柏崎・長岡(旧柏崎県)発、
歴史・文化・人物史
「明治期における英語教育」に、夏目漱石の『福岡佐賀二県尋常中学参観報告書』を紹介した。 ブログ版では、(2)と(3)に当る。 それに、珍しくコメントがあった。 「原武哲」という人である。 早速、指摘された部分など訂正・加筆して、御礼のメールを出した。 その後、メールの遣り取りがあり、紹介された書籍『喪章を着けた千円札の漱石-伝記と考証』など、いつものパターンで入手・購入した。 先週末、その本が届き、一読して驚いてしまった。 何と、原武哲氏は、『福岡佐賀二県尋常中学参観報告書』を現在の熊本大学で発見し、『漱石全集』のそれに注釈された、当のご本人なのである。 そこで先ず、前掲著書にある略歴を紹介する。 原武哲(はらたけ さとる) また、2003年頃の先生の作なる毎日新聞筑後版連載(50回)『夏目漱石をめぐる人々』も紹介された。 メールの文面中、毎日新聞久留米支局に問合せすれば本文のコピーが入手できるかもしれないとのお奨めがあったので、駄目もと電話したところ、スクラップしてあるので、FAXで送るとの回答を得た。 結果、50ページに及ぶFAXが二日に亘って伝送されてきた次第である。 ファインモードだから、長時間掛った訳だ。 毎日新聞久留米支局には、感謝したい。 さて、元々漱石を追及していた訳ではないのだが、原武先生の著書、メールを拝読して、「明治期に於ける英語教育」の一端が明確になると共に、捜していた福岡の修猷館、明善校、伝習館の教員の履歴が更に明確になった。 また、時代はずれるのだが、羽石重雄の五高時代のことも類推を可能にした。 則ち、当時の師弟関係が、現在の我々が想像する以上に緊密であり、濃厚であり、また、学友との関係も同様に、生涯に亘るものだという事である。 これは、文豪としての漱石が、という事ではなく、当時の社会一般に通用する事であるようだ。 更にいうなら、当時の人々が、人間関係を如何に重視していたかが窺えるのである。 維新を経験した人々が、明治も中期・後期になると、「最近の若い者は」と、現在と同様に嘆息する文献によく出会う。 しかし、それでも、漱石の時代には、師弟関係や友人関係が、今以上であり、寧ろ生活の一部になって居るの観さえあるのだ。 このことを、漱石の著名な研究者である原武哲先生から知りえた事は、今後の展開に影響するだろう。 いずれにしても、このことが励みになったことは事実である。 反面、書くことの怖さと、責任の重さを痛感したのも事実なのだが。 Best regards |
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プロフィール
年齢:
77
性別:
男性
誕生日:
1947/05/18
職業:
よろず相談家業
趣味:
歴史研究、読書
自己紹介:
柏崎マイコンクラブ顧問
河井継之助記念館友の会会員
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