柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 前回の続き。
 
明治25年度 三年 二年 一年 研究科 撰科
研究科       46  
哲学科 5 6 9 3 16
国文学科 1 4 2 1 11
漢学科 0 3 3 0 9
国史科 3 5 6 1 9
史学科 4 5 6 1 7
博言学科 1 0 1 1 0
英文学科 1 1 3 0 3
独逸文学科 0 0 1 1 0
仏蘭西文学科 0 0 0 0 0
撰科         55
(注)研究科の在籍者数「46」は、全学の人数。

 着目するのは、「哲学科」である。 漱石が卒業し大学院に入学した翌年(明治26年)には、一挙に19名が「哲学科」(撰科・哲学科には15名)に入学する。 更に、翌々年の明治27年には、18名(撰科、13名)が入学する。 (ただ、この年には、国史科(15名、撰科2名)と史学科(16名、撰科2名)も多い。 因みに、この年、共に柏崎中学校長を勤める事になる羽石重雄と高宮乾一が、また生田萬について書く事になる横山達三(健堂)が国史科に、羽石重雄の前任萩中学の校長である雨宮羔太郎が史学科に在籍している。

 この時代は何とも複雑である。 国策・外交は英国に近づき、国体や軍制はドイツ的立憲君主国を指向し、学問的には、医学や哲学がドイツ、政治理念は英米的で、国文学や漢学も盛んになり、外国語・文学では英国に重きが成される。 兎に角、資料を読みながら、また書きながら、考えてしまうのである。

 このブログ・サイトは、図表に多大なメモリーを必要とするようである。 結局、ここまでの文章を四回に分けて書く事になってしまった。 とまあ、そんな訳で、思考が中断してしまった。 この続きは、次回に書きたい。

Best regards
梶谷恭巨
 


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1947/05/18
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よろず相談家業
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歴史研究、読書
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柏崎マイコンクラブ顧問
河井継之助記念館友の会会員
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