柏崎・長岡(旧柏崎県)発、
歴史・文化・人物史
アーネスト・サトウ(Ernest Mason Satow)の意外な出自を知った。 サトウの父親、ハンス・ダヴィド・クリストフ・サートウ(Hans David Christoph Satow、Satowの発音に付いては後に触れる)は、ナポレオン戦争の一種難民らしいのだ。 父親・ハンスは、名前が示すようにドイツ系である。 しかし、単なるドイツ系ではない。 彼は、バルト海に面した、過ってハンザ同盟の一都市だった、スウェーデン統治下のヴィスマール(Wismar)の生まれだ。 ナポレオン戦争(大陸封鎖令)で、現在のラトヴィアの首都リガに逃れ、更に、英国に渡り、金融業で成功し、ロンドン(クランプトン)に自宅のほか、保養地シドマスに別荘を所有した。 なかなか先見の明と商才があったようで、引退後も、不動産の売買などを手掛け、かなり儲けているようだ。 その事を、サトウに手紙で知らせている。 母親は、英国人のマーガレット・メイソン(Margaret Mason)、成功後、結婚したのだろう。 といういは、ドイツに「小さくてもいいから、家を建てから恋人を探せ」と云う諺があるそうである。 二人の間には、五男三女が生まれた。 アーネスト・サトウは四男だった。
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プロフィール
年齢:
77
性別:
男性
誕生日:
1947/05/18
職業:
よろず相談家業
趣味:
歴史研究、読書
自己紹介:
柏崎マイコンクラブ顧問
河井継之助記念館友の会会員
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