柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 そもその発端である柏崎での横山健堂と杉卯七との三者会合の話題である「大塩平八郎と生田萬」の事については、別に書いている。 因みに、この時の事情を横山健堂は『大塩平八郎と生田萬』と題し雑誌『日本』に掲載した。 また、文中には、この会合の趣旨を羽石重雄の柏崎中学校長就任と杉卯七の日本石油勤続25年を記念して会合したと書いている。 この詳細に関しては『柏崎通信』に掲載している。 ただ、その後の取材から、新たに発見したことがあるのだが、それは別項にて。 ただ、人脈を追うと、前任の校長である高宮乾一(赴任先、熊本の明善中学校)との関係が推測され、それぞれの前後の人事関係を集材するが、今のところ資料による裏づけを得ていない。

1915 大正 4     45 新潟県 新潟県立柏崎高校第四代校長
 ■新たに判った事実: 柏崎中学第二代校長・高宮乾一は、何と!明治30年7月、文科大学国史科で同期卒業なのである。
 ■『東京帝国大学一覧』では、東京出身とある。 そこで、第一高等学校の卒業名簿を調べたが、見当たらない。
 ■高宮乾一は、大正元年10月11日、離任、福岡県立明善中学校(久留米、現福岡県立明善高等学校)校長に転任している。
 ☆羽石重雄の前任校長・元田竜佐は、長岡中学第20代校長に転任
1917 大正 6     47 新潟県 新潟県立長岡中学第22代校長
 ☆時代が前後するが、明治30年前後、「仙田楽三郎」が長岡中学校第12代校長に就任している。 「仙田楽三郎」は、戊辰戦争当時、長岡藩士、苦学の末、教育会の重鎮をなすのだが、詳細不明。 ★仙田楽三郎については、別項を設ける。
1918 大正 7 12 6 48    
1919 大正 8 4   49 長野県  
1920 大正 9 5 31 50 長野県 長野県立松本中学校第四代校長
1921 大正 10     51   大正10年度から、羽石重雄松本中学校長が「育英事業給貸費生詮衡委員」をつとめた。
1922 大正 11 1 9 52 長野県 始業式で校長訓話
1923 大正 12 3 10 53 長野県  
1923 大正 12 6 28 53 長野県 東京朝日新聞から甲信越野球大会の勧誘状が来たが、今春の中学校長会議によって謝絶。
1923 大正 12 9 1 53 長野県  
1924 大正 13 6 3 54 長野県 私立夜間松本中学校、市立松本女子職業学校校舎で開校式、元諏訪高等女学校長・河野齢蔵が校長に就任。
1925 大正 14     55    
1926 大正 15 4   56 長野県 私立夜間松本中学校長、松本中等学校長羽石重雄が兼務
1926 大正 15 12 25 56 長野県  
1927 昭和 2     57 長野県 松本中学校校長退任、最後の任地になったようだ。
1928 昭和 3     58    
1929 昭和 4     59    
1930 昭和 5 11 17 60 長野県 羽石校長に引退の意ありと聞き、相談会総会を開き留任運動を起こすことを決定、幹部4名即日出県
1930 昭和 5 11 28 60 長野県 羽石校長退任
1932 昭和 7          
1935 昭和 10       福岡県 昭和10年の「福岡電話局電話番号簿」に記載がある。 晩年、父・藤次郎の家督を継ぎ、帰郷したと思われる。

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梶谷恭巨

 


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