柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 以前から探していた羽石重雄の最後の任地である旧制松本中学(松本深志高等学校)の校史『長野県松本中学校長野県松本深志高等学校九十年史』をやっと入手できた。 残るのは、後三校、「長崎中学」、「島原中学」、それに発端でもある「長岡中学」の校史となった。

 先ず、松本中学の校史によると、松本中学を退任したのは、昭和2年ではなく、昭和5年の誤りだった。 訂正する。

 さて、そこで新たに判明したのは、次の事跡である。

○大正10年度から、羽石重雄松本中学校長が「育英事業給貸費生詮衡委員」をつとめた事。
○大正15年4月、私立夜間松本中学校長を兼務
 校史に次のような記述がある。 以下、本文カタカナの部分は平かなに、旧仮名遣いは現代仮名遣いに一部変更した。
 この夜間中等学校に松本中学校校舎を提供し、校長を兼ね教諭の交流を深くしたのは、羽石重雄校長であった。 したがって、後に、「夜間中学校の如きは、地方には殆んど類例なき時に当って、率先創立したものであったが、漸次盛大に赴き、今日では他より来って範を取るという状態になったのも先生先見の明と云わざるを得ない」(『交友』75号、昭和6年1月1日、「羽石先生を送る」)と評され、また、「先生、見識高邁、夙に推されて市教育会に長たり。 屡々会員を派して各地を視察せしめ、名家を聘(ヘイ)し学理を講じ、理論と実際との調和を謀り研鑽せるを以て、市教育の進歩発展特に著し。 宜なり、全国に先じて此地に夜間中学校の設立せられたること、蓋(ケダ)し偶然にあらざるなり」(武居東一郎、「送辞」、『交友』同前)とも云われているのである。
○昭和5年、退職に経緯
 校史に次の記述がある。
 羽石校長は、「厳粛そのものゝ如き風貌」、「教うるに懇、諭すに淳、用うるに信、而して公私相弁ずるに厳」(岩垂肇「羽石先生を送る」『交友』同前)、「慈愛の情深く生徒を見ること恰(アタカ)も我が子の如」(武居東一郎、同前)く、全校深く敬慕した。 五年十一月進退に道を開いて辞表を提出したとの噂に驚いた相談会幹部は「極力校長留任につとめること」を決し、「寝食を忘れ」て奔走を開始、十七日には第一時に講堂において相談会を開き、満場一致留任運動を可決、相談会長松森正義等幹部四名が出県して陳情歎願することを決め、学校の諒承を得て急遽長野に赴き、まず先輩片山昇(第二五回、明治三七年卒、当時長野師範学校長)を訪問、その斡旋で階川学務部長に直接面会することを許されて縷々(ルル)陳情した。 学務部長は生徒代表の「意気ある純情を汲み十分認め」てくらたが、時既に遅く断念、松中の将来を深く頼んで辞去した。
 翌十八日相談会開催、昨日の顛末を交友に報告、交友もこれを了承し「この際子弟のの道としても先生を涙をのみ送ること」とした。
 十二月八日講堂において離任式。 「最後の壇上に立たれ涙を流」す校長。 式後生徒によりる送別会を開催。 「交友幾人かの熱ある涙の送別の辞にさしもの広き講堂の涙にうる」んだ。 一〇日「松中第二の恩人羽石校長」は東京経由で郷里福岡県に向かった(『昭和五年度相談会記録』)。
 相談会長松森正義・矯風会長山田正彦は、職員代表とともに塩尻まで見送ったが、山田は「いざとなれば慣れにし十年の間離別の情湧然として禁じる能わず。 殊に夫人の涙眼を以て我等を見し、未だ眼裡に歴然たり」と記している(昭和五年度矯風会記録』一二月一〇日の条)。

 これを読んで、思い浮かべたのは『Goodbye Mr.Chips』である。 それはさて置き、羽石重雄は、在任中の凡そ10年間を大過なく務めていることが判る。 これは前任の三人の校長が、何らかの事件・問題に係っているのと大きな違いがある。 羽石重雄が、岩国中学で排斥運動により依願退職し、空白の二年後、柏崎中学に赴任した事情を考えると、丸みが出たというか、教育に対する姿勢の変化があったのではないかと考えられる。

 また、離任の月日から推測して、福岡で何かが起こり、帰郷を決意したのではないだろうか。 そうすると、明治27年7月に死去した「羽石藤次郎」(明治22年、原村村長)は、父ではなく、祖父であった可能性がある。 推測だが、福岡県早良郡原村の羽石家の家督を相続したのが、離任の事由であったのではないだろうか。

 いずれにしても、羽石重雄の人物像が何かしら見えてきた。

Best regards
梶谷恭巨


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