柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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  既にディキンズの略歴を紹介したが、その後、『遠い崖』を読了し、更に、『パークス伝』を読み始めて、ディンズの漠然としたプロフィールが実体を伴い始めた。 「実体」というのは大袈裟かもしれないが、兎に角、頭の中で息づき始めたことは事実なのだ。

 
 先ず、ディケンズは、明治10年前後頃には、アーネスト・サトウと近しい友人関係を築くのである。 マリア・ルス号裁判で、傍証として「女郎の年季奉公証文」を提示して、皆を驚かせた場面がある。 裁判に関係するかどうかは不明だが、ディケンズは、サトウに、「女郎」の意味、語源、来歴などを問い合わせているのだ。 そして、サトウは、『倭名類聚鈔』などを引用し、ディケンズの問いに答えている。 これが、明治10年(1877)頃のことであるから、裁判との関わりが推測されるのだが、さて如何だろう。
 
 以前書いたように、英国の公的見解は、発端の経緯から清国人苦力に同情的であり、各国公使への働きかけや日本政府に裁判の開催を促すなど、一貫して被告側を支援している。 すなわち、ディケンズとは、立場が逆なのである。 当然、サトウは、承知していたはずである、否、日本政府との交渉では、常に、サトウが立ち会うか、公文書を翻訳する訳だから、清国苦力を積極的に支援したのは、公使館内でも上位にあるサトウの意向も反映されていたのかもしれないのだ。 もっとも、日本における外国人社会は、狭く、しかも、教養人とか日本アジア協会に加入する人は少ないのだから、サトウとディケンズの交流は、以前から緊密だったのかもしれないのだが。
 
 それに、この事件が直接の動機になったとは言えないだろうが、第二回目の賜暇で帰国した際、リンカン法学院に籍を置き、法律を学び、法廷弁護士の資格を目指したのも気になる事実だ。 詳細は省くが、サトウは、数年後、この法廷弁護士資格試験に、他の追随を許さない圧倒的な点数、すなわち主席で合格するのだ。 しかも、この賜暇の期間、ドイツ語の向上、イタリア語の習得など、能力の向上に努める一方、毎夜のように音楽界・オペラ観劇し、しかも、ヨーロッパ各地を旅行するなど、「恐るべし、驚くべきサトウの勤勉」と言う他はないのである。
 
 この事件は、結局、国際仲裁裁判で結審することになるのだが、ここで、興味深いのが、サトウが後年(明治39年、1906年)にハーグの国際仲裁裁判所英国代表に任命され、以降5年間、その職を務めていることである。
 
 以上は、マリア・ルス号事件に何かしら関連する事実だ。 しかし、サトウとディケンズを結び付けたのは、こればかりではない。 植物学があるのだ。 サトウは、当時、口語辞典の第二版を編集あるいは検討中で、最初は、植物そのものに関心があった訳ではなく、この辞典編纂の為に、植物および植物名を収集していた。 しかし、ディケンズと情報を交換し、また共に植物採取旅行などに出かけるに及び、植物そのものに関心を持つようになったようだ。 また、先の賜暇の時、ドイツのマールブルグ大学でローマ法の受講した頃、日本で知り合った地理学のライン博士との交流を通じて、博物学にも関心を持つようなったようだ。 ライン博士の依頼で、英国博物館に行き、日本の地名なども調べている。
 
 その後、ディケンズは、ロンドン大学の事務局長などつとめるのだが、その傍ら『パークス伝』を就筆する。 当然、ディケンズは、パークスと最も因縁の深いサトウに問合せをするのだが、実は、サトウは、個人的にパークスを好まなかったのだ。 公式の場では、矢張り外交官、一切、顔には出さない。 ウィリスとかアストンに漏らすか、私信で本音を伝えるか、いずれにしても、ディケンズは、それを知らされた時、「唖然」したという。 ところ、余談だが、ディケンズは、南方熊楠との縁が深い。 ディケンズが、古文(竹取物語や枕草子など)を英訳する際に、校正したというようなことが、南方熊楠の履歴書に書かれているようだ。 南方熊楠は、大英図書館に入り浸りで(毎日)、孫文と知り合ったという逸話を読んだ記憶がある。 皆、何かしら東洋に係る関係だから思わぬ接点があるのかもしれない。 好奇心をくすぐる。
 
 こう書くと、何だかサトウがマキアベリストであるかに見えるのだが、『君主論』は最も嫌いな本のひとつだったようで、タイに赴任する前だったか、赴任中かに、政治家あるいは外交官としての必読の書と、悪態をつきながら読んだ様子が窺える。 サトウという人物は、性格、人間関係、足跡など、様々な視点で見ると、意外な側面が見えてくる。 そのサトウの視点から見た日本は、誰の著作あるいは報告よりも、より客観的で精確だと思える。 それが、サトウを追った動機だが、その内、その人物そのもの惹かれてしまった。

機会があれば、この辺りのことも書いてみたい。
 
Best regards
梶谷恭巨

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