柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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  アーネスト・サトウ(Ernest Mason Satow)の意外な出自を知った。 サトウの父親、ハンス・ダヴィド・クリストフ・サートウ(Hans David Christoph Satow、Satowの発音に付いては後に触れる)は、ナポレオン戦争の一種難民らしいのだ。 父親・ハンスは、名前が示すようにドイツ系である。 しかし、単なるドイツ系ではない。 彼は、バルト海に面した、過ってハンザ同盟の一都市だった、スウェーデン統治下のヴィスマール(Wismar)の生まれだ。 ナポレオン戦争(大陸封鎖令)で、現在のラトヴィアの首都リガに逃れ、更に、英国に渡り、金融業で成功し、ロンドン(クランプトン)に自宅のほか、保養地シドマスに別荘を所有した。 なかなか先見の明と商才があったようで、引退後も、不動産の売買などを手掛け、かなり儲けているようだ。 その事を、サトウに手紙で知らせている。 母親は、英国人のマーガレット・メイソン(Margaret Mason)、成功後、結婚したのだろう。 といういは、ドイツに「小さくてもいいから、家を建てから恋人を探せ」と云う諺があるそうである。 二人の間には、五男三女が生まれた。 アーネスト・サトウは四男だった。  

 先に書いた発音のことだが、サトウは、ソルブ人の名前だ。 ソルブ人は、インド・ヨーロッパ語族のスラブ語に属し、ソルブ語を話した。 少数民族で、約6万人がドイツのザクセン州東北部(ドレスデン)やブランデンブルグ州(コトブス)南東部の11県に居住している。 

(注)三省堂の『言語学大辞典』によると、ソルブ人は、自称を「セルビア」という。 しかし、バルカンのセルビアが有力なため、「ルジツァのセルビア語」という名称が用いられることがあり、ロシア語でにも同様な使用例がある。 言語的には、シュプレー川の上流と下流で上下ソルブ語に分類される。 口語では、明確に分類することが難しいが、文語には、違いがあり、プロテスタントとカトリックによっての違いがあったことがある。 北のポラブ語、東のポーランド語、南のチェコ語に接しているが、千年以上にわたって、支配層に有力者を持たなかったので、10万人程度の「言語島」になった。 第二次世界大戦後、1948年と1950年の旧ドイツ民主共和国(東ドイツ)の憲法により、ソルブ人の文化的、政治的自治権が確立し、学校教育、出版物などでのソルブ語の使用が公認された。

 ハンスは、また、ワインの愛飲家でもあったようだ。 矢張り、ドイツ贔屓なのか、ドイツワインを好んだようで、気に入ったワインを十ダース単位で買い入れ、日本のアーネストサトウにも推薦したり、誕生日には、シャンパンを十数ダース送っている。 

 維新の頃、普仏戦争が起こっているが、この時もドイツ贔屓が明確に現われている。 また、老後の楽しみの一つが、ドイツの保養地(温泉)ノイエンアールで過ごすことだったようだ。 

 アーネスト・サトウは、当然のことだろうが、ドイツ語にも堪能だったようで、父親は、彼に自分が気に入ったドイツの書籍などを送り、感想を求めている。 また、父親が敬虔なプロテスタント(非英国教徒)に反し、ダーウィンに影響され、不可知論者だったようで、父親は、その事が気懸かりだったもだろう、宗教に関する論文なども送っている。 ただ、アーネスト・サトウ自身、後年は敬虔なクリスチャンになったようだが。 

 長男と長女が夭折した事もあり、また、大学を卒業したのがアーネスト一人だったこともあり、子供たちのうちで、アーネストに期待をかけていた心情が見える。 書簡からの推測だが、父親も中々の読書人で、古典文学を好んだ様子がある。 サトウ自身、愛読書がダンテであった。 それが影響したのか否かは別として、姉妹の一人が、作家(歴史や古典文学)、オックスフォード大学エグゼター校の講師(後に、学長)、テイラー研究所(オクスフォード大学)の館長、英国人ヘンリー・ファンショウ・トウザー(Henry Fanshawe Tozer、1829-1916)と結婚している。  また、五男チャールズが進学をやめ年収150ポンドの事務員をし、生活も安定しないのに結婚したと、父親が嘆いている。 

 いずれにしても、アーネスト・サトウの勤勉で学究肌な性格に、父親の影響が窺える。 こうした性格は、一般的にも日記や書簡に反映されるものだ。 同世代の二十代の若者には見えない実直さ、小まめさ、それに何よりも正確な観察眼は、彼の育った環境や性格に由来するのだろう。 

 歴史を学ぶ場合、登場人物の背景を知ることが重要だと考える。 これはビジネスにも言えることで、前回書いた報告書の分析と同様に、ビジネス場面に登場する関係者のプロファイリングは、単に事実関係や数値の報告以上に意味がある。 情報を制するものが、世界を、社会を、そしてビジネスを制するという事実は、孫子の昔から変わらない。 心すべきだろう。

Best regards
梶谷恭巨

 

 

 

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