柏崎・長岡(旧柏崎県)発、
歴史・文化・人物史
先日(12月16日)、長岡高校の同窓会・和同会館を訪問した。 同窓誌を閲覧するためである。 この史料に関しては、今しばらく検討する必要がある。 故に、後に報告することにしたい。 ただ、羽石重雄先生に関する新しい情報を得ることが出来た。 羽石先生の長岡中学校長就任のおよそ20年前、長岡中学が、古志郡立長岡尋常中学の時代、初代校長に就任された仙田楽三郎という先生の存在がある。 仙田先生は、安政3年の生まれ、長岡藩士との情報がある。 また、先のように長岡尋常中学校長であったことを頼りに調べ結果、現在の福岡県立伝習館高校、旧制福岡県立伝習館中学(柳川藩の藩校・伝習館を継承)の第二代校長に就任されたことが判っていた。 そこで、伝習館高校に調査依頼をしたところ、明治31年から同35年まで在職、在職中の12月25日に死去されていることも判った。 さて、これからが新事実なのだが、足跡を遡っていくと、驚いたことに羽石先生の出身校である「黒田藩校・修猷館」に行き着いたのである。 仙田先生は、明治22年10月から明治26年8月まで、修猷館で教鞭をとっておられたのだ。 記録には、教諭、後に教頭とあるそうだ。 仙田先生は、修猷館の後に、新潟県長岡の中学に転任と言う記録があるそうだから、それが古志郡立長岡尋常中学であることに間違いは無いだろう。 興味深い事実である。 確証は未だ無いのであるが、黒田藩士の家に生まれた羽石先生が、仙田先生に習ったのではないかという推測が出来るのだ。 その推測を広げていくと、羽石先生が、現在の山口県立岩国高校の前身である旧制養老館中学の校長に就任後、以前にも書いた「排斥運動」により退任され、二年の空白の後、新潟県柏崎市の現新潟県立柏崎高校の前身である旧制柏崎中学初代校長された経緯には、仙田先生の影が見えるのである。 確実な年代を把握していないが、両先生の足跡を図式化すると次のようになる。 仙田楽三郎: この図式を見ると、仙田先生の教諭時代、羽石重雄は19歳から23歳であり、以前にも書いたように、修猷館が当時としては珍しい全授業を英語で行っていた事実と、授業に付いて行けず落伍者が多かったことから推測すると、年齢的におかしくはない。 しかし、推測は推測である。 纏まった文を書いてはどうかという友人からの勧めもあるが、何せ遠隔地のこと、また、当時の研究者が少ないこともあり、調査が儘ならないのも事実である。 しかし、この人事交流の広域性には、当時の中等教育に対する理念の一端が現れているのではないだろうか。 尚、史料の誤認、聞漏らしなどあるやも知れません。 ご容赦の上、ご指摘頂ければ幸いです。 Best regards
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プロフィール
年齢:
77
性別:
男性
誕生日:
1947/05/18
職業:
よろず相談家業
趣味:
歴史研究、読書
自己紹介:
柏崎マイコンクラブ顧問
河井継之助記念館友の会会員
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