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柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 先日、長岡インターネットを訪ねた時、何の話がきっかけか美術の話が出た。 ふいと思い出したのが、武石弘三郎のことだ。 新潟の人なら、ご存知のことと思っていたが、余り知られていないようだ。

 武石弘三郎は、明治10年(1877)7月28日、新潟県南蒲原郡中之島村長呂(長岡市中之島)の生まれで、昭和38年(1963)5月11日に没している。 東京美術学校の開設が明治22年(1889)であるから、前後の関係から東京美術学校彫刻科第一期生として入学したのでっはないだろうか。 一級下に高村光太郎(1883-1956)がいるが、年齢的には、武石が5歳年長。 『談話筆記』の「美術学校時代」にこの事が書かれている。 この随筆から、もう少し引用すると、塑造科の教師は、長沼守敬(もりよし、1857-1942)で、「伊太利(イタリー)からかえって日本でさかんに銅像の研究を進めておられた。 長沼先生の教室には武石弘三郎さん一人で、先生一人生徒一人の教室を覗きながら羨ましく思った」とある。 (青空文庫に高村光太郎の「美術学校時代」が収録されている。 参考までに。)

 武石弘三郎と、後に関係が深くなるのが、森鴎外で、当時、美術学校で「美学」を講義していたそうだ。 実は、作品の流れから、武石弘三郎を各界の名士に紹介したのは、同郷とも言える石黒忠悳と考えていたのだが、平成15年度の静岡県立美術館の年報に、「森鴎外と美術-彫刻家・武石弘三郎への肖像彫刻斡旋を通じて-」と題する研究発表が、堀切正人氏によって行われていた。 敬意を払い、研究の趣旨を簡単に引用する。 「森鴎外日記をもとに、当時の鴎外の政治活動と、武石への肖像彫刻斡旋とをクロノロジカルに付き合わせることによって、鴎外における国家と個人の関係を探り、さらには明治、大正時代における社会と芸術の関係の一面を浮かび上がらせようとするものである。」 非常に興味深いテーマだが、入手するには時間が掛かりそうだ。

 武石弘三郎は、卒業後と思われるが明治30年(1897)に、高村光太郎、白井雨山、渡辺長男らと、「青年彫塑会」を結成している。 その後、明治34年(1901)から明治42年(1909)ベルギーのブリュッセル王立美術学校に留学している。 (この間、藤島武二らと、ヨーロッパを周遊しているようだ。) 帰国後は、文展で活躍している。 その辺りから、一気に肖像彫刻の制作が増えている。 一覧表を作ってみると、1911年(2)、1912年(4)、1913年(3)、1914年(8)、1915年(9)、1916年(6)、とまあ、こんな具合だ。 調べた範囲では、約90点の作品があった。 (簡単に作った一覧表なので、漏れがある。 もう少し纏まったら紹介する。)

 この肖像彫刻の人物がすごい。 当に、各界の名士のオンパレードである。 それに、時代を代表する彫刻家であったことを物語るのだろう。 例えば、藤島武二は、武石弘三郎の肖像画(神奈川県立近代美術館蔵)を描いている。 また、鹿児島との縁も深く、門人には、西郷隆盛像(鹿児島城山)や渋谷ハチ公銅像(初代)などを制作した安藤照(1915-1945)がいる。

 履歴をもっと詳細に調べたいのだが、作品の記録があるのに、経歴が良く分からない。 例えば、堀田大学の父・堀田久万一との関係があるのだが、詳細が不明。 故郷の中之島に若宮神社があり、その狛犬を制作しているのだが、他に、兄の武石貞松と堀田久万一の友情を表す「友情の双像碑」があるそうである。 機会があれば調べたいところだ。 その他、新潟県あるいは長岡に所縁の人々の肖像彫刻も多数制作している。 余り知られていないというのが不思議である。

 広島にも縁が深い。 中学・高校時代、間違いなく目にしているはずなのだが、「世界平和記念聖堂」のレリーフの模型を作成したのも武石弘三郎なのである。 この模型を基に、実際のレリーフを制作したのが、円鍔勝三(広島県御調郡河内村、今の尾道市御調町)・坂上政克なのだ。 因みに、欄間彫刻(レリーフ)の構想を纏めたのは、今井兼次である。

 いやはや書いていくと止め処が無い程のエピソードがある。 しかし、武石本人に纏わるエピソードが少ない。 文献資料の端々に、制作者と依頼者の関係が見え隠れするのだが。 長くなってしまった。 また、何か見つけるとことが出来たら、書くことにしよう。

Best regards
梶谷恭巨

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コメント
武石弘三郎
武石弘三郎の曾孫です。今弘三郎について調べている者です。M堀口九蔓一との関係について、佐々木嘉朗著 彫塑家 武石弘三郎ノートに詳しくかかれています。
【2014/10/13 02:25】 NAME[M] WEBLINK[] EDIT[]
「武石弘三郎」に関するコメントのお礼
 コメント、ありがとうございました。まさかひ孫の方よりコメント頂けるとは!
 早速、貴兄ご紹介の『武石弘三郎ノート』を捜してみようと思います。
 今後とも宜しく御教授頂ければ幸いです。

Best regards
梶谷恭巨
【2014/11/10 13:48】 NAME[梶谷恭巨] WEBLINK[] EDIT[]
無題
先日入手した高橋是清関連の絵葉書の中に武石弘三郎が高橋是賢宛に送ったものが十数枚出てきました。同時期留学していて仲がよかったようです
【2015/06/23 18:22】 NAME[ぬりえ屋] WEBLINK[URL] EDIT[]
Re:無題
>先日入手した高橋是清関連の絵葉書の中に武石弘三郎が高橋是賢宛に送ったものが十数枚出てきました。同時期留学していて仲がよかったようです
【2015/08/01 19:28】


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