柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 スーパーなどのサービス袋(レジ袋)が問題にされている。 何でも、年間使用量は、
全ての日本人が年数回使用したことになるそうだ。 そこで、レジ袋について調べてみる
と、ほとんどが輸入であるようだ。 日本貿易統計によると、2005年の総量が約4億
5千万枚だ。 内中国からの輸入がおよそ半数を占める。 しかも、年々増加しているよ
うだ。

 ところで、私のように買物や家事もする立場から見ると、マスコミや環境団体の「レジ
袋の有料化」や「マイバッグ」などの提言に首をかしげることがある。 「じゃあ、ゴミ
袋はどうするのか?」 この地区では、不燃ごみや分別ごみを除き、週3回可燃ごみを収
集する。 大抵、レジ袋をゴミ袋として使用している。 我家の場合は、少々事情が異な
るが、家庭ごみは週三回、私のごみは週一回の割合で処理している。 家庭ごみは、大抵
レジ袋だが、私のごみは購入したゴミ袋を使用するのが通例だ。 買置きのゴミ袋が無け
れば、私もレジ袋を使用する。 要するに、レジ袋が購入したゴミ袋と代替するだけで、
ゴミ袋の使用量は変わらないのだ。

 ただ、スーパーでの買物(食品が主)以外で使用されるレジ袋には問題がある。 実の
ところ、ポリエチレンの袋だと、その形状やサイズで、大抵は「ごみ」になってしまうの
だ。 団塊の世代である所為か、何につけても「もったいない」で、「何かに使えるので
は」と、そうした袋や紙袋、更には包装紙やパッケージまで貯め込む傾向がある。 これ
も、結局は「ごみ」なるのだ。

 視点を変えると、スーパーなどは、「レジ袋」が「ゴミ袋」として使用されることを前
提に、サービスとして提供していると考えることも出来るのだ。 そうすると、最も使用
量の多い、且つ最も問題にされるスーパーなどの「レジ袋」が、単なる有料化やマイバッ
グで減少しても、ポリエステルの袋が減少するとは言えないだろう。 レジ袋が減って
も、ゴミ袋が減る訳ではないのだ。 むしろ、大家族では、家計の負担になるのかもしれ
ない。 それに、例えば、スーパーが「レジ袋」ではなく、「ゴミ袋としてご使用くださ
い」と、サービスとして提供することさえ考えられるのだ。 そこで、消費者(家庭の主
婦)は、勿論、そうしたサービスを提供するスーパーを選択するだろう。

 結局、「レジ袋」の問題を環境問題に結びつけることに「首をかしげる」ことになる。
 もっと、本質的解決策があるのではと。 例えば、ごみの収集のシステムを改良すると
か。 昔は、生ごみも大型のごみバケツに直接入れたものだ。 しかし、何時の頃から
か、見なくなった。 可燃ごみも、PCBなどの問題で農家でも焼却が出来なくなった。
この辺りでも、ごみの量が急激に増えたのは、その頃からだ。

 「元から断たなければ、ダメ」というのは、誰もが知ってる問題解決の基本原則だ。 「レジ袋」の問題の背景に、ごみ問題があるのなら、その生産地である家庭のごみの問題を解決しなければならないのでは? もっとも、都市(市街地)の場合は事情が違うだろう。 ならば、その条件や環境を視点に置いた問題提起や解決策の提案があってもいいのではないだろうか。 全国版のニュースや解説で、一律に「レジ袋」問題が取り上げられると、一律の世論が形成されるようだ。 我住むは「在郷」の農村地域の町内会。 次の日曜日に臨時総会が開かれる。 問題点は異なるが、排水溝に関する地元負担金の世帯別負担の問題だ。 恐らく、都市部には無い問題ではないのでは? (農村地帯では、一般排水と農業用排水は、別系統なのだ。)

 まあ、一流の権威者がされる事。 それ位の事は御存知だろう。 ただ、「レジ袋」と「Mottainai」の風呂敷の話、解る様で違和感もある。 この日曜日、今年初めての雪景色、全てを覆う白色も、今日は半ば解けて、陰鬱な冬景色、これから久しぶりに街に行く。

(12月5日)『柏崎通信』415号から転記

 迂闊といえば当に迂闊である。 ネットワーク化が進むと、その内容に関する権利関係が複雑に広がっていく。 ブログ化で、当惑したのは、別の問題だったのだが、その後、友人からメールをもらい、権利に関する指摘を受けた。 確かにそうなのだ。 日本の場合、権利関係の問題は、必ずしも一般に浸透していない。 確かに、米国のブログにおける実名率の高さには驚いていたのだが、もう一つのビジネス動向のことを失念していた。 実は、ブログ・コンサルタントなるビジネスが急速に増加しているのだ。

 そこで、調べてみると、どうも最初に受けた印象と異なるのだ。 デザインや書き方に関するコンサルタントが主流だと思ったのだが、どうも、もう一つの問題がコンテンツに関する権利問題にあるようなのだ。 例えば、こうした会社は、公開されるブログを全て調査し、そのブログに権利関係が発生するようであれば、それをネタにコンサルタントの話を持ちかけるようなのだ。 一時期、ホームページのコンサルタントがもてはやされた事がある。 この時も、やはり当初はデザインや文章に関するコンサルタントだった。 最初に見つけたのは英国のサイトだ。 しかし、一時期と書いたように、このサイトも消滅している。 矢張り、権利問題が背景にあったのだろうか。

 文明が爛熟すると、ギャンブルあるいは投機的ゲームが流行する。 その過程をトインビー的に言えば、参加型から観戦型、さらに投機的ゲームへという流れになる。 ゲームの本来の意味は、「獲物」だ。 獲物に対する権利、あるいは囲い込みが発生する。 囲い込みが完了すると、狩場は限定された階層の人々に独占される。 英国における「囲い込み運動(エンクロージャー・ムーヴメント)」も、その辺りの事情を考えると、「なる
ほど」と納得できる。 要するに、社会が成長の頂点に近づくと、「囲い込み」現象が生れるのではないだろうか。 考えてみれば、「出会いサイト」の迷惑メールも一種の負の囲い込み現象と考えられないこともないのだ。 情報格差における弱者が「獲物」になる。 出回ったアドレスなど個人情報により「猟場」が形成され、囲い込まれた獲物は益々限定されて、繰り返し被害に会う。 事実、俺おれ詐欺や督促状詐欺の被害者には、こうした傾向が見られるそうだ。

 私自身、こうした問題に関しては、紺屋の白袴的傾向がある。 知識としては理解しても、現実的には先入観や思い込みで、大きな失敗をする。

 確かな話ではないのだが、以前にも書いたことのあるトム・クランシーの特許に関するエピソードに、『レッド・オクトーバーを追え』で使用された「キャタピラ・エンジン」に関する特許問題がある。 フィンランドの科学者が、このエンジンの概念を発表していたのだ。 それ以後、IBMの特許データベースで「トム・クランシー」を検索すると、特許の使用権に関する記載にヒットが多く見られるようになった。 また、マイクル・クライトンについても然りである。 作品の発表間隔が長くなるのも、そうした背景があるのだろうか。

 いずれにしても、ネットワーク化社会に、権利問題が大きな影を投げかけることが予測される。 私も含め日本人は、こうした権利関係に関する法律に疎い。 情報化・ネットワーク化社会が拡大すれば、今まで単に「情報格差」と考えていたものが、「情報による権利格差」へシフトするのではないか。 そんな事を考えると、先行きに暗雲を見る思いがするのだが、さて皆さんは、どう考えられるだろうか。

(12月1日)『柏崎通信』414号より転記

http://qkasiwazakitusin.blog.shinobi.jp/
これは「旧・柏崎通信」のリンク先です。
作るなら「柏崎通信」の1号から作ってくれというので
急遽作りました。
何しろ膨大回数ですので1度に載せきれないので
少しづつ載せていきます。

現在の「柏崎通信」とは
http://kashwazakitushin.blog.shinobi.jp/
リンクで結びました。
リンクをクリックして下さい。

「柏崎通信」の書き込みのReの書き込みは
コメントに書き込みましたので、
コメントをクリックして下さい。
 実に当惑している。 『柏崎通信』が、ブログとして公開されてしまった。 良かれと
思って公開されたことだから、まあ、致し方ない。 しかし、丁度、そのブログについて
書いた所だった。 当惑が加速される。

 何しろ、実名で公開するか、匿名で公開するかをテーマにしていたのだ。 そして、私
は、実名派なのだ。 書くことには責任がある。 ところが、私には、その心の準備がな
いのである。 何しろ浅学の事、自信などあるはずがない。 文章にも自信はない。 ま
あ、ブログにするとすれば、500回くらい書いて、何とか自信が持てればと考えていた
のだ。

 そこで、「さて、どうする」と言う事になる。 自分のブログと言う事になるのだろう
が、何しろ自分が作った訳ではないのである。 これは相当にクレームが付きそうだ。 
覚悟しておく必要がある。 善意から出たことだから致し方ないのだが、さて、どうした
ものか。

 ホームページやブログを作らないのには理由がある。 先に書いたことも事実だが、公
開することに対する責任の重さを理解しているからだ。 読者に対してだけではなく、ML
のメンバーに対しても責任があるのだ。 公開された以上、責任のある内容を書く心算だ
が、その辺りで、御容赦頂けないだろうか。

Best regards
梶谷恭巨
 面白いデータがある。 ブログを実名で書くか、あるいは匿名で書くかというデータ
だ。 実は少々驚いている。 日本のブログの実名率は5%、米国の実名率は55%なの
だ。 また、世界で最もブロードバンドが普及しているといわれる韓国では、ブログを匿
名で書くことは、ほとんど無いと言うのである。 さて、この事実をどう考えればよいだ
ろう。

 どうして日本の実名率が圧倒的に低いのだろうか。 倫理的感覚の相違か? ところ
が、同じ儒教の影響のある韓国の場合、ほとんどが実名だと言うのだから、儒教的倫理が
背景にあるとは考えられない。 韓国のIT研究者は、韓国人は、昔から近所付き合いが特
別だと云う。 例に挙げたんは、隣のスプーンの数まで知っているのが韓国の近所付き合
いだと云う。 兎に角、隣のことを知ることが韓国という社会の一種の安全弁なのだそう
だ。 これには、歴史的背景がある。 戦前戦後、あるいはそれ以前、分裂や侵略、ある
いは民族の移動など、歴史的要因が「他者を排除する→一族や近所を知っていなければな
らない」という構図を生んだのではないかと考えられることだが、それがネットワーク社
会にまで拡大するものだろうかという疑問もある。

 それでは、意外に思った米国の場合は、どうか。 研究者によれば、米国のブロッガー
には、ブログを書く事自体に、他人にメッセージを書いているという意識がないのだと言
うのだ。 言い換えれば、家族や友人にブログを書いているという感覚なのだそうだ。 
「え!、ホント」と思うのだが。

 実は、このテーマ、NHKの『英語で、しゃべらナイト』で知った話しだ。 スタジオと
日本・中国・韓国・米国・英国でチャットを行い、上手く友人を作ることが出来るどうか
を実験していたのだ。 勿論、もっとも下手なのが日本人だ。 「シャイ」ということだ
けでは済まされそうにない。 単純に文化の違いというのでもなさそうだ。 そこで、話
題になるのが、急速に普及する「ブログ」である。 その「ブログ」に対する考え方が、
先に書いたデータや研究者の論評があった訳だ。 もし見た方がいれば、「少し違うので
はないか」と言われるかも知れない。 左様、実は途中から見たので、意識に残ったの
が、データと2・3の研究者の話だけだったのである。 その点は、御容赦を。

 さて、日本におけるブログの匿名性の問題、広く考えれば、現在問題になっているネッ
トワーク社会の匿名性にも通じる。 しかし、このデータを知るまでは、ネットワーク社
会全体の問題と短絡に考えていた。 その例が迷惑メールだ。 最近では国際的だ。 私
のところには、この所、海外の迷惑メールが急速に増えている。 但し、内容は少々異な
る。 日本では「出逢い系」だが、海外からの迷惑メールは、差出人は女性だが、内容は
低利の融資や投資の話しなのだ。 英文ばかりか仏文のメールもある。 フランスは要注
意だ。 以前、記憶にない請求がフランスから来たことがある。 クレジットカード
(JCB)に確認したところ、一応、問題は解決したが、その時の担当者の話で、フランス
からの不正請求が増えているとの事。 「有名ブランドの50%は旅行に来た日本人が、
残り50%は日本に輸出して日本人が買う」というジョークがあるそうだが、これも、そ
の表れか。 もっとも、アドレスから推測すると、どうも国内が発信地のようなのだが。

 どうも論旨がまとまらない。 転寝して風邪を引いたようなのだ。 まあ、それは措く
として、匿名性の問題、改めて考える必要がある。 当初、海外からの影響かと考えてい
たのだが、どうも日本の文化に原因がありそうだ。 先日、友人にパチンコ文化論(大し
た説ではないのだが)について話した。 昨年まで、遊び(ギャンブル)と文化について
調べていたのだ。 パチンコの歴史を調べると、実に面白いことがわかる。 よく景気と
の関係が論議されるが、そのことではない。 パチンコの遊戯者層の変化なのだ。 例え
ば、25歳以下の人口が25%を越えると戦争が起き易い、といった経験則に似ている。
 パチンコには、4つの黄金期がある。 その時、その誘引になっているのが、遊戯者層
のトリガー年齢や男女の遊戯状況なのだ。 簡単にいうと、現在のパチスロへのシフトに
着目しているのだ。

 一見何の関係も無いように思われるのだが、パチンコでは一種のコミュニティが形成さ
れる。 しかし、パチスロには、それが無いように思えるのだ。 台と台の間の通路を
「川」という。 パチンコの場合、この川に、本来のパチンコとは無関係な人の移動が生
れる。 高齢の常連が多い為か、この移動は、一種の社交の表れなのだ。 しかし、その
場限りのコミュニティだ。 ホールを出ると、多少の挨拶は交わしても、それだけのこと
だ。 そう、ホール内では、一流のパチンコ論を論じても、その場限りの交流なのだ。 
何かに似ていないだろうか。 匿名を前提にしたネットワーク・コミュニティを思い浮か
べるのだ。 これに着目した企業がある。 HANゲームというゲーム・交流サイトだ。 
ヴァーチャル・ホールがある。 そこでは、パチンコとともにチャットが出来る。 一昨
年、瞬間アクセス数が4000を越えたという。

 ブログから話しが飛躍したが、ホームページと併せると1600万が存在する社会、実
名性が5%の日本で、文化の大変動が生れているのではないだろうか。 その影響の波紋
が、「遊び」に及んでいる。 鼻が詰まり、頭痛がする。 まとまりの無いことを書いて
しまったが、冒頭に書いた、実名性のデータ、多くのことを考えさせるデータだ。 ま
あ、報告ということで御容赦を。 


カウンター
プロフィール
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76
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男性
誕生日:
1947/05/18
職業:
よろず相談家業
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歴史研究、読書
自己紹介:
柏崎マイコンクラブ顧問
河井継之助記念館友の会会員
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