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柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 問合せがあったので、「仲裁裁判」について、概略を。

先ず、「仲裁」の事典的意味から紹介する。 尚、本質的には異なるとは思えないが、一応、事件の始まりが、英国代理公使ワトソンの通告であるので、有斐閣の『法律用語辞典』と東京大学出版会の『英米法辞典』の両者から引用する。 (日本の法律は大陸系であり、英米には、当然、英米法の法理があり、多少異なるので。)

『法律用語辞典』
一般には、当事者の合意に基き第三者の判断によって、その当事者間の紛争を解決すること。 調停と異なり、第三者の判断が当事者を拘束する。 ①国際法上の仲裁裁判、②「公示催告手続及び仲裁手続に関する法律」上の仲裁手段、③労働法上の労働委員会による仲裁、④公害等調整委員会等による公害に係る紛争に関する仲裁等がある。

『英米法辞典』
仲裁【arbitration】紛争を、当事者が選定し、その判断に服することを合意した第三者の裁定に委ねること、または、それによる紛争処理手続。 コモンロー上の仲裁は強制履行ができないが、制定法上の仲裁は強制履行が可能。
調停【conciliation】争訴的方法によらずに紛争を解決する手続。 両当事者が合意によって解決に到達することを目的とするから、たとえ調停者(conciliator)が解決案を示す場合にも、それは当事者を拘束するものではない。


マリア・ルス号事件の場合、当事者が条約締結国でないペルー(原告)と清国人苦力(被告、日清修好条規締結前)であったため、治外法権外で、国際法から停泊地横浜(日本)の法制が適用され、判決が下された。 しかし、その後、ペルー政府からの謝罪と賠償の要求があり、日本政府は、これを拒否した。 これは、国際法上の問題である。 そこで、必然的経過として、裁定を第三者に委ねることで同意したが、事件当初から、英米独伊などの国は、事件に何らかの形で関与していたので、この事件に関係の薄かったロシアが選ばれ、ロシア皇帝が仲裁人になった。

当時の状況から推測すると、第三者の裁定人に法的強制履行力はない。 そこで、大国の権威あるいは武力(物理的強制力)を背景に、仲裁が実現することを企図し、ロシア帝国が仲裁国となったのではないだろうか。 因みに、当時の国際世論は、英米を除けば、皆、原告側勝訴を期待していた。 しかも、米国公使でロングは、帰任後、前言を撤回しているのだから、ペルー政府には大いに賞賛があったのだろう。 ただ、同じ、国際世論に、ペルーの奴隷制あるいは奴隷的労働を非難する風潮はあったようだ。 ロシア皇帝が、謝罪・賠償を避けた背景は、何処にあったのか興味が湧く。 ただ、後のロシア皇太子来日時の歓迎には、この事が何らかの影響を与えていたようだ。

尚、当時、外務省には、米国人顧問エラスムス・ペシャイン・スミスが居り、彼の助言が、外務省の方針に多大な影響を与えている。 スミスは、国際法に詳しい法律家であり、政治経済学に関する著作もある人物で、リンカーン大統領、グラント大統領政権下の国務省の法律顧問を歴任している。 岩倉遣欧使節団が滞米中、国務長官フィッシュに人選を依頼し、実現した人事だが、私見としては、当を得た人事であったと考える。

スミスについては、丁度、配信する予定で、調査就筆していたところだった。 よって、次回は、スミスを。


Best regards
梶谷恭巨

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