柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 さて、『柏崎華街志』だが、矢張り、社会の裏面史である。 読者の中には、抵抗感を持つ方もあるかもしれない。 ただ、一読するに、『柏崎華街志』は、当時の時代背景をよく表しているのである。
 

 今回は、著者小田金平の「自序」を紹介する。 興味深いのは、著者が、先ず引用しているのが、幸田露伴の『花街風俗志』の序文である。 兎に角、原文を紹介しよう。 

 幸田露伴氏「花街風俗志」の巻頭に序して曰く「花柳の事士君子之を語るを恥づ、然りと雖(イエド)も妓女の徳川氏の治世に於ける、実に当時の一大勢力にして、其の関連する所甚だ広く甚だ深し」と、豈(ア)に唯に徳川氏の治世のみと曰(イ)はんや、苟(イヤ)しくも吾人人類の其の跡を滅せざる限り、其の裏面に於ては、永(トコ)しえに花街柳巷と相関渉せざるを得ざらむ。吾が柏崎の花街未だ馬声廻合青雲外、人影搖動緑波裏の盛観を見ざるも、然かも楊柳傷心の樹、至(る)処に靡(ナビ)き、桃李断腸の花、不断に咲けるあり、況(イワ)んや其の沿革甚だ旧くして、若(モ)し今日に之れを探(タズ)ぬるに非すんば、杳(ヨウ)として又知ること能(アタ)はざるに至るの憾(ウラ)みあらんとす。予等自ら揣(ハカ)らず「柏崎華街志」を刊行し、敢えて之れを江湖に問ふもの、其の意全く茲(ココ)に存す。此の一小冊子、若し今日に於て、過去の柏崎と其の花街とを見る者に取り、多少の参考とならば、望外の幸となす所、ただ剪劣の才、粗笨(ソホン、大まかでぞんざいな)の文、よく柏崎花街の真面目を写す能はざるを遺憾とするのみ。

明治己酉十一月  梧桐、天凱、識 

(註)『花街風俗志』、著者・大久保葩雪(ハセツ、名は豊、別号に無心老樵葩雪、幕末から明治に活躍した、生年没年不詳)、1906年(明治39年)4月、隆文館(東京)発刊 序、幸田露伴、他に、『花街風俗史』があるが、序文も幸田露伴であり、出版社、出版年月が同じなので、同一のものと思われる。

  以下、少々長くなるが、『柏崎華街志』が恐らく影響を受けているであろう大久保葩雪著『花街風俗志』の幸田露伴による序文を紹介する。 原文は、旧漢字、旧仮名遣いである。 そこで便宜上、現代文に置き換えることもある。 

「華街風俗志序」

 花柳の事士君子之を語るを愧(ハ)づ。然りといえども妓女の徳川氏の治世に於ける。実に当時の一大勢力にして、其の関連するところ甚だ広く甚だ深し。徳川氏三百年間、詞章工技より音楽演劇に至るまで、花柳の事殆(ホトン)ど其の中心たるの観ありて、所謂(イワユル)徳川氏の文明は、花柳の事を除けば、剰(アマ)すところ幾何も無きに似たり。蓋(ケダ)し希臘(ギリシャ)の盛時、名妓輩出して、鉅公大人もまたこれに狎昵(コウジツ、慣れ親しむ)するを嫌わざりしが如く、島原芳原の殷(サカ)んなるに当たっては上下翕然(ギュウゼン、集まりあう様)として桃李の春色に酔い、人々ただ其の悦(ヨロコ)ぶべきを知って其の悪(ニク)むべきを知らざりしなり。
 是(ココ)に於て彼にヂミトリユス(デミトリウス)の寵を受けて二十五万元の石鹸料を得たるヲミヤありしが如く、此(ココ)に八宮親王の貴きをして自ら八と称するに至らしめたる八千代あり彼に二千金を贈りて歓を買わんとする論師ダイオゼニスを斥(シリゾ)けて巨樽を家とせる奇人ダイオゼニスを愛せしライスありしが如く、此に一笑を貴紳に吝(オシ)んで寸心を寒士に寄せたる高尾あり。彼に博学善論のヒバルチャありしが如く、此に多芸万能の芳野あり彼に蚤死して人の惜(オシ)しむところとなれる蘭心蕙質(ケイシツ、美人のからだつき、美しい性質)のバクチースありしが如く、此にも世を早(ハヨ)うして却(カエ)って名を留めたる幽婉嫻麗(ユウエンカンレイ、奥ゆかしく美しく、みやびやかでうるわしい)の玉菊あり。彼に彫刻家ブラキステルスのために其の嬌体(なまめかしい身体)を示すを厭(イト)わざりしヒリインありしが如く、此に画家歌麿の為に数々(シバシバ)其美貌を写されたりし喜瀬川ありき。噫(アア)また盛(サカン)なりというべし。是(カク)の如くなれば我が文学に於ける巣林、西鶴、其磧、京伝等が著は多くは皆其の境をここに取れるなり、師宣、祐信、春信、歌麿等が作は多くは皆其の材をこれに仰げるなり、音楽演劇に至っては、淫声冶容(みだらな声と艶めかしい容姿)と皆女閭遊郭の為に光を揚げ徳を頌(ショウ)するに近きなり、概して之を言えば徳川氏三百年間の一切の事相は、其の精神、其の形式、其の趣致、其の色彩、其の歴史、其の系統等に於て、花柳の世界と関係交渉せざるは無き也。此故に徳川期の文明を談ぜんとするものは、必らず先ず一部の花柳史を読了して之に通ぜざるべからずというも可なり。果たして然らば誰か肯(アエ)て花柳の史を無用の閑書とせんや。葩雪大久保君其の著わすところの花街風俗志を刊するに臨み、予をそて数言を巻頭に題せしむ。乃ち為に此の言を録す、知らず君の点頭して善しと称するや否やを。 

明治丙午仲春  幸田露伴識 

(註1)デミトリウス(ヂミトリユス)の話: 出典不詳。名前から推測して、ローマ時代の物語のように思えるのだが、不明。ご存知の方があれば、ご教授願いたい。
(註2)八宮親王の話: 江戸時代初期の後陽成天皇の第八皇子で、郭通いが高じ、万治二年に許されるまで、甲斐の天目山に流された。
(註3)ダイオゼニスの話: 樽に住んだというところからディオゲネス(文中、ダイオゼニス)と思われる。高級娼婦ライスは、ディオゲネスをしばしば訪ねた。貢がれた金をディオゲネスに貢いだと言われる。また、アレキサンダー大王が、ディオゲネスを訪ねた話は有名だ。 また、デモスゼニスというのも、ディオゲネスから類推すると、「デモステネス」かもしれない。もうし、そうであれば、反マケドニア運動を展開し後に自殺するデモステネスのことか? 時代背景を考えると、これらの話は、イソップ物語から引用されたのかもしれない。
(註4)高尾の話: 紺屋の職人と恋仲になった高尾大夫のことで、『紺屋高尾』という落語、浪曲がある。
(註5)ヒバルチャと芳野の話: 出典不詳。
(註6)バクチースと玉菊の話: 出典不詳。
(註7)ブラキステルスとヒリインの話: 出典不詳。
(註8)歌麿と喜瀬川の話: 喜多川歌麿の『五人美人愛嬌鑑・松葉屋喜瀬川』
(註9)巣林: 早稲田大学演劇博物館蔵の近松門左衛門の肖像画に、
「浄瑠璃歌舞伎狂言雑稽戯惣中祖 平安堂不移山巣林翁 近松門左衛門藤原信盛繡像」とある。
(註10)其磧(キセキ): 江戸期、寛文から享保年間に活躍した浮世草子の作者江島其磧、寛文6年(1666-享保20年(1735)。名は、京の大仏餅屋村瀬正孝の子、権之丞、通称、庄左衛門。尚、西鶴は「井原西鶴」、京伝は「山東京伝」
(註11)師宣: 菱川師宣、切手になった「見返り美人図」で有名。
(註12)祐信: 西川祐信、江戸初期から中期にかけての浮世絵師。
(註13)春信: 鈴木晴信、江戸中期の浮世絵師で、平賀源内の友人。
 

 以上、参考の為に、幸田露伴の『花街風俗志序』を紹介した。 

 尚、幸田露伴について若干触れる。 

幸田露伴: 1867822日(慶応3823日)~1947年(昭和22年)730日、本名は成行、別号には、蝸牛庵(カギュウアン)などある。尾崎紅葉ともに、紅露時代を築いた。詳細は、省くが、娘・文、孫・青木玉、曽孫・青木奈緒も作家(エッセイスト)、文才は遺伝するのだろうか。

さて次に、「凡例」を紹介する。ここには、意外に重要な情報が記載されている。兎に角、先ずは原文から。尚、この「凡例」に関しては従前どおりである。

「凡例」

一、 本書発刊に就いては幾多の先輩諸氏より多大の同情を傾倒せられ、或は有益の材料を与え、  或は親しく談話を試みらるる等直接間接に尽力さるる事、頗(スコブ)る多きが、茲(コ   コ)に聊(イササ)か其の芳名を列記して謝意を表せんと欲せしかど、却って礼を失するの  恐れあるを慮(オモンバカ)り、わざと略する事にせり。
一、 本書編纂に当り、多数参考書を渉猟せるが、一々之れを詳記するの煩(ワズライ)を避け、  其の重(オ)もなるもの二三を記して謝意を表せんとす。
一、 
北越史料出雲崎、同寺泊、花街風俗志、花柳風俗志、日本百科事典、刈羽郡案内、越後の婦        人、柏崎町鑑、国民百科事典、花柳巷談、二筋道
一、 本書は職業の余暇を以て編纂せるもの、且つ博学菲才の身を以てして到底完全の材料を拾収        するを得ず、大方諸君、編者のために叱評の労を吝(オシ)むなくんば幸甚とする所なり。一、 本書中の各地花柳界の沿革は僅かに其大要を録したるものにして、凡(スベ)ての調査は明       治四十二年五月現在に依れり。

 己酉十一月    編者 識

 (註)参考文献について。 尚、で示したのは、柏崎市立図書館蔵で、近代デジタルライブラリーからダウンロード出来る。は、柏崎市立図書館蔵。は、近代デジタルライブラリーからダウンロードできる。は、学会ライブラリーなど、一部有料で利用できる。×は、いずれにも無いようである。

『北越史料出雲崎』: 西澤新次郎編、佐藤書店、1906年(明治39年)9月刊。この史料に関しては、19776月、復刻版が発刊された。
『北越史料寺泊』: 河合孫七編、佐藤書店、出版年月不詳。
○『『花街風俗志』: 承前
『花柳風俗志』: 著者不詳。1905年(明治38年)博文館発刊の『文芸倶楽部』(定期増刊号1110号)に掲載された。
×『日本百科辞典』: 1908年(明治41年)から刊行された三省堂の『日本大百科辞典』の事か?
○『刈羽郡案内』: 関甲子次郎著、高桑儀作出版、出版年月不詳。
『越後の婦人』: 関木甲子次郎著、高桑儀作出版、1902年(明治35年)5月刊
○『柏崎町鑑』:  桑山直次郎編、これには、年度版があり、明治32年版(189911月刊(尚商館)と、中越新聞社刊の明治38年版(1905)があるようである。また、江戸時代、正徳元年に発刊された同名の『柏崎町鑑附沿革略考』がある。柏崎市立図書館蔵だが、写本との事。
×『国民百科辞典』: 明治41年(1908)、冨山房より刊行された『国民百科辞典』と思われる。
『花柳巷談二筋道』: 恐らく、明治39年(1906)、隆文館発刊、岡鬼太郎著『二筋道花柳巷談』と思われる。

 
 さて、ここで判るのは、当初書誌をよく確認しなかった事もあるのだが、編者が即ち「小田金平」であることだ。この小田金平氏について市立図書館に問合せしたが、明快な回答は得られなかった。ただ、先日(日)に木島さんと来月の連載に関する打合せをした時、柏崎に「小田印刷」という印刷の老舗があると聞いた。木島さんも、前後の事情から「小田印刷」ではないかと言うのである。私は、その存在も知らなかったので何とも言えないが、木島さんは現社長とも面識があるとの事なので、近々判明するかもしれない。
 ところで、「凡例」の冒頭にある如く、こう当時でさえ、矢張り遊郭の話は一般には禁句であった事が窺われる。しかし、前回紹介した『花街風俗志』の序文を書いた幸田露伴の言うように、文化あるいは文明と花柳界あるいは遊郭との拘わりは、重要である。言い換えれば、特に、文芸の世界は、花柳界や遊郭・遊女を抜きにしては成立し得ないのではないだろうか。
 人にはそれぞれに「アイデンティティ」がある如く、時代時代には、それぞれの「アイデンティティ」が存在する。人がそうであるように、時代にも建前である正史がある如く、裏面史が必ず存在し、表裏一体となって、時代を形成する。寧ろ、裏面史の中に、歴史の真相が埋没していると言っても過言ではあるまい。
 考えてみれば、映画やTVドラマ、否、原作である小説にして、社会の裏面が題材ではないか。言い換えれば、裏面史は、歴史の風景の様なものだ。そこに存在する人と背景が織りなして、歴史の風景を構成すると、私は考えている。そして、歴史的事実とは、歴史風景という時代の場に生じた「特異点」に他ならない。すなわち、歴史に学ぶ者は、その歴史風景の視点に立って、歴史的事実や事件の観察をしなければならないのではないか。序に言うと、こうした歴史認識を基に、現在と言う時点から俯瞰的に歴史を見るべきではないのだろうか。

 浅学にして菲才、大仰に陳述したが、ご容赦。

 今回は、先の遅れを取り戻す為に、本文の冒頭として、「内容」、恐らく目次であろう、それも付け加える。

「内容」
我国の花柳界
江戸吉原
京都島原
大阪新町
遊女の起源
  遊  女
  傾  城
  遊  君
  白拍子
  歌舞妓
土地と遊郭との関係
柏座の遊郭
  華街の起り
  遊女の起り
  貸座敷の事
  娼妓の事
  芸妓の事
雑事
  東郷上村二将軍来柏
  白石正利氏
  一九先生
  俳星碧梧桐
  白浪庵滔天
  遊郭に就ての発刊物
  剣の山の観月会
  昔の花街風俗
  其他
歌舞の師匠
芸娼妓の年中行事
柏崎の廓言葉
位置及附近の風景
柏崎の名妓
名物俚謡
越後より出たる名妓
紅塵余談
花柳界の迷信
越後の花柳界
  新潟 長岡 直江津 高田
  三条 村松 五泉 新津
  中条 新発田 津川 出雲崎
  寺泊 小千谷 相川 夷港
  小木 二見
附録
  柏崎著名の料理店
  柏崎華街細見記

以上。 さて、次号から本文に入る。

Best regards
梶谷恭巨


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