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柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 先ず考えるのは、軍事行動と営業活動を比較できるかという問題だ。 中国の兵法七書(孫子、呉子、三略、六韜、李衛公問対、司馬法、尉繚子)、更に加えるなら、張良の「素書」や、その師と云われる「鬼谷子」などが、経営の哲学として採り上げられることがある。 しかし、こうした書籍を採り上げれば、百家争鳴と云うくらいで限がない。 それが、日本に至ると、山鹿素行から吉田松陰に至るまで、様々な解釈の下に変遷する。 しかも、密接な関係にある中国の歴史的変遷に伴い、解釈そのものが変化していく。

 しかし、それが、例えば、日経の書籍広告欄から消えることはないのである。 何故か? 心理的問題が常に先行するためか。 ところが、それではソリューションを得ることが出来ない。 例えば、目を西欧に向けて見ると、先ず、ギリシャ・ローマ時代が目に写る。 ギリシャ時代は、見方もあるのかもしれないが、レトリックのの
時代でもある。 まさに、西欧における百家争鳴の時代でもあるのだ。 例えば、時期を同じくして、「白馬論」の如きレトリックが生まれる。 公孫竜子とソフィストの面々、もし対峙すれば面白い結果が出たのかもしれない。 「白馬論」と「飛ばない矢」、それが、微分積分に通じるのだから、実に面白い。

 さて、本論から外れそうだが、結局は、言い方は悪いかもしれないが、人を如何に「たらしこむか」という技術なのだ。 連衡縦横の策を唱えた、張儀・蘇秦、その張儀のエピソードが、それを物語る。 詐欺師まがいの提案が、行き詰る。 張儀は、窮地立つが、そのとき自分の妻に言った言葉が振るっている。 大口を開けて聞くのである。 「舌は未だあるか。」 舌さえあれば、その三寸の動きで、国を操ることが出来ると。

 こんな話を理論化できるのだろうか。 それを試みた先人がいる。 ゲーム理論。 ただし、納得している訳ではない。 問題は、数学的な解法が必ずしも一般に通じるかということだ。 単純な話、ノイマンにしろナッシュにしろ、それが、理論とはかけ離れたオーディナリーな世界で通用するかということだ。 先ず、無理だろう。 発表された理論を読むより、それを提唱した人々の評伝を読むといい。 そこには、真実というよりも事実がある。

 生死をかけた戦場で発展したのが「兵法」だが、そこには、未だゆとりがある。ところが、例えば、ジョミニにの戦術論は、理論というより、実質的な布陣なのだ。 そこにあるのは、戦場における力学関係の物理学的表現である。 一見、マインドの状況を著しているように思えるマキアベリの『君主論』でさえ、全体像を考えると、矛盾を感じる。 マキアベリの場合、盟友であるダビンチがいなければ、さて、歴史に名を残すことが出来たのだろうか。 何しろ、彼の人生を垣間見れば、必ずしも、平坦とはいえないのである。

 話が右往左往するようだが、この問題は、この半年間、慣れない営業という世界で身を持って知った事実である。 出来上がったのは、NPOも含めて、NLPに従った人脈図なのだ。 姻戚関係、友好関係、公的関係、それぞれの力学関係、更に言えば、それぞれの関係が成立していく歴史的な事情、公開する心算はないが、営業活動というより、図式化された人間関係図は、少々その扱いには苦慮するのである。

 営業活動の経験がない。 しかし、情報収集の技術に対しては、恐らく得意な勘のようなものがあるのかもしれない? 知ることは苦痛でもある。 「ああ、そうだね。 君のところなら四五代前までなら追いかけられるよ」と。 全く困ったもだ。 歴史の勉強の怖さを知るのである。

Best regards
梶谷恭巨

 

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歴史研究、読書
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