柏崎・長岡(旧柏崎県)発、
歴史・文化・人物史
29日、嬉しいFAXが届いた。 以前に問合せしていた修猷館以前と退官後の羽石重雄の消息に関する回答が、福岡県立図書館から送られてきたのである。 実のところ、羽石重雄の取材に行き詰っていた矢先だった。 それがこの報せである。 久し振りに愉快になった。 捨てる神もあれば、拾う神もあるものだと。 さて、このFAXは、f福岡県立図書館郷土資料課の松尾研一さんのご好意によるものと感謝している。 そこで、氏に謝意を表し、その全文を紹介する。 以下、原文。 ***** 以上が現時点までの調査結果です。 あと好くし時間をいただき資料にあたり、ご報告します。 ***** 記 【回答資料】 ***** 以上が松男研一氏から送られたFAXの全文である。 ここから判断するには限界があるが、しかし、当初、羽石重雄は、明治初期の激動の中で苦学して上級学校に進み、藩閥の中で教育を志したと考えていたのだが、どうも、そうとばかりは言えないのではないかという疑問が湧く。 それでは、何故、修猷館に入学したのか、また入学時の年齢が高いのだろうか。 それに、修猷館の設立主旨のひとつが、廃藩置県後の窮乏生活を送る藩士の子弟の救済と教育であった事としっくり行かないのである。 まあ、この辺りは、更に研究する必要があるだろう。 ところで、羽石姓について調べてみると、静岡大学人文学部言語文化学科比較言語文化コース「城岡研究室」の「日本の姓の全国順位データベース」によれば、全国順位3685位、登録件数840である。 URLは下記。 まあ、そんな事があったので、退官後については未調査だった。 それが、この朗報である。 何かやる気が起った次第。 気を取り直して、「旧制中学校長の足跡」の取材を続けて行こうと思っている。 最後に、改めて、福岡県立図書館郷土資料課・松尾研一氏に感謝を。 Best regards
羽石 重雄氏の件
梶谷恭巨様
福岡市で公益財団法人黒田奨学会の理事をしている田中と申します。奨学会の戦前のデータが総て空襲で焼け、又戦前の事を知っている理事の人も鬼籍に入られています。 現在歴代理事・奨学生の名簿を整理中です。羽石重雄は戦前当奨学会の理事であった事は間違い無い様ですが、いつ頃の理事であったか?又奨学金給付生であったか否かも分りません。 修猷館の卒業生名簿でM24の卒業生であり、長岡中学や松本中学の校長先生だったらしい事のみしか分りません。 もしも貴方様が、羽石重雄が何処の大学or師範学校に進まれたのかの情報をお持ちでしたらお教えいただければ幸甚です。 |
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プロフィール
年齢:
77
性別:
男性
誕生日:
1947/05/18
職業:
よろず相談家業
趣味:
歴史研究、読書
自己紹介:
柏崎マイコンクラブ顧問
河井継之助記念館友の会会員
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