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柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 さて今回は、京と大阪を一度に紹介。特に変わった事もないが、後に柏崎花街に関わる地名が、大阪の新の段に出てくる。確認すべき資料がないので、何とも言えないのだが、佐渡島や越後が登場するのには興味が湧く。尚、「京都島原」に年号が多出するので、時代背景を知る上で参考になるかと若干の註を付けた。

 

 また加えると、この辺りの事情は、作家・隆慶一郎氏の公式サイトに、ほぼ網羅されているようだ。関心ある方は、下記のURLへ。

  http://www.ikedakai.com/ (隆慶一郎わーるど)

 

「京都島原」

 島原は日本遊郭の根元地として其名を知られ、又実に京都遊廓の最初の創設にかかわるものとしてある。享禄元年十二月公許を得たりとも云う。天正十七年五月免許を得て冷泉万里小路に一廓を開きしとも云う。万里小路とは押小路、柳馬場附近の事で、当時廓の門口に日本の柳を植えしより柳とも呼んだと云う。慶長七年八月皇城に接近するの故を以て室六條に遷され、此処を三筋と名附けた。

 小舞十六番

   文がやりたや室筋へとりや違えて他の人にやるな

     花のよみやまの手に渡せ(奈良楽

とあるのは此頃の作であるとの事である。後四十年更に寛永十八年に至って現今の地に移転されたが、此命令の下ったのは、何の用意をもなす事が出来ぬ迄に火急であって、各自仮小屋を設けて業に就きしを、前年肥前の島原で天草の乱が起ったとき、混乱騒擾したるに引比べて、世人島原の如しと云いたるを以て、其儘廓名にしたのだとも云い、又島原の乱の如く人心を騒がして、此廓に遊ぶ者多い為めに島原と命名したのだとも云う、又「色道大」によれば「伊勢物語」の遊島から出たとも云うて居る。嘉永四年祝融の災に会い、揚屋を残すの外悉く灰燼に帰してしまったが、再建して、現今の状態に復したのである。

 

(註1)享禄元年の十二月公許: 享禄元年は、西暦1528年に当り、820日に「大永」より改元された。この年の十二月の出来事を岩波の『日本史年表』の社会・文化欄で見ると、「大内義興没(52)、厳寒、琵琶湖結氷」とある。他不詳。

(註2)天正十七年五月免許: 同年表に5月の記載はないが、同年2月に駿河・三河に大きな地震があった。また翌年は小田原攻めで、8月に家康が江戸入府。注目するのは、秀吉の統制が強固になり、各地に検地が行われた事。

(註3)慶長七年八月: 西暦1602年に当たる。矢張り廓に関する記載はないが、この8月、イスパニア船と土佐清水沖で海戦、家康は、捕虜を返還し、フィリピン総督に交易を求める書簡を提示しているのが注目される

(註4)小舞十六番: 初期の歌舞伎の若衆歌舞伎の16曲。狂言小舞の影響があった。(註3)の翌年慶長八年4月、出雲阿国が歌舞伎踊りを演じている事のが興味深い。

 その小舞の「文が遣りたや・・・」は、端唄・俗謡の「室と云うのだそうだ。その後にある(奈良楽)と云うのは不詳。

(註5)寛永十八年: 西暦1641年。この年の8月、幕府は、風流踊を禁止しているが、何らかの係わりがあるのだろうか。この年、全国的に飢饉が起っている。また、「島原の乱」を前年としているが、実際には、寛永十四年10月(163712月)に勃発し、翌年2月(4月)に終結している。

(註6)「色道大鑑」: 延宝六年(1678)の序が残る藤本箕山著の『色道大鏡』1814冊と思われる。当時、遊女評判記が流行したが、その代表的なもの。2006年、新版色道大鏡刊行会により八木書店から出版されている。書誌によると、762ページの大書である

 

「大阪新

 新は五花街中に最も由緒ある廓である、寛永年中木村長門守の家臣と云う、大阪の浪人木村亦次郎と云う者があって、庄屋年寄を仰せ附けられた。其頃は一面に蘆原であって、殆んど足を容れる処もない位であったが、是を開拓して官許を得、傾城としたのが、最初であるとの事である。其頃大阪で遊女らしい処と云えば、道頓堀幸辺にあったのみで、他には絶えて無かったが、其旧来の遊女に対して新と命名したのであると云う。の内には瓢箪、佐渡島、越後、吉原の五ヶ所あるが、瓢箪に木村亦次郎の住居があって、一名を亦次郎と云うて居った。瓢箪は太閤の馬印より取り、旧き恩誼を記憶せんが為めに、浪人気質の殊更に其名を選んだのだとも云いい。又古道頓堀辺の瓢箪の娼家を移したるに因とも云うて居る。佐渡島は上博労に住みたる佐渡嶋与三兵衛と云う者が此地に移って、遊女屋を始めたるに起り、越後は佐渡に隣れる越後国より思い附きて名付けたるものであると云う。吉原は今は裏新と呼んで北天満の吉原に屯せし一団の遊女を此地に移せしに因ると云って居る。兎に角大阪人の誇りとしたのは此廓の揚屋の壮麗を極めて居る事である。

 

 先の様に、隆慶一郎氏に公式サイトに詳しいので、注釈を省いた。

 

「遊女の起源」

遊女 遊女の名称は詩の周南漢広の首章に出ている。即ち南有喬木、不可休息、漢有遊女、不可求思、漢之広矣、不可泳(思)、江之永矣、不可方思とあるもの之れである。楓橋漢水は後世に至っても、遊女の名所として我が神崎江口と対称せられて居る。然(サ)れば周代既に江漢の域、此者ありしを推すに足るのである。我が国に文字の見らるのは万葉集に天平二年冬太宰帥大伴卿が上京の際、遊行女婦児島と云うが別(ワカレ)を悲んで歌二首を詠じたのを初めとする。

  凡有者(おほならば)左毛右毛将為乎(かもかもせむを)恐跡(かしこみと)

     振痛袖乎(ふりたきそでを)忍而有香聞(しのびてあるかも)

  倭道者(やまとぢは)雲隠有(くもかくれたり)雖然(しかれども)

     余振袖乎(わがふるそでを)無礼登母布奈(なめしともふな)

 之に拠れば奈良時代に於いて所謂遊女なるものが、大宰府の津辺にあったものと見らる。

 降って大和物語によれば、遊女白女(シラメ)なるもの亭子院の御門が津の国河尻に幸せられた時召させられた事があり、白女歌を詠じて叡感に入ったと云う事である。

  浜千鳥とひ行く限りありければ

     雲立つ山をあはとこそ見ゆ

 又同じ帝が、津の国鳥飼の院に幸せられた折、此辺の遊女を夥多(アマタ)召させられたが、中に丹後守大江玉淵の娘と云うがあって、鳥飼と云う題で歌を上(タテマ)ったことがある。

  浅緑かひある春にあひぬれば

     霞ならねどたちのほりけり

 是また叡感斜ならず、帝袿(ウチギ)一襲と袴とを賜わり、上達部四位五位の人々まで、物ぬぎて取らせざらんものは座より立ちねと仰せられて、一同かづけものを与え、二間に余って積み置いたという事である。此女は古今著聞集十訓抄等によれば先の白女と同人なのである。 

 

(註1)周南漢広: 『詩経』国風周南編の「漢広」の事。『詩経』には、民謡を集めた「風」、雅楽とも言える音楽の歌詞である「雅」、祭祀に用いた廟歌の歌詞があり、「風」は、日本の『万葉集』に似ている。「国風」は、当時の15国の小唄・民謡と考えればよいだろう。「漢広」は、その題で、求愛の歌。興味ある方は、下記URLを、(壺斎散人と号される引地博信氏のサイトである。

(註2)南有喬木・・: 『詩経』の国風周南にある。文中()の部分は、脱字だろう。

 http://chinese.hix05.com/Shikyo/shikyo107.kankou.html

(註3)凡有者・・・: 下記URLを参照の事。

 http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/29260095.html

(註4)倭道者・・・: 下記URLを参照を

 http://hiro-ks.jp/manyou/manyou/MK6-966.htm

(註5)『大和物語』以下: 『大和物語』は平安期に、『伊勢物語』を擬して執筆された物語と言われるが、作者等の詳細は不詳。掲載された和歌は、145段と146段にあり、詳細は、下記URLを。

 http://plaza.rakuten.co.jp/masasenoo/diary/201105220000/

 http://plaza.rakuten.co.jp/masasenoo/diary/201106050000/

 

(註6)古今著聞集: 鎌倉時代、伊勢守橘成季によって編纂された世俗説話集。『今昔物語集』『宇治拾遺物語』を合わせ日本三大説話集。

(註7)十訓抄: 鎌倉時代中期の説話集、詳細不明。

 

 いやはや、編者あるいは当時の人の博学に驚いてしまう。漢文は、子供の頃より身近な存在だった事もあり、また高校時代、今の広島県立女子大学の副学長・図書館長の高橋清先生に毎週日曜日、『史記』『唐詩選』、現代中国語(中音字母)で習った事もあって、ある程度判断する事が出来るのだが、国文学となると、それこそ高校時代の古文の授業くらいしか記憶になく、少々面喰っている。

 

 その後、色々調べてみたが、これほどの地方遊郭に関する史料を未だ発見していない。換言すれば、当時の柏崎人の博学教養の深さを知るのである。また、何故に、江戸から明治・大正を通じて柏崎に著名な文人墨客が訪れたのか、納得もするのである。

 

 しかし今、先人によって培われた柏崎の文化は、奈辺に行くのであろう。一抹の危惧を抱きながら、『柏崎を読み解く次第である。

 

Best regards

梶谷恭巨

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