柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 先週の日経の特集『ネットと文明-第7部「覇権の功罪」』の第一回目のテーマが「言
葉の競売」だった。 先ず、その表現に驚いてしまった。 「言葉の競売」 インター
ネットという世界の中だけの出来事とは言い切れない、何かを感じる。 確かに、検索エ
ンジンのリンクと検索頻度の高い言葉を関係付け、それを広告の延長と考えれば、言葉も
競売の対象になるだろう。 しかし、何とも違和感を感じる表現だ。 これでは、何でも
賭けの対象にする英国のブックメイカーではないか。

 しかも、その競売で最高値がついたのが、「データ修復」だそうである。 日経によれ
ば、最高額が2400円を越えたそうだ。 しかも、落札したデータ修復センターは、
「約15万の関連語に広告を出した」というのだ。 ヒット一件につき料金が掛かるのだ
そうだが、それにしても、相当の金額なる。

 データ修復市場が形成されたのは、そんなに古いことではない。 米国の一地方の会社
が修復の専門分野を独立させた。 それに目を付けた大手のデータ処理企業が、その会社
を買収した。 一昨年のことである。 当時、日本には、大規模なデータ修復会社は無
かった。 それが、先に揚げた「データ修復センター」のような「大手」といわれる企業
に成長したのは、つい最近のことなのだ。 データの重要性に対する認識は、どの企業に
もあったのだが、どうも日本人は情報という無形のもに価値を見出さない習性を捨てられ
ないのか、米国のデータ修復企業が上陸して初めて、企業化に乗り出す始末だ。 しか
も、一挙に大資本を投じてくる。 先駆的な小企業は、結局、このあおりを食って、消滅
したのだろうか。 一昨年、数件あったハッカー的小規模業者が、検索にヒットしなく
なっているのだ。

 「言葉の競売」は、未だ実態が掴めない。 そこで、これならば経験豊富な「データ修
復」についての思い出話を。 データの修復は、一つ間違えば、犯罪的行為になる。 
ハッカーの本来的意味から、ハッカーと言うが、データの修復は、ハッカー的技術を必要
とする。 勿論、その前提として、OSやデータあるいは媒体の構造に関する知識と技術
が必要だ。 例えば、HDが破損したとしよう。 少なくとも、デバッガーが起動できる
環境なら、残存するデータを移転し、再構成することが可能だ。 ところが、最近の人た
ちは、PCの基本構造さえ理解していない場合が多い。 そんな訳で、昔話と言うことに
なる。

 データの修復は、プロテクトの解除に通じる。 物理的プロテクションを除き、大抵の
プロテクションは、データのエントリーに、その情報を持つ。 実は、重要なのが、この
エントリーの部分なのだ。 要するに、エントリーは、基本的にプロテクトされていな
い。 ここに、そのデータあるいはファイルに関する基本的属性が書き込まれている。 
ファイルとファイルの境目には、通常、2バイトのデミリッター(区切り)、データと
データとの境目には、1バイトのデミリッターがある。 重要なのは、前者のデミリッ
ターの後に来るファイル属性部分だ。 ファイル名・基本属性(長さ・形式など)があ
り、その後に、そのデータの所在情報(先頭アドレスへのポインタ)があり、最後のデミ
リッターのアドレスが書かれている。 最近のファイルは大抵の場合、可変長である為、
また空き領域を有効に利用する為、分散するデータ毎に次のデータへのポインターがデー
タ部の最後に付けられている。 実は、このポインタを芋づる式に追いかけることが、基
本なのだ。 しかし、日本語の場合、データは単純ではない。 通常、全角データの場合
は、4バイト以上の構造だが、その内属性を示す部分は、データと並行する別系統の連続
体だ。 言い換えると、データは複線構造になっているのだ。

 そこで、デミリッタの発見の方法だが、表示を16進数にして、その検索ツールを使
う。 捜すのは、ライアンフィード(LF)とキャリジ・リターン(CR)という制御
コードの並びを探す。 Windowsであれば、ファイル名も最大長があるので、それを見つ
けることも一つの方法だ。 ただし、空白部は、通常「ノップ(00)」だが、可変長
ファウル構造の場合、空き領域に上書きするので、削除したデータが残っている場合があ
る。 いずれにしても、力仕事である。

 以上、HDが破損した場合で、且つ、接続PCが使用できない場合の一方法だ。 一
応、システムが稼働状況にある場合は、ファイル情報をレジストリーで捜すことができ
る。 しかし、実は、こちらの方が面倒だ。 間違えると、システムそのものがダウンす
る。

 昔経験したエピソードを。 NECにLANシリーズというアプリケーションがあっ
た。 ユーザーがバックアップが欲しいという。 違法コピーということになる。 一
応、了解を得て、先ず、プロテクションを外す。 その時のキーは、何と非表示文字だ。
 EBCDICコードである為、一旦ASCIIコードへの変換が必要だ。 しかし、F
DあるいはHDをダイレクトに読み出す場合、変換を必要としない。 直接読み大書き込
み命令による簡単なプログラムを書けば済む事なのだ。 コロンブスの卵のようなもの
だった。

 もう一つエピソードを。 ある有名なメーカーの財務管理のプログラムがあった。 こ
れをHDで使えるように改造してくれと言うのだ。 さて、どうしたものかと考えた。 
先ず、プログラムが何で書かれているかを把握する必要がある。 16進コードを見れ
ば、大抵のプログラムが想定できる。 高価なアプリなので、まさかとは思ったのだが、
使用された言語がBASIC・コンパイラであることが分かった。 完全コンパイラでは
ないので、ディスアセンブルが意外と容易だ。 ソースコードに変化して、インタープリ
タで実行するが、どうも上手くいかない。 何と、驚いたのは、アプリ起動時に、プログ
ラムの書き換えとマージ(連結)を行っているのだ。 ソースリストを出してみても分か
らない道理だ。 導入部を書き換えて、問題解決。

 こうして書くと、何だか後ろめたさを感じる? 心当たりの方が、メンバーに。 ま
あ、既に時効かと。 大昔のエピソードだが、重要なのは、PCの世界では今も基本にお
いて大した変化がないという事だ。 先日も、昔の部下が訪ねて来た。 データの修復が
したいのだがと。 手順は教えることが出来るのだが、基本的知識と技術が無い。 余り
にも便利になりすぎたPCの世界。 何でもツールを使うことが出来る。 どうも、それ
が落し穴ではあるまいか。 コンピュータの世界に携わって、既に30有余年。 社会調
査研究所とIBMで、徹底的に教え込まれた基本的技術は、「三つ子の魂百まで」ではな
いが、関連記事などを見ると、昨日のことのように思い出される。
 「行不由徑(行くに、こみちによらず)」、『論語』(雍也第六、ようや)にある言葉
だが、先日、諸橋徹次先生が、この言葉を座右の銘ににされていたことを知った。 「な
るほど、正論・大道を行かなければ、あの『大漢和辞典』は完成しなかったということ
か。」

 ところで、メンバーの一人である西澤君が、シナリオ講座という連載を柏崎マイコンク
ラブの掲示板に書いている。 私が、彼に敬服するのは、映画の助監督から始まったであ
ろう映像に対する信念を持ち続けていることだ。 まさに、「行不由徑」ではないか。 
こういう人が、最後に大成するのであろうか。 少々歯車の合わないところもあるのだ
が、傍観しているのではなく、期待をこめて見ている次第だ。

 それに比べると、どうであろう。 私などは、何とも横道の多い人生を歩いてきたもの
だ。 ただ、西澤君の話は、実に面白いことを示唆してくれる。 コンピュータの技術者
の在り方についてだ。 彼の場合、コンピュータや技術は、自己の表現の為の単なる道具
である。 しかし、これが、コンピュータの技術者の場合は、その道具を作る立場なの
だ。 ある時は、データベース、ある時は、数値解析、しかし、時には、ホテルの予約管
理や市販のソフトでも済むような業務システムまで、手がけなければならない。 即ち、
その都度、価値観や観念さえ変えなければならない場面に遭遇する。 何しろ、クライア
ントが最優先される社会なのだ。 その意味では、傭兵に近い、あるいは、傭兵そのもの
かも知れない。 未だ纏まってはいないのだが、いつかは、「傭兵の倫理」について書こ
うと思っているくらいなのだ。 要するに、「行くに、径に由らず」ではなく、「径に迷
い、大道を失う」危機と常に相対している訳だ。

 「ああ、それで、戦史とか軍事学を」と言う人がいれば良いのだが、中々そうは見ても
らえない。 先に付け加えると、軍人と言う場合は、国家と言う前提がある。 (一例と
して、ハッチントンの『The Soldier and The State』。) そこで、「傭兵」と書いた
訳だが、これにも実は問題がある。 まあ、この話しは別の機会に書くことにしよう。 
それこそ、径に迷ってしまいそうだ。

 話しが、あらぬ方向へ進んでしまった。 実は、論語の「行不由徑」には続きがある。
 それを書くと「径に迷う」。 要するに、諸橋先生が、この言葉を座右の銘とされたこ
とには、何とも深い意味がありそうなのである。 因みに、ある対談の中で、諸橋先生の
「言葉が消えていく。 何とかしなければならないと考えたのが、大漢和辞典編纂の動機
だが」との言に、「それは、戦前もそうでしたか」と司会者、「そうです。 ・・・」
と。 この辺りの事、解釈は皆さんにお任せする。 参考のために、次のサイト(Web
漢文大系)を。
 今回は、資料からどの様に必要なデータを検索するのか、その方法の一つを紹介する。
 インターネット上の文献から必要なデータを検索する一種のデータ・マイニングの方法
といえるだろう。

 インターネットが利用できれば、歴史のデータの多くを必要な歴史サイトから検索でき
る。 (歴史ばかりではない。 例えば、青空文庫あたりの文学作品のテキスト分析にも
使える。) そこからが問題だ。 例えば、先回採り上げた「新選組」の問題があるとし
よう。 関連サイトは山ほどある。 その中で、有効と思われるものを見つけ、それを資
料としてダウロードする。 サイトをそのままコピーすると、使い難いものだ。 先ず、
画面を適当な大きさにコピーできない。 これには市販のソフト、例えば『すぐれもの』
のようなものもあるのだが、コピーから必要な項目を検索するのは難しいから、プリント
アウトして、そこから手作業で捜すことになる。 実は、これを容易にする方法を紹介す
るのだ。 (あまり、紹介したくはないのだが?)

 先ず、必要なソフトがいる。 画面データをPDFに変換するソフトだ。 色々使って
見たが、矢張り「Adobe」のディスティラーが便利だ。 ディスティラーに相当する
ソフトでも良い。 何しろ、「AdobeAcrobat」は高価である。 しかし、A
dobeの場合は、仮想プリンタとして使えるからだ。 インストールすると、プリンタ
登録が自動的に行われる。 ここまで書くと、既に解った人がいるだろう。 要するに、
PDFファイルとしてコピーするのだ。 Adobeの場合は、ファイル出力になる。

 ページ設定、あるいはプリンタ設定で、適当なサイズに縮小するのが良いだろう。 こ
うすると、プリントアウトするとき便利だ。 そうすれば、アクロバット・リーダー(V
er.7が推奨)の検索を使って、必要なデータを検索することが出来る。 例えば、
「新選組」の場合で言えば、「越後」をキーワードに検索すれば、Ver.7の場合、右
ウインドウに検索ヒット件数とヒット項目が表示される。 この例で言えば、7件がヒッ
トする。

 最近、インターネット上の情報も、コピーガードがある場合がある。 しかし、この方
法だと、簡単にファイルに落とすことが出来る訳だ。 少々テクニックを必要とする場合
があるが、大抵の場合、何とかなるものだ。

 テキスト分析にも使える。 例えば、新聞記事をこの方法でファイル出力する。 マー
ジして、大きなファイルにし、アクロバットで検索すると、ターゲットの項目の使用頻度
などを簡単に見ることが出来る訳だ。

 インターネットは、情報の宝庫だが、発見の方法を知らなければ、猫に小判だ。 ま
た、折角見つけた情報でも、いちいち手作業で分析したのでは、時間の浪費だ。 そうか
と言って、高い金を出して業者に依頼するのも、高価なデータ・マイニング・ツールを買
うのも、企業ならまだしも、個人では不可能だ。 一種ハッカーまがいの方法論だが、使
い方は邯鄲で、少なくとも私は重宝している。 他にも方法はあるのだが、基礎知識が必
要で、多分にややこしい。 この方法、一度、試しては如何だろう。

Best regards
梶谷恭巨

 幕末、今の小千谷市に数学の天才が出現した。 関流和算の第七伝山口坎山(和、1781?-1850)が見出した後の第八伝(最後の伝承者)佐藤虎三郎(雪山、1814-1859)である。 後年、湯川秀樹博士に、彼をして、「今に生きれば、間違いなくノーベル賞を受賞したであろう」と言わしめた。

と言った書き出しで書くと、小説じみてくるのだが、調べてみると、実に興味深い人物なのである。 以前から思っていたことなのだが、柏崎には、和算の学者が多い。 その一人が、最後の大算者といわれる山村禎治(雪斎、1830-1922)である。 また、その最初の師が、黄金屋(きがねや)植木彦吉なのだ。 植木彦吉の家は、偶然にもマイコンクラブの植木君の本家筋に当たる。 このお盆、そのこともあり、植木君にお願いして、その本家を訪ねた。 何か資料のようなものが残っていないかと考えたからだ。 残念ながら、そこまでは行着けなったが、本家の奥さんと、丁度法要に見えた菩提寺の住職(御前様というそうだ)と話す機会を得た。 そこで、改めて、興味が湧き、あれこれと調べた結果、黄金屋植木彦吉が、山口坎山の門人控に記載されていることを確認した。 植木彦吉は、早くから村山禎治の才能に着目し、同門でもあり、既に師でもあった佐藤雪山に村山禎治を託すのである。

さて、そんな経緯から、実は初めて、佐藤雪山の存在を知る。 ところが、佐藤雪山を調べる過程で、もう一人の人物に出会う。 すなわち、後に『三要素略説』(熱・光・電気は同じものと提言した?)を著した広川晴軒である。 広川晴軒は、柏崎の三余堂(藍澤南城)で学問を修め、小千谷のに帰り家業の町見術(測量技術)を継いでいたが、既に神童と噂されていた佐藤虎三郎と出会い、その才能に驚嘆する。 以降、年齢を越えた親交が始まり、後年、入門までしているのだ。 雪山が単なる和算学者あるいは算者の域を越えた背景には、この広川晴軒の存在がある。 また、付言すると、もう一人の存在がある。 蘭医石阪栗堂である。 詳細は省くが、この三人は、一種の盟約を結び、互いの専門分野を交換して勉強し、研鑽に励んだようだ。 小千谷と言う、それ程広くもない天領(会津藩預かり、同藩の陣屋があったそうだ)にこれ程の才能が集中したと言う事は、驚くべきことだ。 (状況が柏崎と似ているように思われる。)

それにしても、当時の学際ネットワークには驚いてしまう。 例えば、小千谷と水原、あるいは江戸との距離は、現在では想像も付かないくらいに遠いのである。 そこに、師弟関係が成立し、且つ頻繁に交流があるのだ。 当時、人々は、どのようにして師を得たのだろうか。 ここに、一つの例がある。 司馬遼太郎の『胡蝶の夢』に、一方の主人公、島倉伊之助が、佐渡から松本良順方へ弟子入りする場面がある。 佐渡は、天領であり、その為、江戸との関係が深い。 庶民においても人脈が潜在的に存在するのだ。 伊之助の伊右衛門は、伝を頼り、順天堂の起源にもなる佐倉藩の蘭医佐藤泰然方への入門を目指すのだが、伝の又伝で頼んであるものだから、江戸に出ても、伝頼りで行き先も定かではない。 結局行き着いたのが、幕府の御殿医松本家だ。 松本良順は、佐藤泰然の次男だから、当たらずとも遠からず、むしろ後のことを考える奇貨を得たのかもしれない。 要するに、人を介さなければ、目的に至らないのである。 言い換えれば、人のつながりと言うネットワークの存在が、日常においても、他の社会システムにおいても、不可欠なものだったのである。

少々話しが横道に逸れたが、佐藤雪山が、算学者として大成する背景には、その才能のみならず、彼が縮商として江戸・京阪辺りまで行商に出かけたこともあるのではないだろうか。 すなわち視野の広さと言うことだが、反面、そうしなければならなかった家の事情から考えれば、仕事の合間、旅の宿で寸暇を惜しんで勉学した、その情熱にも驚かされ、小千谷と言う越後の片田舎にあって、関流の正統(長谷川派)を継承することにも、納得するのである。 因みに、関流和算の正統の継承者は、代々、端渓の硯を受け継いだそうだ。 尚、佐藤雪山の著作として残るのは、『算法
円理三台』(1846)、雪山を継承した村山禎治(雪斎)の『通機算法』に序文を書いている。 因みに、「通機堂」は、雪山の数学道場のことである。 余談だが、晩年、安芸(広島)藩士、法道寺和十郎が雪山を小千谷に訪ねた時、解題に実験を行っている。 ここにも、雪山が、算学を趣味・道楽としてではなく、実学と考えていたことが窺える。 その後、法道寺和十郎は、再度、雪山を訪ねるのだが、その時、雪山は既に亡く、霊前に額ずき「雪山先生が最後の先生でした。 教示を頂けず、親を失った子供のように頼るものがなくなった」と言い、悄然と安芸の国に帰って行ったと伝えられている。

ここにも広島と越後をつなぐ縁がある。 世の中は、何とも不可思議な縁の糸で繋がれているのかも知れない。

Best regards
梶谷恭巨

 物事を見るのに何でもかんでも図式化する習性がある。 図式化といっても、一種
のイメージの地図を作るのだ。 こうした方法との出会いは、高校時代に読んだ認知
心理学の一冊の本から始まっている。 そこでは、「意味空間」あるいは「意味地
図」と表現されていた。 それが、長い年月を経て、習慣化してしまった。 ただ、
この方法には良い面と悪い面がある。

 物事を俯瞰的に眺め、それをネットワークとして表現するのだから、問題点を発見
し、その解決策を検討するには、非常に有効な方法だ。 それに、図式化することに
よって、見えないものが見えてくる。 しかし、反面、視野が広がるだけに、問題の
焦点が絞り込めない。 「木を見て、森を見ず」ではなく、「森を見て、木を見ず、
故に、木の本質を知らず」とでも言うべき状況も出現するのだ。 どうも、これは私
自身の問題のみではなく、社会にも適用できることなのではないか。

 一昨日、柏崎祇園祭の最終日を飾る海上大花火大会が開催された。 開始直前にに
わか雨が降り、「ああ、昨年の二の舞か。 今年失敗すると大変なことになる」と思
いながらも、駐車場を探して、うろうろ。 結局イトーヨーカ堂の駐車場が穴場で、
そこから海に向かって、今度は場所探し。 雨を心配しながらも、何とか、場所を見
つけた。 さて、花火はどうかと言えば、始めは風も無く、煙が流れないので、どう
なることかと思っていたが、中盤の山場辺りから、花火の残光かと思えば、北極星。
 風も出てきて、花火には最適に近い状況になった。 フィナーレに近い東電の「超
ベスビアスワイドスターマイン・プラネットパラシュートダンス」辺りから、自然発
生的に拍手が起こり、「怒涛の尺玉300連発」、柏崎市民協賛のフィナーレでは、
子供たちまで踊りだす躁の状態。 まさに感動ものだった。 しかし、その後が問題
だ。 帰るタイミングを逃したため、帰宅まで何と2時間半、渋滞に巻き込まれて、
感動の反動は疲労に変わる。

 一日おいて、改めて「花火の感動」を振り返ると、「さて、あれだけの感動、宴の
後にすべきではない」との思いが湧く。 そこで、見回すと、あることに気付くので
ある。 「海上で行われる花火としては日本一」、「日本海に面する海浜公園は素晴
らしい」、「美術館・博物館街道といわれるくらい文化的資産が豊富」、「川には鮭
が遡上する」などなど、「日本石油の発生の地」、「世界最大の原子力発電基地」、
兎に角、文化的社会的経済的資源に恵まれている。 要するに、この柏崎という森に
は、大木が繁茂しているのだ。 一本一本の樹は素晴らしい。 ところが、下草や若
木は瀕死の状態。 森としての機能が失われているように思えるのだ。

 例えば、こんな事を考えた。 「海上大花火大会を日本一にするならば、海岸線の
整備をそれに合わせればよいのではないか」と。 「花火観覧を考慮して、防潮堤を
円形劇場的階段構造にすればよい。 構造的にも可能ではないか。」 考えれば様々
である。 しかし、出てくるのは負の事例ばかりなり。 さてさて、汝を如何せん。
 「私は、柏崎が好きなのだがね。」

 柏崎の歴史(学問の系譜)を地元紙に書き始めて、調べれば調べるほど、下草や若
木が育たない森で大樹が朽ちていく様が浮き彫りになってくる、言い換えれば、大樹
が育てば、森全体が繁栄する様がみえるのである。 藍澤南城は、安達清河が認める
ほどの詩才を、星野鵜水は、古賀洞庵が序文を書くほどの学才を持ちながら、栄達を
棄て、郷里に大樹を育てるべく、帰郷して子弟の教育に専念する。 そして、その結
果は、戊辰戦争で荒廃した柏崎の大地に大樹を育て、森を繁らせ、繁栄の花を咲かせ
るのである。

 それにしても今はどうであろう。 「木を見れば木のみ、森を見れば森のみ」、そ
の何れであれ、繁栄への道を失うのではないか。 すなわち、「木を見て森を見ず。
 森を見て木を見ず。 而して木も森も荒廃す」と思うのである。 もっとも、私自
身が、既にして、迷走しているのも事実だが。

Best regards
梶谷恭巨


カウンター
プロフィール
年齢:
76
性別:
男性
誕生日:
1947/05/18
職業:
よろず相談家業
趣味:
歴史研究、読書
自己紹介:
柏崎マイコンクラブ顧問
河井継之助記念館友の会会員
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