柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 日本人のナショナル・アイデンティティの形成過程をを知ることは、現代の日本人のアイデンティティが何かと云うことより、むしろ、社会のみならずビジネスにおいても、将来の日本を予測する上で、重要なファクターになると確信している。 それ故、現代人が忘れかけている歴史上の人物の生き様あるいは人間関係を探ることを念頭に、文献や資料に残る人物評、特に、激変する歴史の渦中に居て、尚且つ、一歩引いた視点から、あるいは時には傍観者として、変動する社会の中に生きた人々の人物評を残した勝海舟、あるいは、福沢諭吉、外国人の日記や書簡を読むことは重要だと考える。 とまあ、そんな訳で、諸子の参考になればと、以下、あちこちから参照し書く次第である。
 
徳川(幕臣): 筒井紀伊守(政憲)、羽倉外記(簡堂)、岩瀬伊賀守(忠震・タダナリ)、鳥居甲斐守(忠耀、耀蔵)、男谷下総守(信友)、川路左衛門尉(聖謨・トシアキラ)、成島図書頭(司直・モトナオ)、堀織部正(利忠)、江川太郎左衛門(英敏)、水野痴雲(筑後守忠徳)、松平内記、大久保一翁、山岡鉄太郎(鉄舟)、中条金之助、松岡萬(ヨロズ)
 
筒井紀伊守(政憲): 安永6年5月21日(1778/6/15)-安政6年6月8日(1859/7/7)、通称は右馬助、佐次右衛門、目付、長崎奉行、南町奉行を歴任。 特に、南町奉行は、20年勤めている。 寛政の三博士の一人、昌平坂学問所で柴野栗山に師事する。 因みに、「寛政の三博士」とは、柴野栗山・古賀精里 · 尾藤二洲を云う。 業績としては、河内山宗春事件を裁き、シーボルト事件では伊能忠敬の日本地図をシーボルトに渡した高橋影保を捕縛・尋問し、出石藩・仙台藩のお家騒動に関与、町奉行を罷免された。 名奉行として誉れ高く、小説や映画にも脇役として何度となく登場している。
 
羽倉外記(簡堂): 寛政2年11月1日 (1790/12/6)-文久2年7月3日 (1862/7/29)、名は用九、字は士乾、通称は外記、号を簡堂。 大阪で生まれ、日田で育つ。 古賀精里に師事し、後に、父の後を継ぎ、各地の代官を務める。 渡辺崋山らの尚歯会に参加、伊豆七島の見聞録『南汎録』を著した。 尚歯会に参加していたとことから「蛮社の獄」では、目付時代の鳥居耀蔵に告発されたが、難を逃れた。 水野忠邦に抜擢され、「天保の改革」で活躍するが、忠邦の失脚により、家督を弟に譲った。 「尚歯会」については、渡辺崋山の項に注釈を記す。
 
岩瀬伊賀守(忠震): 文政元年11月21日(1818/12/18)-文久元年7月11日(1861/8/16)、旗本・設楽貞丈の三男、岩瀬忠正の養子。 母は、林大学頭・述斎の娘。 (鳥居耀蔵との関係については、その項で。) 老中・阿部正弘に抜擢され、目付、外国奉行、作事奉行を歴任。 日米修好通商条約では、タウンゼント・ハリスと交渉し、井上清直と共に条約に署名した。 将軍継嗣問題で、一橋(徳川慶喜)派に属したため、井伊直弼によって左遷、作事奉行になった。 因みに、福地源一郎(桜痴)は、『幕末の三傑』の中で、岩瀬忠震のほか、水野筑後守忠徳と小栗上野介忠順を上げている。 また、川崎三郎紫山は、『幕末の三俊』として、岩瀬のほか、矢部駿河守定謙(サダノリ)を上げているが、その両方者に上げられたのが岩瀬忠震一人である。 尚、余談だが、東海日日新聞が、『越後長岡と東三河』というシリーズで、岩瀬忠震について、詳しく掲載している。 参考までに。
 
鳥居甲斐守(忠耀、耀蔵): 寛政8年11月24日(1796/12/22)-明治6年(1873/10/3)、名を忠耀(タダテル)、通称を耀蔵、号を胖庵(ハンアン)。 実父は、林大学頭・述斎で、岩瀬忠震は甥。 父方(林)の祖父は、美濃・岩村藩三代藩主・松平乗薀(ノリモリ)で、林述斎の三男(側室の子)として生まれ、旗本・鳥居成純(2500石)の養子となり家督を継いだ。 中奥番、徒頭、西の丸付目付、目付・勝手掛、南町奉行、勘定奉行・勝手方を歴任。 特に、南町奉行時代は、家紋から「蝮の耀蔵」とか、名前と官位、耀蔵・甲斐守から「妖怪」とあだ名され、恐れられた。 特に、洋学を忌み嫌ったところか、「蛮社の獄」の元凶と目された。 当時の北町奉行は、水野忠邦の「天保の改革」批判的で開明的な遠山金四郎で、何かにつけて対立。 小説や劇画、映画などで、採り上げられ、広く一般にも知られるようになった。 特に、小池一夫の劇画『御用牙』は、私が学生時代、ベストセラーだった。 晩年は、四国丸亀藩に永のお預けとなったが、明治の恩赦で駿府(静岡)に移り、平穏な日々を送った。 晩年の詩は、解釈にも依るが、実に興味深い。 何だか、今の日本を予感した感がある。
 
男谷下総守(信友): 寛政10年1月1日(1798/2/4)-元治元年7月16日(1864/8/17)、通称は精一郎、号静斎、蘭斎、幼名新太郎。 幕臣にして剣客、直心影流男谷派を開き、島田虎之助や明治時代最後の剣客と言われた榊原健吉などを育てた。 男谷精一郎は、柏崎と縁が深い。 男谷精一郎は、男谷忠之丞の次男にに生まれ、従弟・彦四郎思孝(ヒロタカ)の次女・鶴と養子縁組し、家禄100表の男谷彦四郎家と継ぐ。 彦四郎は、男谷平蔵の長男で、夢酔(勝小吉)の兄、すなわち勝海舟の伯父に当たり、精一郎の従兄になる。 履歴を見ると、表祐筆、信濃・中之条代官、越後・水原代官、西の丸裏御門番頭、小十人組頭を歴任している。 中之条代官所は、石黒忠悳(況翁)との関係があり、何らかの関係が推測されるのだが、現時点では未調査。 また、水原の代官に就任していることも興味深い。 和算の山口和との関係があれば面白いのだが、これまた、初めて知った事実で、未調査。 
 横道に逸れたが、彦四郎は、男谷検校(米山検校)の孫に当たる。 男谷検校は、越後・三島郡長鳥(現、柏崎市)に生まれ、確か12歳の冬、三国峠を越えて江戸に出るが、奥医師・石坂宗哲の門前で行き倒れと成なり助けられる。 宗哲が使ってみると、盲目だが物覚えが速く、暗算を瞬時にして行う。 それを見込んで、鍼灸按摩の術を教え、独立に際して、若干の金(1両2分)を渡した。 それを元手に金貸しを始め、江戸府内17ヶ所の地主になり、検校株を買った。 その後、末子・平蔵の為に御家人株を買い与えた。 ここから、男谷検校流、男谷家、勝家が始まる。 余談だが、地元・柏崎より、確か足立区の方が、盛んに勝海舟の家系を調査されているようで、区の教育委員会に問い合わせたくらいだ。 その後、進展しているのかどうか知らないが、当時、勝海舟記念館の設立か、江戸博物館に海舟の展示コーナーの設置が計画されていたと聞いた記憶がある。
 
川路左衛門尉(聖謨): 享和元年4月24日(1801/6/6)-慶応4年3月15日(1863/4/7)、幼名は弥吉、名を萬福、後に聖謨(トシアキラ)、号は敬斎。 日田代官の属吏の長男に生まれ、12歳の時、小普請組・川路三左衛門光房の養子となる。 幕府の要職を歴任、当代随一の出世頭と言われた。 山岡鉄舟の伝記を読むと、父に連れられて川路家を訪問した時のことが書かれている。 名刺を出し、玄関先の廊下に並び、聖謨の出仕を待つのだが、訪問客が門前市を成すといった具合で、廊下にも多数の客が居並び、聖謨から声の掛かるのを待っていたようだ。 目的は皆、聖謨にあやかろうと、より良い職を求めてのことだったようだ。 鉄舟の父も、息子の将来を考えて、お目通りに訪問した。 確か、帰り道、上野の東照宮により、門前で拝礼、鉄舟が「どうして、神前に詣でないのか」と聞くと、「お目見え以下は、門内に入ることが許されない。 お前は、川路様を見習って、父を越えるように」と言った場面が思い出される。 幕末に活躍する幕臣に、代官所の役人が多いのも、この辺りの事情があるのかもしれない。
 川路聖謨も、尚歯会に参加している。 因みに、「尚歯会」とは、「尚歯」とは、「年上を敬う」と云う意味。
 
成島図書頭(司直): 安永7年2月15日(1778/3/13)-文久2年8月13日(1862/9/6)、名を司直(モトナオ)、通称は豊之助あるいは邦之助、号を東岳。 幕府の奥儒者、歌人。 林述斎の下、『徳川実記』の編纂に参画、この編纂は、後に、孫、明治の文人・成島流北に引き継がれる。
 
堀織部正(利忠): 『アーネスト・サトウ日記抄』などで目付・外国奉行であったことは確認できるのだが、詳細が不明。 今、渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』などで調べている。
 
 何とも長くなってしまった。 これでは読む人も居ないだろう。 ただ、勝海舟の人物リストを軸に調べていくと、矢張り、姻戚関係と尚歯会のような学問の関係が気になる。 それと、山岡鉄舟が後に、幕臣の連絡役的存在になる背景背景が気になるところだ。 このリストには、気になる人物が羅列的に記載されているだけだが、何かしら朧気ながらも、評価の基準がイメージできる。 もっとも、未だ幕臣の半ばまで記載しただけなのだが。
 
 続きは、また次回に。
 
Best regards
梶谷恭巨
 

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