柏崎・長岡(旧柏崎県)発、
歴史・文化・人物史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 承前。 前回に続いて、「遊女の起源」の残りを紹介する。尚、
是を見ても其繁盛の状を知るに足るのである。公任卿の和漢朗詠集
(註1)公任卿: 藤原公任(キントウ)の事。康保3年(966)~ (註2)倭琴緩調臨潭月、唐櫓高推入水煙: 冒頭「倭」は、「和」だが、古写本には「倭」 和琴は緩く調べて潭月に望み、唐櫓(カラロ) 和琴は、『倭名抄』の注に「体は筝(ソウ)に似て短少、 大意は、その遊女は、水の深みに映る月に向かって、 (註3)中御門宗忠卿: 平安後期の公卿。藤原北家(藤原氏嫡流家)中御門流、 (註4)中右記: 藤原宗忠の日記。 (註5)熊野與比和君同船、追一舟中指二笠、発今様曲、 (註6)莫不接牀第施慈愛: 前回註を参照。 (牀第に接し、慈愛を施さざることなかれ) (註7)相公迎熊野、與州招金壽、羽林抱小最、下官(
又遊女の外に、傀儡と云うものがあった。
(註8)放下: 室町時代から近世に見られた雑芸で、
傾城、其名の因って来る所は、前漢書に武帝の時李延年が歌に、
(註9)『前漢書』: 『漢書』、班固・斑昭(班固の妹) (註10)武帝: 前漢第七代皇帝。 (註11)李延年: 武帝の宦官で、歌舞を能くし、寵を得たが、李夫人の死後、 (註12)『奇異雑談集』: 江戸初期の怪談集。 (註13)当国: 越後の事と思われる。 (註14)紋日(モンビ): 江戸時代、官許の遊廓の隠語で、
吾が北越地方海岸通りの遊女屋にては、今日娼妓を子供衆(
遊君 とは平安朝の末より鎌倉時代に亘りて遊女の称であるが、 白拍子 の名の因って起ったのは平家物語にある、有名な祇王祇女が嚆矢( 尚お又徒然草には例の義経の静御前、其母磯野禅師、 歌舞妓 名古屋山三郎と云うもの、出雲の巫女くにと云えるに通じ、
以上、「遊女の起源」を終わる。
Best regards 梶谷恭巨 PR ![]() ![]() |
カウンター
プロフィール
年齢:
70
性別:
男性
誕生日:
1947/05/18
職業:
よろず相談家業
趣味:
歴史研究、読書
自己紹介:
柏崎マイコンクラブ顧問
河井継之助記念館友の会会員
最新記事
最新コメント
[04/17 梶谷恭巨]
[04/17 まつ]
[03/21 梶谷恭巨]
[11/18 古見酒]
[07/10 田邊]
カレンダー
フリーエリア
ブログ内検索
最古記事
(11/28)
(11/28)
(11/28)
(11/28)
(11/28) |