柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 29日、嬉しいFAXが届いた。 以前に問合せしていた修猷館以前と退官後の羽石重雄の消息に関する回答が、福岡県立図書館から送られてきたのである。 実のところ、羽石重雄の取材に行き詰っていた矢先だった。 それがこの報せである。 久し振りに愉快になった。 捨てる神もあれば、拾う神もあるものだと。

 さて、このFAXは、f福岡県立図書館郷土資料課の松尾研一さんのご好意によるものと感謝している。 そこで、氏に謝意を表し、その全文を紹介する。 以下、原文。

*****
 羽石重雄氏の修猷館中学時代までに関する情報について
*****
【羽石家について】
(1)郷土関係の人物については過去からの累積を当館HPで福岡県関係人物検索として公開していますが、羽石姓は皆無です。
(2)回答資料1は慶長分限帳から明治初年分限帳まで翻刻され、巻末には人名索引もあり、1桁の石数から掲載されていますが、羽石姓は見当たりません。 しかし、士族イコール藩士をは限らないにではと思います。
(3)HP柏崎通信を見ると早良郡原村庄の出身ということで、電話帳ハローページ福岡市早良区・西区・中央区を見ますが一軒もありません。 参考資料1にも未掲載の姓です。
(4)回答資料2はもともと大正12年刊行のものです。 後編70Pに原村村長として【羽石藤次郎】明治22年4月就職、同27年7月死亡により退職、本籍原村庄。 前編56P、60Pにも明治22年町村制施行以前の副戸長、戸長として記載あり。 父親なり一族の方と思われます。
【羽石重雄氏について】
(5)若いときの情報ということなので不要と思いますが、回答資料3から昭和8年調べで「福岡市西ノ庄 文学士 羽石重雄」と記載されています。 回答資料4、5で自宅電話をお持ちになっています。 住所は「西庄四五」、職業は空欄です。
【回答資料】
1 『福岡藩分限帳集成』 福岡地方史研究会//編 海鳥社 1999.6  K283/5/フ
2 『早良郡誌』       福岡県早良郡役所//編 名著出版 1973.2  K226/4/サ
3 『菁莪 第28号』    修猷館学友会雑誌部//【編】 修猷館学友会雑誌部 1933/8  K375/264/Sセ
4 『福岡電話番号簿 昭和10年10月15日現在』 福岡電話局//【編】 刊 K694//Sフ
5 『福岡電話番号簿 昭和11年10月15日現在』 福岡電話局//【編】 刊 K694//Sフ
【参考資料】
4 『九州の苗字を歩く 福岡編』 岬 茫洋//著 梓書院 2002.12  K288//キ

 以上が現時点までの調査結果です。 あと好くし時間をいただき資料にあたり、ご報告します。

*****
 羽石重雄氏の修猷館中学時代までに関する情報について(その2)
*****
(1) 回答資料6の原村の項には23名が記載されており、4番目に「一○五 羽石重雄」と記載されています。 「一○五」はこの資料の最初の所得金高等級表を見ると九○○円の所得があったと見るようです。
(2) 回答資料7の原村の項には81名が記載されており、47番目に「○ 二四・○○○ 羽石重雄」と記載されています。 ○点の数字は地租額と凡例に書かれています。
(3) ここからは想像ですが、父(?)羽石藤次郎明治27年7月死亡により、重雄が相続したものと思われます。 戸長、村長を勤めた地主の家の跡取りであり、退職後は福岡の戻り、電話のある恵まれた暮らしをされたと思われます。
(4) 福岡県立図書館は昭和20年6月米軍の空襲により消失しています。 現在所蔵している資料は戦後の収集によるもので、十分納得いただける回答ができなく申し訳ありません。

【回答資料】
6 『福岡県一円富豪家一覧表』 福岡県名誉発起所//編 K283/6/Sフ 鶴久二郎 1973 明治33年調べ。 復刻版。
7 『福岡県早良郡糸島郡富豪一覧表』 福岡県名誉発表会//[編] 1898.7  K283/フ 明治31年編集

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 以上が松男研一氏から送られたFAXの全文である。 ここから判断するには限界があるが、しかし、当初、羽石重雄は、明治初期の激動の中で苦学して上級学校に進み、藩閥の中で教育を志したと考えていたのだが、どうも、そうとばかりは言えないのではないかという疑問が湧く。 それでは、何故、修猷館に入学したのか、また入学時の年齢が高いのだろうか。 それに、修猷館の設立主旨のひとつが、廃藩置県後の窮乏生活を送る藩士の子弟の救済と教育であった事としっくり行かないのである。 まあ、この辺りは、更に研究する必要があるだろう。

 ところで、羽石姓について調べてみると、静岡大学人文学部言語文化学科比較言語文化コース「城岡研究室」の「日本の姓の全国順位データベース」によれば、全国順位3685位、登録件数840である。 URLは下記。
 
http://www.ipc.shizuoka.ac.jp/~jjksiro/kensaku.html
 すなわち、羽石姓は極めて少ない。 そこで、少々古いが手持ちの『全国電話帳データベース』で調べて見た。 当時は、羽石重雄が福岡に帰ったという情報がなく、最後の赴任地である松本市とそれぞれの赴任地を当たり、実は、何軒かに電話して確認した。 記憶に残っているのは、松本市に羽石姓が一軒あり、失礼とは思ったが、事情を説明してお話を聞くと、「聞いた事がない」との回答だった。 ただ、そこで判ったのは、「羽石」を「ハイシ」と呼ぶ姓と「ハネイシ」と呼ぶ姓があることだった。 何件かあったのだが、ヒットせず、挫折。 その後は、調べていないのである。

 まあ、そんな事があったので、退官後については未調査だった。 それが、この朗報である。 何かやる気が起った次第。 気を取り直して、「旧制中学校長の足跡」の取材を続けて行こうと思っている。

 最後に、改めて、福岡県立図書館郷土資料課・松尾研一氏に感謝を。

Best regards
梶谷恭巨


コメント
羽石 重雄氏の件
梶谷恭巨様
福岡市で公益財団法人黒田奨学会の理事をしている田中と申します。奨学会の戦前のデータが総て空襲で焼け、又戦前の事を知っている理事の人も鬼籍に入られています。 現在歴代理事・奨学生の名簿を整理中です。羽石重雄は戦前当奨学会の理事であった事は間違い無い様ですが、いつ頃の理事であったか?又奨学金給付生であったか否かも分りません。 修猷館の卒業生名簿でM24の卒業生であり、長岡中学や松本中学の校長先生だったらしい事のみしか分りません。
もしも貴方様が、羽石重雄が何処の大学or師範学校に進まれたのかの情報をお持ちでしたらお教えいただければ幸甚です。
【2014/09/01 19:09】 NAME[田中崇和] WEBLINK[] EDIT[]


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