柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 マルサスは、『人口論』で、「人口は、制限されなければ幾何級数  的に増加する。生活資料は算術級数  にしか増加しない。多少なりとも数学を知っていれば前者の力が後者のそれに比してどれほど大きいものか、直ぐにも理解できるであろう。」と述べている。

 そのことが、直接、歴史的人口問題に興味を持った理由ではないが、最近の報道を見ると、気になる問題である。

 さて、前回の続だが、その後、データを探し、関連するものをまとめてみた。 といっても、単なるデータの収集で、そこから、何らかの結論を導き出すに至っていない。 ただ、前回書かなかった英国と日本と関係の深いオランダ(和蘭)のデータが興味深い。

 1820年から1920年までの、日本・英国・米国・オランダと参考までに中国のデータを比較してみた。 意外だったのは、英国の人口が、1820年以降、日本の人口を越えることがないという事実だ。 そこで、国力を表すGDPに付いて調べてみた。 ただ、単純にGDPを比べても意味がない。 そこで、「Per Capita GDP(一人当りのGDP)」を比較してみた。 以下、その後の推移を表にすると次のようになる。

 

1820

1850

1870

1890

1900

日本人口

31,000

32,000

34,437 

40,077

 44,103

(PC)

669

679

737

1,012

1,180

(GDP)

20,739

 21,732

25,393

 40,556

52,020

英国人口

21,239

27,181 

31,400

37,485

41,155

(PC)

1,706

2,330

3,190

4,009

4,492

(GDP)

36,232

63,342

100,180

150,269

184,861

米国人口

9,981

23,580

40,241

63,302

76,391

(PC)

1,257

2,178

2,599

3,644

4,091

(GDP)

12,548

42,583

98,374

214,714

312,499

中国人口

381,000

412,000

358,000

380,000

400,000

(PC)

600

600

530

540

545

(GDP)

228,600

247,200

189,740

205,379

218,154

和蘭人口

2,333

2,333

3,610

4,535

5,142

(PC)

1,381

2,371

2,757

3,323

3,424

(GDP) 

4,288

7,345

9,952

15,070

17,604


  また、下表は、2003年のデータ。 参考までに。

 

2003

日本人口

127,214

(PC)

21,218

(GDP)

2,699,261

英国人口

60,095

(PC)

21,310

(GDP)

1,280,625

米国人口

290,343

(PC)

29,037

(GDP)

8,430,760

中国人口

1,288,400

(PC)

4,803

(GDP)

6,187,983

和蘭人口

16,223

(PC)

21,479

(GDP)

348,464

 どうもメールに書くには重すぎつテーマになってきた。 何れまとめて論文にするつもりだ。 今回は、単にデータの紹介になったようだが、最後に、何故、この問題を採り上げたのかを書いておきたい。

 つまるところ、現在のテーマは、近代史の中に現在に通用するヒントがないかと言う事なのだ。 専門の研究者でもない私が言うのもおこがましいが、現在のように大量の情報が氾濫する時代、そこで発生するリアルタイムの、あるいは数年のスパンのデータをどうこうこねくり回しても、形が見えないのである。 しかし、歴史を追い求めると、一種のデジャヴ(既視感)を感じるのである。 強いて言えば、遡行性デジャヴである。 歴史の中に、「あれ、この状況は現在に似ているのではないか」と。

 幕末以降から明治後期に至る歴史の中に、特に、それを感じる。 しかも、それが一種の予言的様相を示していると感じるのだ。 歴史は、つまるところ、人間関係という社会的場が織り成す事象の連続体ではないだろうか。 そこで、最初は、明治維新の背景をなす学問的ネットワーク、次の明治維新を主体的に推進した下級武士階級の背景でもある武道のネットワーク、そうした人間関係を追いかけて行くと、社会的事件や事象が、様々な人間関係と微妙に絡み合っていることが判ってくる。

 そこで、更に当時の状況をマクロ的に見て行くと、対外関係の問題に行き当たる。 以前、紹介したことがあるが、で、川勝平太・早稲田大学教授は、綿の貿易にヒントを得て、『文明の海へ』や『文明の海洋史論』を展開した。 英国東インド会社の取引伝票を調査する内に、短糸綿と長糸綿の取引の状況の中に、近世・近代の文明あるいは文化に大きな影響を与える要因があったのではないかと云う。 しかも、それが、産業革命にも影響するというのである。

 19世紀は、何かしら全てものが一斉に開花したの感がある。 大いなる疑問だが、その一因に人口問題があるのではないかと考えるのだ。 勿論、その背景には、ジャガイモのような新大陸からの新しい作物や農業技術の進歩がある。 食料の増産が、人口を増加させる土壌を形成した。 しかし、そのことが逆にアイルランドの大飢饉の要因にもなっているのだ。 その結果、新大陸への世界的な人口の移動が生じる。 米国の人口・GDP・Per Capita GDPは、その事実を物語る。

 先にも書いたように、結論を得た訳ではない。 しかし、英国の急激なる海外進出が、冒険商人的重商主義に起因したものではないことは事実だろう。 それでは、19世紀、大英帝国が絶頂期に至る、その要因は何だったのか。

 話が広がり過ぎてしまった。 もう一度、原点である地方の問題に返ると、どうも、19世紀の世界の動向は、戦後の歴史における地方の動向に似たものを感じるのである。 今のところ、単なる憶測にしかすぎない。 むしろ、論理の展開に無理があるのかもしれない。 ただ、何かしら、直感に触れるのである。 田舎が衰退すると、社会そのものが衰亡するのではないかと。

 まあ、狂人の戯言である。 ご容赦。 しかし、それにしても、食糧サミットの行くへ、今後どのように進展して行くのだろう。

Best regards
梶谷恭巨


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