柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 以前にも書いたが、ウィリスは、北アイルランドの貧困家庭で育ち、苦学して医者になった。 その所為もあるのか、金銭的なことには至って細かい。 先ず、ウィリスと薩摩藩との契約に付いて紹介しよう。 以下、ヒュー・コータッツィ著・中須賀哲朗訳『ある英人医師の幕末維新-W・ウィリスの生涯』から。
 
 1869年12月1日、イギリス側が通訳官のアストン、薩摩側が東京在中の公用人・内田仲之介と田中清之進の立会いで、契約が交わされた。 この時、ウィリスは、今後は薩摩藩士と考えると契約締結後の挨拶で答えたと云う。
 
 さて、契約の内容だが、雇用期間は4年間、給料はメキシコ・ドルで1ヶ月900ドル、補足として、1年目に特に理由もなく解雇された場合、補償金2万ドル、2年目は1万5千ドル、3年目は1万ドル、4年目は5千ドルとし、契約調印の日に、3か月分の給料2千700ドル、鹿児島までの旅費として、4000分(1千両)を受け取っている。 一方、ウィリスが理由もなく辞職した場合は、罰金として、1年目に5千ドル、2年目に4千ドル、3年目に3千ドル、4年目に2千ドルを支払うとした。 もしかすると、日本における西欧的雇用契約としては最初のものだったかもしれない。 因みに、ウィリスの外交官としての年俸は、確か、500ポンドだったか、あるいはもっと低かったと記憶する。
 
 ウィリスは、外交官時代の俸給と比較する為か、年俸をポンドに換算して、2千ポンドと計算している。 すなわち、900X12=10800(Mドル)=2000(ポンド)、1(ポンド)=5.4(Mドル)で、幕末の換金レートの基準として使えそうだ。 そこで、当時のメキシコ・ドルの換算レートを調べると、これがまたややこしい。
 
 1メキシコドル=銀三分=4分の3両が、日米修好通商条約で決められたレートなのだが、日本側が提示したのは、1メキシコドル=銀一分だった。 ただ、日本側の提示には根拠がある。 日本は、三貨制(金・銀・銅貨)で、金一分=銀一分なのだ。 日本側は、幕府の威光で、「銀一分は金一分と等価で流通する」のだから、1メキシコドル=銀一分だと主張したが、ハリスは拒否した。 交渉が拙かったのか、貨幣流通に認識がなかったのか、いずれにしても、ハリスの主張に押し切られ、結果的には、純金の含有量を三分の一減らした万延小判の鋳造・流通まで、金貨の流出を招くことになる。

 ウィリスの計算が、何を基準にしているのか不明だが、既に明治であることから、後者のレートで計算すると、10800Mドル=32400分であるから、1両=4分なので、32400/4=8100両ということなる。 因みに、万延の両を明治の円に換算すると、8100両x1.0864≒8800円ということになる。 そこで、明治初年の著名人の俸給を調べてみると、次のようになる。 (しらかわ・ただひこ氏の「コインの散歩道」から)
 
 岩倉具視: 議政官・議定、月俸700両(年俸8400両)、後に、勅任官一等・右大臣(月俸600円)
 伊藤博文: 外国官・判事、月俸500両(年俸6000両)、後に、勅任官一等・参議(月俸500円)
 
 このウィリスの年俸をどう考えればよいのだろう。 そこで、鹿児島医学校の日本人医師の俸給についてのウィリスの計算を紹介しよう。
 
 産科担当の医師兼教授だった鮫島喭斎(ゲンサイ)の給料は、年俸で9石、ウィリスの計算によれば、これは、28両になり、月額2両半で、日割りにすると、1分にしかならない。 因みに、学頭の坂本恒彦でも、13石だったそうだ。 この情況に義憤を感じ、県当局や明治政府の書簡を出し、改善を求めている。
 
 ウィリスの計算の根拠が不明だが、もし、日銀のHPにある天保年間の換算表から計算すると、1石=09両なので、8.1両にしかならない。 これは、米相場に影響されるので(幕末の混乱期、米の価格は急騰している)、明治の初年の換算レートとは相当に違うのだろうが、それにしても、医師の年俸が低いと云う印象はぬぐえない。 というより、先に上げた両に換算したウィリスの年俸8100両と比較したら、もうあっけに取られてしまうのである。
 
 また、明治時代の旧貨幣と円との換算レートを調べてみると、明治政府は、明治7年に交換レートを定め、一般での旧貨幣の通用を禁止し、新貨との交換を開始し、明治21年12月で交換を打ち切っている。
 
 これによると、1両=1.0864から10.0642円と、金の含有量や金銀貨あるいは種類によって、交換レートが様々であり、もうこうなると、何が基準なのか、現代人にはさっぱり理解できない。 因みに、各藩では、藩札を発行している。 薩摩藩も同様で、明治の交換レートでは、金札1両=32.3銭であり、銀札100匁=33.2銭だ。
 
 明治維新は、こうしてみると、「明治経済維新(革命)」と云った方がよいのかもしれない。
 
 歴史に関する本や資料を読むときは、その当時の情況のイメージを作ることにしているのだが、どうも思わぬ落とし穴に落ちたようなもので、こと経済に関する限り、まったくイメージが湧いてこない。 頭の中は混乱するばかりだ。
 
 先週の大河ドラマでは、長州藩が14万両を用意し、内4万両だったかで、軍艦を買い、3万両でミニー銃を買う交渉の場面が放送されたが、上記の事を考えると、さて皆さんは、どう思われるだろうか。 
 
Best regards
梶谷恭巨

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