柏崎・長岡(旧柏崎県)発、
歴史・文化・人物史
先回のウィリスの俸給に関連して、海舟の日記から。
『海舟日記』、文久三年(1863)十一月二十七日の記事に、横浜を訪ねた時の様子が書かれている。 前日、英国商人・キングトンと交渉し、14万5000ドルに値引きさせて、揚子江船を買い上げ、この日、試運転を試みている。 その後、暇ができたのか、横浜遊歩とある。 先ず、その部分を引用してみよう。
「横浜遊歩。 此処の外国居家、皆広大、一家大抵五千両に下らず。 聞く、今此処にて一ドルの価、我が三十五匁二、三分、外国のコンシェル並びに諸役、軍〔艦〕乗組みの士官等、運上所にて我が貨幣と引き替ゆる時は、旧約によって三歩宛なり。 この故に、彼の官吏等、この引替えにて、一ドル一歩方銀の利益あり。 大抵上官など、ただ銀幣引替えにて一ヶ年得る処の利、二、三万ドルに至る。爰(コレ)を以って、その居家の如き、この利益にて足る。 我が政府、此の如きの事を改正する能(アタ)わず、区々として私利を得らる。 嘆息すべし。」
(横浜を廻って歩いたが、そこで見た外国人の家は皆広大で、大体、5000両より安い家はない。 聞くと、最近、1ドルが、銀貨だが、35.2から3匁で、外国の公使や外交官、軍艦の士官らは、運上所(税関)で、ドルを交換する時、条約によって、1ドル=銀三分で交換している。 このため、外交官らは、この交換で1ドルにつき銀一分の利益を得ている。 大抵の高級外交官らの利益は、銀貨を交換するだけで、年に2・3万ドルにもなる。 これによって、広大な邸宅のように、利益を得ているのだ。 政府(幕府)は、こうした問題を解決することが出来ない。 嘆かわしいことだ。) 現代語にすると、以上のような意味になるだろう。
(注1)揚子江船: 幕名・翔鶴丸、仮装軍艦、鋼鉄船、蒸気外輪船(二本煙突、二本マスト)、砲四門、全長60.4m、全幅7.3m、排水量350t、出力350馬力
1857年米国ニューヨークで建造、上記の通り購入。 将軍・家茂の二度目の上洛時の座乗艦、第二次長州征伐に参加した。
(注2)三十五匁二、三分: 日銀HPの図の交換率から計算すると、一両=金四分=銀4分=60匁(五匁銀X12)であるから、1ドル=約0.59両、銀貨にすると、おおよそ銀1.5分ということになる。 これは、国内の交換率という事だろう。 文中、1ドルに付銀一分の利益とあるが、上記の計算だと、銀1.5分の儲けになる。
(注3)大抵上官: 因みに、条約締結時の米国公使・ハリスの年俸は、5千ドルだった。
特にコメントはないが、軍艦の購入価格については、幕府・薩長あるいは他藩との間に、格差があるように思える。 先の大河ドラマでの交渉金額は、どういう根拠があったのだろう。 場面では、カタログを見てスクリュー船に決めたと記憶するが、これは、内輪船のことではないのだろうか。 確かに、スクリュー船は既に発明されていたが、当時、日本の購入あるいは建造した艦船で、スクリュー船の記録を未だ見つけていない。 因みに、日本におけるスクリュー船は、実用ではなかったようだが、村上水軍が考案した記録はあるようだ。
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梶谷恭巨
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1947/05/18
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