柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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  鈴木匡則(ただのり)は、安政5年(1858)12月27日、新潟県西蒲原郡桜井郷村境江に生まれる。 紳士録発刊当時の住所は、有珠郡西紋鼈(もんべつ)村57番地。 現在の伊達市。

 
注1)桜井郷村: 弥彦村・矢作村と合併し、現在の弥彦村になる。
 
 明治10年(1877)1月、同郡山崎小学校に入り、漢学を学び、同20年(1887)、8月、泰東集英舎で簿記学を習得し卒業、同23年12月、日本同盟法学会法律学を講習、同年、明治法律学校の校外生として法学を専修、同24年12月20日より25年2月まで三条区裁判所で執達吏職務練習。 この間、明治15年10月、観音寺村戸長役場の筆生として同22年4月まで務め、同22年、町村制施行に伴い、桜井郷村助役に選任され、同26年4月まで勤続した。 しかし、どういう経緯か、明治26年9月、現住所に移転し、12月には、組合頭となっている。 同27年6月、新潟県人団体の長になり、事業の進歩発展を図った。 同29年7月、有珠郡衛生組合長、同30年7月、厚徳会会長に就任、公共事業の改善を図る。 この間、明治28年2月より、簿記学校教授として、地方青年の教育に尽力した。
 
 新潟県から北海道に入植した人は多い。 明治15年(1882)から昭和10年(1935)までに、新潟県から北海道に移住した世帯数は、61,636戸で、青森県、秋田県に次いで第三位の多さである。

 尚、関矢孫左衛門の「北越拓民社」と、何らかの関係があると思われるが、この件に関しては、研究し、このシリーズで逐次掲載する。

  
Best regards
梶谷恭巨


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