柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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  吉原嘉四郎は、安政5年12月17日に、新潟県三島郡片貝村(現、小千谷市片貝)に生まれた。 北海道移住までの経緯は不詳。 紳士録発刊時の住所は、空知郡市来知村本町東1丁目20番地。 現在の三笠市宮本町辺りと思われる。

 
 明治13年(1880)6月15日、石狩町に移住し、菓子製造業を開業した。 明治15年4月24日、塩谷町(現在、小樽市塩谷)に移転、明治16年、更に移転し、菓子製造に加え、酒造業を開業し、目論見が的中して繁盛した。 その他に商事会社も経営し、機敏で勤勉、財を成した。 当時の金額で、2万円以上の蓄財があったと云う。
 
 ところで、高山樗牛(林次郎)は、『時代管見』(明治32年刊、博文館)の中で、「紳士録」という節を設け、「紳士録」について記している。 曰く、
 
 「坊間(ぼうかん)に『紳士録』と題する一書あり、其収むる所、高利貸あり、博徒の親方あり、然れども、この輩、豈(あに)、所謂(いわゆる)紳士と称すべきものならんや。 紳士は士也、君子也、品性徳行に於いて群氓の師表となるべきものなり者也。 夫(そ)の苟(いや)しくも所得税を納むるもの、即ち、目するに、紳士を以てす、偶々国民の拝金根性を暴露し来る。 是れ事、少なりと雖(いえど)も明に国民道徳の危機を示す者に非ずや」と。
 
 しかし、これは、今回採り上げた『北海道紳士録』には、当てはまらないように思える。 確かに、北大の『北海道人物史料目録』に掲載された資料を、インターネットで読めるものは、通読してみたのだが、事、北海道開拓史に関する人物史料は、当時、交詢社などで出版された『紳士録』とは、一線を画すものがあるように思えるのだ。 それと、当時の情況を考えると、よく調べてあると思う。 要するに、数少ない北海道開拓史の史料として、結構、有意味なものではないだろうか。
 
Best regards
梶谷恭巨

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