柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 渡部さんから返信があった。 携帯メールをほとんど使わないので、長文が何処まで有効なのか判らない。 そこで、ブログ本体に転載するのだが、個人情報のこともあり、取り扱いを危惧する次第である。 ただ、今回は、許容の範囲として、また渡部さんの便宜を考慮して、転載する。 以下、若干の修正を加えて、掲載した。 一つには、こうした調査の方法が家系を訪ねる人にとって有効かと考えたためである。 尚、「血統」という表現には何かしら非人間的ニュアンスがあるので「血脈」あるいは「家系」とすべきではないだろうか。

 渡部恵様

 PCと携帯との通信なので、長文がかけませんので、出来るだけ短文にて回答します。

 今回判ったことを整理すると、曾祖母様は、「滝谷」という姓を名乗られたことが判りました。 そこで、お伺いしたいのですが、実家の姓は何と言うのでしょうか。 「渡部」かということでしょうか。 また貴女の年齢が判らないので、祖母様に聞かれた経緯から考えて、玄祖母様が、江戸後期に「側使え」をされたことが推測されるのですが、差し支えなければ、女系三代あるいは四代の生年・没年(勿論、祖母様は生存しておられるのだから生年)なり、お教えできないでしょうか。 それにより、時代を絞り込むことが出来ます。

 また、未だ推測の域を出ませんが、「滝谷」と言うのが姓である場合、一つの地名が思い浮かびます。 新潟県長岡市に滝谷町という地名があります。 長岡市から小千谷市に向かって15kmくらいでしょうか。 明治以前、武士階級(士族)以外、一般人は姓を公式には持ちませんでした。 明治になって、全国民が姓を名乗るわけですが、お話の経緯から関連ある地名などを姓としたことが推測されます。 すなわち、当時の状況から、玄祖母様が「側使え」されたのは、長岡藩牧野氏か、あるいは、殿様と呼ばれる一門・親族あるいは家格の非常に高い人に仕えたことが想定される訳です。

 長岡は、ご存知のように(?)会津とは関係の深い土地柄です。 戊辰戦争では、官軍に敗れた長岡藩士やその家族が会津に落延びた道筋に「宮下」があると推測できます。

 もし、貴女の実家(?)の系譜なりが判れば、問題点が絞り込めるのですが、如何なものでしょうか。 家の歴史は、家族を強く結びつけるもの。 これを期に、おばあ様やご家族の方から、家の歴史を聞かれては如何でしょう。 それに、貴女も身近な人に教えては。

 またしても長文になりました。 ご容赦。 参考になれば幸いです。

 以上、送信文。 尚、誤字等あり一部修正しました。

 ところで、「滝谷」という苗字、意外と少ないことに着目しました。 全国で3727位、電話帳の登録件数829件でした。 参考までに。

Best regrds
梶谷恭巨


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