前回の続き。 以下、教授陣の表である。
明治25年 |
課目 |
学位 |
出身校 |
氏名 |
出身地 |
教授及び講師 |
社会学 |
文学博士
マストル・オブ・アーツ |
ミシガン大学 |
外山正一 |
静岡 |
漢文学
支那歴史
法制
支那哲学 |
文学博士 |
|
島田重禮 |
新潟 |
国文学
国語 |
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物集高見 |
大分 |
ラテン語
ギリシャ語 |
マストル・オブ・アーツ |
アモスト大学 |
神田乃武 |
東京 |
哲学概論
哲学演習
西洋哲学史
美学
美術史 |
マヂストル・アルシアム・リベラリアム
ドクトル・フィロソフィエー |
ベルリン大学 |
ルードウィツヒ・ブッセ |
獨国
(ドイツ) |
地文学
史学
地理学 |
マヂストル・アルシアム・リベラリアム
ドクトル・フィロソフィエー |
ベルリン大学 |
ルードウィツヒ・リース |
獨国
(ドイツ) |
国史
地理
日本法制沿革
古文書学
漢文学
支那歴史及び
法制沿革 |
文学博士
文学士 |
|
星野恒
田中稲城 |
新潟
山口 |
心理学 |
ドクトル・フィロソフィエー
文学博士 |
ジョンポプキンズ大学 |
元良勇次郎 |
東京 |
哲学
比較宗教
東洋哲学 |
文学博士
文学士 |
|
井上哲次郎 |
東京 |
国文学 |
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木村正辞 |
東京 |
史学
各国法制史 |
文学博士
文学士
理学士 |
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坪井九馬三 |
東京 |
独逸文学
独逸語
比較博言学
音学
ローマンス語チュトニッィキ語歴史 |
マヂストル・アルシアム・リベラリアム
ドクトル・フィロソフィエー |
ライプチッヒ大学 |
カール・アドルフ・フロレンツ |
獨国
(ドイツ) |
仏蘭西語 |
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エミール・エック |
佛国
(フランス) |
教育学 |
文学士 |
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日高真実 |
宮崎 |
倫理学
論理学
知識論 |
バチェロル・オブ・アーツ
バチェロル・オブ・テピニチー
ドクトル・フィロソフィエー |
ウェストルン・レゾルフ大学
エール大学 |
中島力造 |
京都 |
英文学
英語 |
ドクトル・フィロソフィエー |
ハイデルベルヒ大学 |
オーガスタス・ウット |
米国 |
助教授 |
国史及び地理
漢文学
支那歴史及び法制
支那法制沿革 |
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田中義成 |
東京 |
国史
日本法制沿革 |
文学士 |
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三上参次 |
兵庫 |
講師 |
国史及び地理
支那歴史及び法制
日本法制沿革
東洋哲学 |
文学博士 |
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重野安繹 |
鹿児島 |
日本法制沿革国史 |
文学博士 |
|
小中村清矩 |
東京 |
印度哲学 |
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村上専精 |
岐阜 |
支那語 |
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張 滋昉 |
清国 |
国文 |
文学士 |
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高津鍬三郎 |
愛知 |
史学 |
ドクトル・フィロソフィエー
理学士 |
チュービンゲン大学 |
箕作元八 |
東京 |
帝国大学名誉教師 |
元文科大学教師 |
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バシル・ホール・チェンバレーン |
米国 |
さて、この教授陣から最も注目すべきが、ドイツ系教師の多さである。 当時は、軍制の基本が、フランスからドイツへ移行する時期でもある。 官界自体も、(確認は取っていないのだが)、『もしや草紙』から窺えるように、ドイツ系が主流になりつつあることが窺えるのである。 しかし、文科大学の独逸文学科は、在籍者数名に及ばない。 そして、もう一つ着目すべきが、「漢文学あるいは漢文」である。 恐らく戦後のことだろうが、「支那」という表現が忌避されるようになった。 しかし、この中国に対する国名表記は、寧ろ画期的なことで、漢文を国学とは分離し、従来、国としてではなく、各王朝として認識されていた国家観が、(日本に於て「国家」という概念が成立するのは、もう少し後のことではないだろうか)、否、同文の国として兄視あるいは同胞視から、変化するのも、この時期ではないか。 言い方を変えれば、従来歴史の入門書であった『十八史略』に登場する国々に対する意識とは異なり、国家としての「中国」(当時は、そういう言葉がない)を意識する事により、日本と謂う国家を省みる事になったと言えるのだろう。 それ故、「China」という国名表記あるいは国家観が西欧から移入され、「清」ではなく国家としての「支那」という表記が創られたと考えられるのである。 因みに、「支那」という表記は、「China」のフランス語読みを漢字に当てたものと云われる。
次に、当時の文科大学の学科別在籍者数を表にしてみた。
またしてもエラーになる。 次に続く図表は次回に。
Best regards
梶谷恭巨