柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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承前。

 今回から「貸座敷の事」に入る。尚、コメント等に関しては、
ブログ版に掲
載の際に考えたい。

「貸座敷の事」

  貸座敷の名称は文字の上から見ると貸席と同様で、凡ての公会、若しくは演説会
にも使用する事が出来る様に思われるが、決して右の如きものではなく、出稼娼妓へ
の貸座敷と云うのである。

   此新名称を附けられたる貸座敷は、即ち昔時から娼館、妓楼、青楼、女郎屋、
旅籠屋、茶屋、揚屋と一般に呼ばれた営業者であるが、当時営業者自身は傾城屋と唱
えて居た事もある。最も中古より遊女屋と称したが、明治初年の頃迄此名称が継続し
て居たのである。

 楼号 娼家の楼号を用うる事は、今は一般になって何々楼と呼んで居るが唯何々屋
と云うのを何々楼という丈けで別に新たに家名を附けた訳ではない柏崎では依然屋
号の下に宅の字を附けた家が四五軒あった。今其名を記せば、

 瓢ヶ宅 源ヶ宅 半宅

等である。此宅の字は家、住家、己が家、自宅と云うのであるが、其源とか五とか云
うは名字の頭字であるとの事である。今見ると一寸異様に感ぜられる。

建物 妓楼の建物に就いては、他地方に於ては往古より麗を極めたものであるそう
だが、柏崎では集娼組織でなく、国道に散在して居るから、昔から奢侈な構造を造ら
ぬ様で、三層楼に至っては僅に二三ありしのみで、他は皆二階造りであったが、内部
の構造に至っては普通民家と別に相違して居らぬ。唯座敷の数が多くあると云う丈け
である。尤も明治三十三年十二月県令が発布されて、内部其他の構造に就て規定され
た。当時貸座敷取締規則第五條に(楼上の客室十坪未満は幅員三尺の梯子一個、ニ十
坪未満は幅員四尺以上の梯子一個以上、三十坪未満は二個を装置し尚おニ十坪を増す
毎に一個を増設すべし)とあった。

 吉原の如きは其内部を区分して見ると、階上階下に分れるは勿論であるが、階下は
大略左の如くである。

  帳場 内証 縁喜棚 料理場 髪部屋 男部屋 女部屋 夜具部屋 湯殿

  食事場 (客室) 便所

等で階上は、

  引付座敷 鴇母(ヤリテ)部屋 娼妓部屋(座敷) 行燈部屋 名代部屋

などに区別されて居るのである。尤も遊郭と云う名称の附いた処では大抵娼妓の部屋
はある様であるが、柏崎にては別に娼妓の部屋抔は区別して置かぬ、全く家族的であ
る。

営業時間 往昔吉原などでは、夜間営業を禁ぜられた事もあったそうであるが、柏崎
では別に然(ソ)う云うことはない様で、又時間とても昼夜の別なく一定はして居ら
ぬ。

 芸娼妓は朝は七時から八時迄の間に起きて、座敷其他の掃除を遣る、夫(ソ)れか
ら朝飯を喫して、裁縫女学校に行くとか、又は内で何か自分の好む事をして居る。其
内に昼飯(一時)を食して後二時頃から四時頃迄昼寝を遣る。夫れから風呂屋に往っ
て来て化粧をなし、夕飯を済ますと大抵六時若しくは七時頃になるが、是からソロソ
ロ素見客(ヒヤカシ)が来る。其内に客もあるという具合で、十二時迄は起きて居る
が、場合に因ると一時二時頃大戸を下す事もある。芸妓のみは十二時限りで寄留宿に
行ってしまう。以上は一般に遣って居ると云う訳ではなく、各楼の規定又は日の長短
に因って相違するのである。

営業者の資格 貸座敷営業をなさんとするものは、族籍住所氏名年齢、営業の場所、
楼名又は屋号、営業家屋の構造を示せる図面を添えて、許可願をするのであるが、県
令で免許地域及び戸数制限が定められれあるから、何処でもよいとか何軒でもよいと
かいうわけには行かぬ、夫れに戸主に非ざる者、後見人なき白痴瘋癲、又は未定年
者、窃盗、詐欺取財、略取誘拐罪、猥褻姦淫罪、賭博又は贓物に関する罪を犯し処刑
満期後改悛の情なき者等は、言う迄もなく営業を許されないのである。開業の許可を
得れば店頭には斯(コ)う云う看版を揚げ、夜間は屋号又は楼名を記した、標燈を揚
げしめたが、三十三年十二月の県令で表看版及瓦斯燈(ガストウ)に貸座敷と記入す
る事は廃止された。

妓楼の株 女郎屋、揚屋及び旅籠屋には其建築に夫々規定があって、或は格子戸とす
る事に定め、或は室に制限を設け、或は朱塗を禁ずる等、其営業と格式とによって、
夫々異る所があったので、外見を張る必要を生じ、抱妓の数、納税義務の差、御用
宿、罪人宿、奉行宿等の関係より、屋号と営業株とが一種の有価物として売買せら
るヽに至った。されば楼名は依然として旧時の如くなれど、主人は幾度か変りたるも
のもあり、又株は相変らずに継続して居るけれど楼名を改めたものもある。

 以上。 「貸座敷の事」を終わる。

(註1)建物: ただ、この「建物」に関して言えば、ほぼ『花街風俗』に同じで
あるが、階下の冒頭に「張店」の記載がない事である。「張店」とは、通りに面した
顔見世の場所で、時代劇でよく見る格子窓の部屋。『花街風俗から引用すると次
の通り。

 「張店は今こそ乱雑となって、唯娼妓が盛粧して遊客の選択縦覧に任せ、或は遊客
を誘招る手段としての場所に使用されるのみとなったが、以前は是以外に大なる関係
があった。即ち大店、中店、小店等の階級、換言れば、其妓楼の資格は此張店の構造
に依って知れたのである。元の吉原時代には、格子見世、局見世の名目(ミョウモ
ク)はあったが、格子見世に太夫を置くもあり、局見世で格子見世を兼ぬるもあっ
て、純然たる区画は立たない。けれども階級はとにかく定められたものらしい。然る
に寛文八年三月廓外の売女屋七十戸が、五百余人の遊女を引連れて、廓内に移住し、
散茶見世を営み、従前の局店、太夫格子店と共同して繁盛を告げてより三種の別が
立った。次いで元禄年間には梅茶見世というが出来たので左の四種となった

 (一)太夫格子見世 (二)散茶見世 (三)梅茶見世 (四)局見世(又の名、
切見世)

 偖(サテ)以上四種類の店に就ての構造は什麼(イカン)といえば、太夫格子見世
は最上の地位を占めるだけに、大格子の中に遊女は部屋を構えたのであるとのこと
で、其詳細は不明である。が散茶見世は、即ち現今の構造が其体裁らしい=多少の差
はあるが=又梅茶見世の構造は、店名の未年に江戸目の巴屋源右衛門の店に其
面影を伝えあったとのことで、・・・・・」

とある。

又、参考までに、少々見難いかも知れないが、大久保葩雪の『花街風俗』に掲載さ
れた貸座敷の組織図を紹介する。



  貸座敷―楼主―営業用建物

        ―営業用什器

        ―営業上雇人―男―

                ―妓夫―見世

                   ―立番

                   ―仲働―本仲

                      ―立仲

                      ―追廻

                      ―不寝番

                   ―書記―下書記

                   ―番子―下番子

              ―女―新造―下新造

                ―鴇婆―下鴇婆

        ―楼主附雇人―部屋働

              ―お針

     ―娼妓

(註2)鴇母: 「鴇婆」とも書く。遣り手婆。「鴇」は、「淫らなことの例え」

(註3)明治三十三年十二月県令: 直接、この県令に関わる資料は見つからなかっ
たが、やや関連する面白い史料があったので紹介する。

 すなわち、貸座敷の新設に関する明治33年4月26日附の内務省警保局長・安楽
兼通による秘甲第123号「貸座敷免許地標準内規の義に付通帳」(公文書館の目録
では、同年10月16日)である。当時、貸座敷の新設には、様々な利権絡みの問題
が起こっていたようだ。今の高速道路とかの情報漏れで、地価が高騰するのに似てい
る。それが、マル秘の通達となったのだろう。尚、この通達に別紙として五條からな
る「貸座敷免許地標準内規」が添付されている。興味深いので、紹介する。以下見る
と、何処か「風俗営業法」の観がある。尚、便宜上「カタカナ」は「ひらかな」に、
「條」は「条」に、「坐」は「座」に変えた。

第一条     貸座敷免許地の新設は左の条件を具備するに非ざれば詮議せす
一、其の土地市を形成し戸数二千以上人口一万以上を有する事。但、兵営所在地、
船着場其の他特別の事情あるものは此の限に在らず。
二、貸座敷営業者なきが為、密売淫の弊に堪えざる事
三、其の附近に貸座敷免許地なきが為、新設の必要ある事
四、其の地方民情に背馳(ハイチ、背き離れる)せざる事
五、貸座敷免許地に適当の場所ある事

第二条     貸座敷免許地に適当の場所とは左の条件を具備する土地を云う
一、別に一廓を為し通行路に当ざる事
二、最近の社寺、公園、官衙(カンガ、役所)、学校、病院、鉄道停車場、市場、主
要なる公道等より相当の距離を有する事
三、遠隔の地より望見し得べき高地を占めざる事
四、其の附近に停車場を設置する等の見込ある場所に非ざる事

第三条     新設の貸座敷免許地の出入口は非常用の為、数ヵ所に之を設けしむる要
すと雖(イエド)可成(ナルベク)一ヵ所とすべし

第四条     新設の貸座敷免許地内に於ける家屋は平屋又は二階建に限らしむべ
目立つべき看板を揚げ又は娼妓を店頭に座列せしむることは之を禁ずべし

第五条     既設の貸座敷免許地にして移転の必要あるときは第一条及第二条に依り
場所を指定し第三条第四条の規定に依らしむべし
既設の貸座敷免許地にして拡張の必要あるときは亦前項に同じ。

 『柏崎』は、恐らく『花街風俗の影響を受け書かれたものではないかと
推測されるのだが、東京吉原とはかなりの相違があるようだ。また、驚くのは、現在
の企業誘致や高速道路・新幹線の建設情報の漏えいと同様に、遊郭の誘致が一種の利
権絡みの問題を生じさせたと思われる状況である。上記紹介した警保局長の秘密通牒
(通達)からも窺えるのだ。また、遊郭の新設が、今の「パチンコ・ホール」の新設
に似ているところが、実に興味深い。してみると、金の絡む世界は、いつの世も変わ
らないと言う事か。

 次回は、「娼妓の事」に入る。

Best regards

梶谷恭巨

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