柏崎・長岡(旧柏崎県)発、
歴史・文化・人物史
一木喜徳郎の学生時代、特に、明治19年、東京大学が、帝国大学に改変され、文科大学から法科大学政治学科に編入した頃について調べてみた。 以下は、『帝国大学一覧(明治19年~同20年)』による。 尚、青字の部分は、肩書きとして記載された字句で、原文のまま掲載した。 法科大学(第五章)職員: ◎法科大学学長(帝国大学総長兼務) ○法科大学教頭(ローマ法、法理学担当)
○フランス法律担当 ジョルジュ・アッペール(または、アペール、Georges Victor Appert): (1850-1934)、フランス人教師。 1879年(明治12年)、司法省法学校の講師として来日、1889年、帰国。 また、東京法学校(法政大学の前身)で、行政法、民法のほか、理財学を講義したとの記事がある。 ○国法学、統計学、行政学担当 尚、このカール・ラートゲンについては、出自、帰国後の経歴等、また、マックス・ヴェーバーとの関係など極めて関心のある人物なので、もう少し調べて、紹介したい。 調べていくと可也長くなりそうなので、次回に続きを書く。 Best
regards |
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プロフィール
年齢:
77
性別:
男性
誕生日:
1947/05/18
職業:
よろず相談家業
趣味:
歴史研究、読書
自己紹介:
柏崎マイコンクラブ顧問
河井継之助記念館友の会会員
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