柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 村松剛著『醒めた炎』は、黒船来航(853-54)から始まるのだが、その前提として、当時の人類学的、民族学的、あるいは地理学的な背景を紹介している。 その中に、当時のアメリカの人口に関する記載がある。 また、当時の世界が日本をどのようにに考えていたかが書かれている。

 驚くのは、黒船来航時のアメリカの人口が、約2000万人であったということだ。 このデータの出所を確認しようと、インターネットで調べてみたが、今のところ、それらしきデータが見つからない。 しかし、1900年以降の人口推移が見つかった。 そこで、先ず、その推移を紹介しよう。

1900年、約7500万。 19200、約1億600万。 1940年、約1億3200万。
1960年、約1億8000万。 1980年、約1億2600万。 2000年、約2億8100万。

 因みに、日本の人口は、1860年(明治元年)、3402万人、
1900年(明治33年)、4385万人、1925年(大正14年)、59,737人
1950年(昭和25年)、8320万人である。

 この人口推移から推測すると、黒船来航時のアメリカの人口が、2000万にだとしても不思議ではない。 ただ、実質的にアメリカの人口が2000万人だったかというと、果たしてどうだろう。 何しろ、この時期、カリフォルニアやテキサス合併など、国土自体が拡大し、当然人口も増加しているはずだが、国勢調査などで人口が把握されている訳ではない。 ある程度把握されていた主要都市の人口の累計から、2000万という数値が推測されたのではないだろうか。 因みに、少々時代が遡るが、ジャガイモの病気発生により、所謂「アイルランドの大飢饉(The Great Hunger)」が起こる1845年から49年以降、アイルランド移民が急増している。

 ただ、驚くのは、日本の人口の方が多いことだ。 未だ調べていたいのだが、西欧列強の人口推移と比較すると、もっと面白いことが判るのかもしれない。

 余談だが、当時、世界は日本の人口を過大評価していたようだ。 マルコ・ポーロの『当方見聞録』に始まる「黄金の国・ジパング」の伝説が、未だ各国の冒険者たちの間には生きていたようであり、また、イエズス会の報告書などから、日本は、金銀銅やダイアモンドさえ産出する宝の国と信じられていたというのである。 それ故、人口も、中には、1億以上であると、各国の新聞などが報道していると云うのである。

 さて、問題は、この人口の膨張である。 学校で習う歴史には、この人口推移のことが書かれていただろうか。 歴史を見る場合、どうしても今の感覚から見てしまう。 恐らく、ブローデルが、歴史を地誌・地理的に捉えることを提唱するのは、こうした背景があるのかもしれない。 人口の推移という視点から歴史を見た場合、歴史が別のものに見えてくるのだ。 しかも、何かしら危機感を伴って。

 ただ、西欧と日本の場合には、相違が感じられる。 西欧に比べ、明治維新以降、日本の人口は、それほど急激に増えていないのだ。 西欧の人口の推移には、産業革命の影響が顕著に見られる。 英国では、「囲い込み運動(Enclodure Movement)」、そして、アイルランドの場合は、大飢饉が併進し、「農民追いたて(Eviction)」が、農村の風景を急変させ、人口の都市集中化が急進するのである。

 この背景には、日本が藩幕体制と云う一種の連邦国家であったことがあるのではないか。 廃藩置県により、藩の色彩は薄れたとは言え、やはり県そのものに、依然として自立性が存続した。 それが、人口の推移に現れている。 例えば、新潟県の場合、明治21年(1888)の人口統計を見ると、総人口約4000万人に対し、第一位で166万人であり、東京の約135万人より多いのである。 因みに、当時の上位10位までを上げると次の通り。

(1)新潟県:166万人、(2)兵庫県:151万人、(3)愛知県:143万人、
(4)東京府:135万人、(5)広島県:129万人、(6)大阪府:124万人、
(7)福岡県:120万人、(8)千葉県:115万人、(9)長野県:110万人、
(10)岡山県:105万人。
 以下、100万人以上の県も上げると、
(11)静岡県:104.84万人、(12)埼玉県:104.24万人、(13)熊本県:104.15万人である。

 人口が急速に都市に集中し始めるのは、明治後期から大正時代ではないだろうか。 大正9年(1920)のデータを見ると、総人口が約5600万人で、東京が一位になり人口が約370万人に急増している。 新潟県は、この時点で、7位に落ちているが、それでも人口は、約177万人である。 総人口に対する比率は、明治21年が、新潟4%、東京3%であり、大正9年が、新潟3%、東京6%であるから、間違いなく急速な都市集中化が起こっているのだ。

 因みに、ニューヨーク州の人口を見ると、1900年が総人口約7621万人で、約727万人(9%)(ニューヨーク市は、344万人)で、1920年が総人口1億602万人に対して約10348万人(9%)(同、562万人)である。 また、参考までに、ニューヨーク市の人口推移を上げると、次の通りである。

1790年約3万人強、1800年約6万人、1810年約10万人、1820年約12万人強、
1830年約20万人強、1840年約31万人強、1850年約52万人弱、
1860年約81万人強、1870年約94万人強、1880年約120万人強、
1890年約151万人強である。

 今回は、ここまでに。 今日、朝は6時からクリーンデーでゴミ拾い。 その後、地区の運動会があり、出かけなければならない。 まあ、そんな訳で、この続は、次回に書きたい。 (丁度、フジTV系列のニュース番組で、人口問題、食糧問題を取り上げていた。 衆議院議員の渡辺恒三氏が、マルサスの『人口論』を引用して、食糧問題に警鐘を鳴らしていた。)

Best regards
梶谷恭巨

 


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