柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 原武先生から羽石重雄に関する資料が届いた。 一つは、脩猷館館友会第一回報告の名簿である。 これで、羽石重雄の原籍が判った。 福岡県早良郡庄村百廿九番地である。 そして、彼が第五高等学校(熊本)時代に、館友会に寄稿した論文『須ク其義務ヲ全スヘシ』である。 この論文は、明治27年7月31日の脩猷館同窓会『館友会雑誌』第一号に記載された記事で、羽石重雄が五校卒業(24歳)の年に書かれている。 青年・羽石重雄の人となりを知る上で重要であろう。 そこで、少々長くなるが、その全文を紹介する。 尚、原文は漢字カタカナ混じり文であるが、カタカナは平かなに変え、旧仮名遣いは現代文に、旧漢字は出来るだけ現漢字に、また段落には句読点を加えた。

『須ク其義務ヲ全スヘシ』 在熊本 羽石重雄
 人は社会に立つや数多の義務を有す。 而して其義務を全うしてこそ真の人間とは云うべけれ。 君には到忠の義務あり、父母には尽孝の義務あり、師には報恩の義務あり、朋には以信の義務あり、凡て是等の義務は人類相互の関係を結び付くる一個の條紐にして、社会の秩序を維持するの要素なり。 何とならば、若し人類社会より此義務なるものを解き去るには、君臣父子師弟朋友等の関係、全く杜絶し社会の秩序も悉く廃滅に帰する疑なし。 嗟(アア)義務ちょうものの人類社会に及ぼす影響の重、且つ大なる。 深く考えべきかな。 我同朋四千万人の今日、日本帝国に立つや到忠尽孝の観念は須臾(シュユ、わずかの間)も離れざるももの如し。 換言せば君観に対する義務は決て之を忘却せざるなり。 此れ我国の特有性にして、蓋(ケダ)し古来忠孝の二字を以て愛国の精神を涵養せしに由るならん。 然れども近来泰西(西欧)の文明(物質的)を輸入するに及んで、義務なるものの勢力大に削減したるの観あり。 何とならば(君観に対する義務は暫く之を措き)、師に対し、朋に於ける其他社会諸般の事物上に於て義務ちょうものは、大に軽視せらるるの傾あればなり。 一言以て之を掩(オオ)へば世澆季(セギョウキ、人情が薄れ、道義が乱れた末の世)の三字を以てせんか。

 社会の上流に立て国家に為すことあらんと欲するの士は、大に顧思遠慮(振り返って思い将来を考える)せざるべからず義務ちょうものの、其国民に視倣さるるの軽重如何は、其社会の現象に如何なる影響を及ぼすものなるか。 而して又如何にせば其国民をして義務ちょうものを重大視せしむべきかを探究せさるべきかをす。 余は曩(サキ)に我館友会の設立に際し、斯(カ)く義務ちょうことに付て、卿が感ずるところ有りし。 今回更に館友会雑誌の発兌(ハツダイ、発刊)を見るに及んで、吾人の本館に負う所以(ユエン)並に師友会員の間に存する義務は、余をして已(ヤ)むなく箇の如き愚説を陳(ノ)ぶるの必要を感ぜしめたり。

 古者師弟の間、一種特別の関係存するありて、束脩(授業料)以上、子弟の師に対するの道は殆どん(?)慈子の厳父に於ける観ありし。 其朋友間にありても愛情敬礼の常に存するありて、決して今日に於けるが如き状態にはあらざりしなり。 宜なり師の道を伝うる所以のもの、子弟は之を学び之を行う所以のものなり。 今日師弟朋友相互の関係を見るに少し膨大に之を伝えば、師は芸を売るの商人にして、子弟は之を買うの徒たるのみ。 朋友は只だ同職者の仲間のみ。 而して学校は之を売買するの市場に過ぎず。 噫(アア)此薄情!冷膽(レイタン)! 何の然らしむるところか。 義務を軽視し過るの致すところに非らざるなきを得んや。 時勢の已むを得ざるに出ずると云うと雖も、世澆季に陥り去るを思い来らば、誰か為めに長嘆大息なくして已んや。

 余は親愛なる会員諸君に曰う、吾人は我脩猷館に負うこと大なり。 五年に星霜蛍雲の功を積みたる。 本館は実に吾人の一大恩人なることを記憶せよ。 吾人が己に中等教育を終えたる一個人として、社会に立つことを得るは館の賜なることを忘れなよ。 然り吾人は館を思うこと切なり。 而して斯る規模宏大なる完備せる学校が旧藩主黒田家によりて創設せられ、其意たる、蓋し我々子弟を育成し国家有用の人物tpなすに在りを思い出でては、我々の本館に負う所以は層一層深きを覚ゆるなり。 吾人は斯く本館に負う所以を以て将(マサ)に如何すべきや。 会員諸子が有為の人物として、社会に立つ国家に尽すあるは、館設立の趣旨に戻らず、館に酬(ムク)ゆる所以、是より大なるなかるべし。 然れども、本館をして、将来益(マスマス)隆盛に維持し完全無欠の学校となし、他日、有用の人物をして続々此館より輩出せしむべきの義務は、実に吾人に存すを信ず。 吾人は已(スデ)に、如此一大責任を此館に負う。 館運の一盛一衰、学事の一伸一縮に関し袖手傍観することを得べけんや。

 吾人は又、師に負うことの大なるを思わずんばあらず。 我々が曽(カッ)て館に在るの日は、一二の教師に対しては、或は不懣(満)懐(イダ)くこと無きにしも非ざりしも、今日より之を回想せば、師諸子は実に我々を愛すること深かりし。 今日に於て初めて知る。 曩(サキ)に師の偶々我々を譴責することありしは、真に吾人を思うの深きに出ることを、又信ず師諸子は実に道を伝うる所以の人にして、決て芸を売るの人あらざりしことを。 吾人は師に負うこと亦た大なり。 而して之に報ぜんには宜しく曽て其受くるところを服膺(フクヨウ)し、以て之を学び、之を行う所以の人たれ。 而して将来、此館の為に拮据(キッキョ、貧しくて苦しい生活)勉励、尽くすところあるは、又師に対するの義務を全するに外ならざることを記憶せよ。

 余は又会員諸君に謝す。 生存館の日は誘掖(ユウエキ、人が物事をするとき、先に立ってすすめ、脇から助ける)懇導の労を執られ、魯鈍の余をして卒業の幸を得せしめられたるを。 而して、数多の会員中先後に卒業せられたる諸君には、未だ曽て一語を交えざる人もあるべきも、同じく藩主の徳澤を蒙り、同窓の下に学んで蛍雪の功を積み、等しく本館に負うて将来共に倶(トモ)に館の為めに力を尽さんとするもの、豈(ア)に只だ道路の人にして已まん。 况(イワ)んや生が日々切磋せんところの教室は、又諸子が日々鍛錬せしところの教室なり。 生の用いし所の机卓は、又諸子の用を達せし所のものなり。 諸子が周旋遊戯せられし運動場にては、生も亦曽て奔走闘技でしなり。 然らば則(スナ)ち、生が会員諸子に対する所以は、単に同館卒業者たるの故を以てするのみに止まらんや。

 吾人已(スデ)に本館に負う重大なり。 又師友に受くる軽小ならず。 何を以て義務を尽さん、何を以て此責任を全うせん。 而して之を尽し、之を全うするは、実に我館友会の起りたる趣旨にて、之れあるが為めに微力ながらも直接に本館に尽すことを得るは何よりの幸なり。 而して、又師友一堂の下に相会して已往を語り、将来を戒め、共同事を為さば、其楽き思、半ばに過ぐるあらん。 而して自他を裨益する又鮮少にあらざるべし。 余は会員諸子が常に本館に負う所以を銘肝し終始一徹誠意を以てし、益々館の隆盛を企図せられんことを冀望(希望)して已まざるなり。 茲に会運の旺盛に伴い雑誌誕生の佳晨(ケイシン、よきあした)に逢い、之を祝すると同時に之を保育するの任、亦吾人にあるを以て、吾人の負担益大なるを思い、聊々所感を草し敢て諸子に告ぐ。

 以上。 尚、これに対するコメントは、ブログの容量を超えそうなので、別に掲載する。

Best regards
梶谷恭巨


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