柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 アーネスト・サトウの『日本旅行日記』の解説の前編をアップロードして、既に半年が経つ。 その後の対応に対して、実に心苦しい思いがある。

 実は、ご存知の方も多いのだが、『柏崎通信』には、ML形式のメルマガがあり、その内で確認が取れたもの、あるいは、少なくとも資料的に検証したものをブログ版として掲載することを原則としている。 しかしながら、それでも、ご指摘を受けることが多々ある次第だ。

 ブログ版に最後に掲載した記事、すなわち、アーネスト・サトウの『日本旅行日記』の独断的注釈を掲載したのが、昨年の12月23日である。 しかし、この記事を書き始めたのは、ML版『柏崎通信』では、11月16日~29日、すなわち、号数で言えば、964号、965号、968号の三回で、関係各地の図書館・教育委員会などに問合せ、取材、検証をして、アップロードしているだ。 その後、後編をと思いしが、何かと壁に当たり思うような取材ができず、検証にも至らぬのが事実で、頓挫の状況。

 そんな次第もあり、テーマを変更したりして、現在、柏崎の旧家・牧口家などを追い、ML版では995号に到っている。 特に、一時期としてあげることができるのは、長崎海軍練習所に関わるカッテンディーケである。 カッテンディーケに関しては、オランダにおける始祖まで追いかけ、そのことを詳細に渡り何回かML版に掲載した。 因みに、現在のご子孫は、シンガポールの銀行の重役、もしかすると頭取ということになるのかもしれないが、自分のテーマとは別な道に踏み入れたのではないかと、日本的個人情報保護法の観点から掲載を控えた。 寧ろ躊躇したというべきかも知れないが、兎に角、まとめてアップロードすることを控えたのである。 因みに、ご子孫は、LinkInのメンバーであり、一応、先のことを考慮して、私自身、加入した。

 そうした山をまた感じ、先に書いた「牧口家」について、以前書いた記事にコメントが寄せられたこともあり、その追求を始めたのだが、現代史に近くなると、現実的な問題点があり、ブログへの掲載を躊躇せざるを得ない。

 自分は、元々『柏崎通信』を千回書くことを目標にしていた。 それも、後五回、感慨も多い。 そこで、この文章を書くことに決めた。 ブログ版『柏崎通信』を止めた訳ではないのだが、読者諸賢が、もし、原稿あるいはそれ以前の覚書程度だが、稚拙なるML版『柏崎通信』をお望みであれば、限定して配信することも可ではないかと。

 『柏崎通信』は、FreeMLによる非公開のMLで、メンバーが、現在、約70名。 メンバーの年齢も様々、職種も然り、また、外国のメンバーもいる。 加入後、マイページを作れば過去の記事の閲覧も可能。 ブログに掲載するまでの取材・調査も、誤字脱字・誤解釈を含め、その経過をご理解して頂けるかもしれない。

 一世紀、あるいは三世代は前のこととはいえ、公開を憚ることもある。 しかし、今という時代を考える場合、江戸末期から明治・大正・昭和初期は、避けては通れないいというのが、我視点である。

 この五月で65歳になる。 今は平常とはいえ、大病も患い、ブログとはいえ公開する責任に少々疲れも感じる最近。 敢えて、斯くの如きお知らせを書く次第である。 ご理解頂ければ、幸い。 今後とも、ご指導とご鞭撻をお願いし、且つ、拙文・浅学のこと、ご容赦の程を。

Best regards
梶谷恭巨


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1947/05/18
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よろず相談家業
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歴史研究、読書
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柏崎マイコンクラブ顧問
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