柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 「明治期における英語教育」に、夏目漱石の『福岡佐賀二県尋常中学参観報告書』を紹介した。 ブログ版では、(2)と(3)に当る。 それに、珍しくコメントがあった。 「原武哲」という人である。

 早速、指摘された部分など訂正・加筆して、御礼のメールを出した。 その後、メールの遣り取りがあり、紹介された書籍『喪章を着けた千円札の漱石-伝記と考証』など、いつものパターンで入手・購入した。 先週末、その本が届き、一読して驚いてしまった。

 何と、原武哲氏は、『福岡佐賀二県尋常中学参観報告書』を現在の熊本大学で発見し、『漱石全集』のそれに注釈された、当のご本人なのである。 そこで先ず、前掲著書にある略歴を紹介する。

原武哲(はらたけ さとる)
1932年5月14日、福岡県大牟田市生まれ。 福岡県立明善高等学校、九州大学文学部国語国文学科卒業、明善高校、浮羽高校などの高校教諭を経て、1985年4月より福岡女学院短期大学助教授、教授。 1994年一年間、中国吉林省長春市の吉林大学外国語学院日本語系客員教授を勤める。 2000年4月より、福岡女学院大学非常勤講師。 中国吉林省徳恵市に原武哲希望小学校を創る。 日本近代文学会員、日本社会文学会員、西日本国語国文学会員、解釈学会員、森鴎外記念会員。 主な著書は『夏目漱石と菅虎雄-布衣禅情を楽しむ心友』(教育出版センター、1983年12月10日)など。 尚、前掲『喪章を着けた千円札の漱石-伝記と考証』は、笠間書院2003年10月22日刊である。

 また、2003年頃の先生の作なる毎日新聞筑後版連載(50回)『夏目漱石をめぐる人々』も紹介された。 メールの文面中、毎日新聞久留米支局に問合せすれば本文のコピーが入手できるかもしれないとのお奨めがあったので、駄目もと電話したところ、スクラップしてあるので、FAXで送るとの回答を得た。 結果、50ページに及ぶFAXが二日に亘って伝送されてきた次第である。 ファインモードだから、長時間掛った訳だ。 毎日新聞久留米支局には、感謝したい。

 さて、元々漱石を追及していた訳ではないのだが、原武先生の著書、メールを拝読して、「明治期に於ける英語教育」の一端が明確になると共に、捜していた福岡の修猷館、明善校、伝習館の教員の履歴が更に明確になった。 また、時代はずれるのだが、羽石重雄の五高時代のことも類推を可能にした。 則ち、当時の師弟関係が、現在の我々が想像する以上に緊密であり、濃厚であり、また、学友との関係も同様に、生涯に亘るものだという事である。 これは、文豪としての漱石が、という事ではなく、当時の社会一般に通用する事であるようだ。 更にいうなら、当時の人々が、人間関係を如何に重視していたかが窺えるのである。

 維新を経験した人々が、明治も中期・後期になると、「最近の若い者は」と、現在と同様に嘆息する文献によく出会う。 しかし、それでも、漱石の時代には、師弟関係や友人関係が、今以上であり、寧ろ生活の一部になって居るの観さえあるのだ。 このことを、漱石の著名な研究者である原武哲先生から知りえた事は、今後の展開に影響するだろう。

 いずれにしても、このことが励みになったことは事実である。 反面、書くことの怖さと、責任の重さを痛感したのも事実なのだが。

Best regards
梶谷恭巨


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