柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 先日信州大学の土井先生から新たな情報を頂いた。 感謝。

 その後、羽石重雄が、在籍した当時の東京帝国大学文科大学国史科の教職員を個々に追いかけて見た。 その過程で、幾つかの面白い事実に行き当たったのだが、それはさて措き、我が国に於ける史料の電子化が如何に遅れているかを痛感した。

 因みに、東大には、「ASK」というシステムがあり、そこに質問を送ると、丁重なる回答を頂ける。 しかし、電子化のニュアンスが異なるのでは?

 ところが、米国の場合、グーテンベルク・プロジェクトによる大学間協同(コラボレーション)による電子化が進んでいて、思いもよらぬ日本関連の文献・史料あるいは書籍に巡り合うのだ。

 その一例が、「Nagaoka no Rekishi(『長岡の歴史』全六巻)」である。 ミシガン大学の図書館に、それを発見したのだ。 勿論、原本そのものは古本として入手が可能なのだが、何しろ高価である。 さて、そのミシガン大学における電子化された本なのだが、内容は二の次で、完璧なものではない。 というよりも、驚いたのが、反古の如き断片、敢えて言えば、テロップの如き有様なのだ。

 その経緯を紹介すると、羽石重雄との関係が強い「仙田楽三郎」を検索した結果なのだ。 文献として「仙田楽三郎」が登場するのは、長岡社(病院)設立に関与した人々の一人として書かれている件だ。

 言いたいのは、内容ではなく、ミシガン大学の図書館に、1968年刊の今泉省三著『長岡の歴史』が原文のまま電子化された史料として存在したということだ。 この文献に対する姿勢は何なのだろう。

 昨今、米国は、当に火の車の感がある。 しかし、そうなのだろうか? 二十年くらい前、初めてアメリカの大地を踏んだ。 ケネディ空港から都市部を抜け、ダイアロジック(現在は、インテルの一部門)の本社があったマウンテン・レイクのパシパニーに向かう国道(ルート66か?)に纏わる風景を眼にしたとき、「ああ、アメリカには勝てない」と痛感した。 アパラチア山脈の北端に当たるののだろうか、真っ直ぐな道が、丘陵という感覚を超えたパノラマを展開していく。 もしかすると、「展開」という言葉さえ超越しているのかもしれない。 何もない平原ではなく、起伏が延々と続く、その背景の中に片道三車線(四車線だったか?)の道が、地平線の彼方まで延びているのだ。 感動というより、恐ろしささえ感じた。

 何しろ、米国で最も古い大学のひとつであるニュージャージー大学の傍を通り、その時の不可思議な風景、商店街のウィンドウには鉄格子がはまり、浮浪者とも思える人々が右往左往している光景、どう考えても、「えっ! これが繁華街ですか」と、思わずボス・小森さんに聞いたくらいの場面だ。 その心象を引きずりながら、高速道にのり、また驚くべき風景に遭遇する。 日本ではとても車検が通らない車が何台の走っている様、「あんな車でもいいのですか」と聞く。 「梶、アメリカには車検はないんだよ」とボスに言われても、「ピント」こないのである。 そんな光景を眼にした後で、「よくもまあ」と感じるくらいの広大な空間的感覚。

 それに似た無力感さえ感じるデジタル化の大波をグーテンベルク・プロジェクトに感じたのだ。 慶応義塾は、日本でも電子化が進んでいる大学だ。 それでも、ミシガン大学には及ばない。 著作権の問題があるのかもしれないが、果たして、それだけの問題だろうか。

 国立国会図書館が、電子アーカイブを奈良(?)に造ってから何年たつのだろう。 一応、IDを持っているが、結論的に言えば、自由公開の部分は少ない。 むしろ、ほとんど当てにならないのだ。 イメージとして、上意下達的とでも言うのだろうか。

 我が国に於ける「図書館学」は、和田万吉に始まる。 慶応元年(1865)8月18日、美濃国大垣藩士の家に生まれ、東京帝国大学文学部国文科を卒業後、明治23年(1890)、図書館管理になり、その後、欧米の図書館あるいは図書館学を見聞習得し、図書館長として27年間勤めるが、関東大震災で図書館焼失、その責任を取って辞任。 国策もあったのか、その後、「図書館学」あるいは「書誌学」は、言論統制と絡み合い、筑波の図書館情報大学の設立まで、一種継子扱いの感があった。 (平成16年閉学、現在は筑波大学図書館情報専門学群) 偶々、この設立時(当時は短期大学)、縁あって、その経緯を知るのであるのだが。

 いずれにして、この情報に対する軽視。 それは、何を意味するのであろう。 因みに、日本では、作家協会から図書館の書籍購入に対してクレームがついたことがあり、現在も継続していると聞く。 この問題に対しても疑問符を投げかけるのである。 すなわち、グーテンベルク・プロジェクトの場合、著作権に係わらない文献については、無料であるが、著作権が継続する文献に関しては、ワンクリックで課金される。 但し、ユーザー・フリー、課金の分担は各大学から連邦政府に。

 要らぬことかもしれないが、グーテンベルク・プロジェクトは、二十数年前には、CDで配布されていた。 一種の協力金が必要だった(送料+実費)。 発足当時、そのプロジェクトの存在を知り、ミシガンかペンシルベニア大学に、アプリケーションを送付し、メンバーIDをもらった。 余談だが、CD配布時代からの全てのCDを所持している。 インターネットで公開されたとき、当時の幹事校(日本的表現)、シカゴ大学だったか、NYシティ大学から丁重なメールを頂いたのを記憶している。

 そんなことを考えると、矢張り、学際的ネットワークの必要を感じるのである。 (私自身は、その圏外にあるのだが。) 官に頼れば、勿論、官の協力も必要だろうが、至るところ青山ありではなく、「至るところ障壁あり」になるのかもしれない。 (何とかできないものだろうか。)

 パソコンが家電になった時代、蔦屋重三郎的プロジェクトを学際的に行う必要があるのではないだろうか。 (あおぞら文庫の存在は、措くべきもない事実なのだが。)

 ただ一言、言っておきたい。 コンピュータの世界に早40年、その世界の危うさは誰よりも知っているつもりだ。 しかし、それでも言いたいのである。 昔、司馬光の『資治通鑑』の和書に出会った。 司馬遷の史記に始まる紀伝体ではなく、史観を寧ろ人間においた史書である。 実は、この本、本家本元である中国では喪失していたと聞く。 戦乱の時代に消失したのか、あるいは清朝になって、その思想が認められなかったのか(陽明学が中国や韓国、すなわち儒教思想として係争されなかった?)、兎に角、無かったのだ。 明治になって廃仏毀釈の荒波が全国を襲ったとき(新潟県の場合は、佐渡を除き、仏光寺に関する史料があるが、大した影響はなかったようだ)、清国の本屋(書シン)が中国古典を大挙して買出しにきたそうだ。 ところが、辛亥革命から続く戦乱で、それさえも消失した。 戦後、もう一度、典籍復古の運動が起こり、横浜・神戸の中華街で高値を呼び、米一粒とでも交換できないかと旧(?)旗本の家から漢籍が放出した。 しかし、またしても意外、朝鮮戦争が勃発し、儒教国韓国の膨大な漢籍が焼失したのだ。 両班の崩壊である。 更に、それに追い討ちを掛けるように「文化大革命」がおこる。 当に、「焚書坑儒」、結果として古典文学はまだしも、歴史書である『資治通鑑』の原本は、なくなってしまった。

 そんな経緯から、原本に、当時、昭和40年頃、二千万円の価格がついた。 しかし、現実問題として、戦乱の世の中を何代も(司馬光は宋の人)経て、結果として皇室の図書館にしか存在し得ないと言われた『資治通鑑』、江戸初期刊の値段が高騰したのも頷けるのである。 (勿論、今では簡単に入手できるのだが。) デジタル化は、そんな史料集めを軽減してくれるのだ。 (記憶が定かではないが、確かこの話、梶山季之の『せどり公爵』にも書かれていたのではなかったか?)

 ただそれだけではないことも付け加える。 北海道大学の古賀洞庵の『おろしゃ文庫』全104巻、奈良女子大の近藤芳樹の『北陸廻記』など、思わぬ文献が電子化されている。 特に奈良女子大のアーカイヴは、現代語訳や注釈付だ。 そのご苦労に感謝したい。

Best regards
梶谷恭巨

 


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