渡期における教育の問題があると考えるからだ。

 ちょっと視点を変えたい。 長岡柏崎近隣の歴史は、単なる地方史ではない。 戊辰戦争、その後の復興期、そして石油産業の勃興、江戸末期から大正初年までの60年間、他の地域では見られない政治・経済・社会、そして文化の変遷を見ることが出来る。 その歴史を考えるとき、米国の近代史を見る思いがするのである。 すなわち、南北戦争、復興期、そして南部における石油の発見、アメリカの文化・思想、それに教育が大きく変わるのも、この時期ではなかったか。

 その長岡と米国には深いつながりがある。 『武士の娘』の著者・杉本鉞子、それと最近知ったことだが、ジョージ・岸氏である。 ジョージ・岸氏については、『北越銀行(百年or百二十年)史』を調べて判ったことだ。 氏は、長岡経済の草創期活躍した岸宇吉氏の孫で、娘さんが、米国で看護婦養成所の教師をしているとか。 その娘さんが、祖父・岸宇吉に関心を持ち、是非、墓参したいとの意向があり、昭和59年5月29日、双従兄妹(従姉弟?)にあたる山口万吉氏の案内で、北越銀行本店を訪問されたのだそうだ。 尚、山口氏は、長岡銀行(現・北越銀行)の初代頭取・山口権三郎氏に繋がる人だと推測する。

 この事に関してだが、実は、大きな障壁に阻まれている。 「個人情報保護法」である。 先回も書いたかもしれないが、日本国内のことを調べようとすると、必ずこの法に行き当たる。 企業でさえ情報を開示しない。 企業の歴史は、人間集団の歴史でもある。 特に、草創期、個人の果たした役割は大きい。 社史の本質は、単に企業の年表的歴史ではないはずである。 人間のドラマがあり、企業としてのアイデンティティが、そこにある。 昔、企業の社史編纂室は、窓際族吹き溜まりと言われた。 企業は、法人として人格を持つ。 それは、国家についても言えることだ。 マイネッケは、国家理性「Staatsrasen(rasenのaはウムラウト付き)」と言う言
葉で、国家のアイデンティティあるいは本質を表した。 (F・マイネッケ『近代史における国家理性の理念』みすず書房,1960(Friedrich Meinecke,“Die Idee der Staats in der neueren Geschichte”, R. Oldenbourg,1957) 企業のも同様のことが言えるだろう。

 国・自治体は、それぞれの歴史を編纂している。 しかし、どこか人間味の無いよそよそしさを感じる。 多くの社史を読んだわけではないが、何処か違和感を感じる。 (もっとも、地方の企業では、社史を編纂しているところが少ないのも事実だが。) ただ、先に挙げた『北越銀行史』は、よく出来た社史である。 確か、優良歴史書として表彰されているようだ。

 まとまりの無い話になってきたが、要は、個の存在が時間の中に埋没し、歴史の中で大きな役割を果たしたであろう人々あるいは企業のアイデンティティを、現在の我々は、余りにも軽視し過ぎているのではないだろうか。 今生きる我々には、過ぎ去った人々のアイデンティティを、これから来る人々に伝えるべき義務があると思うのだが。

Best regards
梶谷恭巨


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