柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 先ず表紙の裏書を紹介する。 尚、旧漢字は当用漢字に変換した。

 範士 中山博道先生 口伝
 居合之意義及由来の概要
 居合実施上の注意
 昭和五年八月
 於有信館本部 鱗平之書綴

 以下、本文:

「居合の意義及由来の概要」

 居合とは刀の抜き方収め方刺撃防拒の方法等の諸法を居座の儘行ふ術にして、抜刀術とも謂う。 即ち長剣を以って倭屋の中に戦ふと雖(いえども)、進退自由をなし、氣息を調へ、敵の短刀と我長剣を抜くに緩急なく縦へ立ち上りて戦ふとも最初の全躰を頽敗せざるを目的とする。 之が為め、特に注意して修習すべきは佩刀法、鞘手の掛け方、鞘口(鯉口)の抜き掛り鞘の内抜き放し方、切り付け方、柄の握り方、翳し方、撃突法、掌中の作用、足の踏み出し方、立ち上がり方、手の高低、其の他の手捌き方法等にして、要は、心手期せずして機に望み変に應じ得るにあり。

 昔は、居合に熟する時は、今日の如く剣術の稽古を成さざるも実用に足るものとせり。 奥州の林崎甚介重信(足利氏の末の人)と云う人、奥州の楯岡林明神に祈り、抜刀術精妙に至る。 世これを林崎甚流と言ひ又重信流とも伝ふ。 中興抜刀術の始祖とす。 此の後、田宮平兵衛重正なる人あり、此の術を名のり田宮流と云う。

(注1)林崎甚介重信: 史料によれば「甚助」ともある。 天文11年(1542)、出羽国楯山林崎(現、山形県村山市楯岡)に生まれる。 父は、楯岡城主・最上因幡守満英(楯岡氏、年代から推測、もしかすると、一代前の長門守満康かもしれない)の家臣・浅野数馬。 幼名を浅野民治丸という。 母は、高森氏の娘。 天文16年(1547)、父が坂一雲斎(主善)に闇討ちされ、敵討ちのため、楯岡氏の武術指南役・東根刑部太夫に師事し、武術に精進する。 弘治2年(1556)、元服し林崎甚助重信と称し、林崎の熊野明神(林崎明神)に祈願した所、神意を得て、抜刀術の極意を伝授される。 以降、流派を神夢想林崎流と称す。 永禄4年(1561)、京都にて敵討ち本懐。 諸国を巡歴し、加藤清正の招きに応じ、剣術指南をしたと云われる。 また、塚原木伝に鹿島新当流を学んだというが定かではない。 弟子に、田宮重正(田宮流開祖)、関口氏心(関口流開祖)、片山久安(片山伯耆流開祖)が等がいる。 尚、現在、林崎神社は、「林崎居合神社」と呼ばれているそうだ。

 重信流より出ず水戸に和田平介なるものあり新田宮流を開く。 又、長谷川流あり、これ又林崎甚流より出ず、長谷川英信流と命名せしは、林崎重信先生より七代長谷川主税助英信より起りし事なり。無双神傳英信流抜刀兵法とも云ふ。 本重信流と穪(称)へきなれど長谷川先生は後の達人なる故に此の称あり。

 又大森流は、流祖より九代の林六太夫守政先生の剣術の先生にして大森六郎左衛門と云う先生は眞陰流古流五本の任形より案出して長谷川英信流に附属せしものなり。 この他、影山眞刀流あるも其の出ずる所を詳らかにせず、一伝流は丸目主水正(モンドノショウ)より出ず、又伯耆流あり其の出ずる所を知らず。 荒木流は、荒木銕心斎より出ず、又新刀一流長尾流あるも皆其のずる所を知らず。 神陰流にては抜刀の事を鞘の内と云う。 近代、長井兵助、此の曲技あり。

(中山博道先生口伝)

 

(注2)和田平介: 和田氏流居合については、幸い碑文があるので、そのURLを紹介する。

 http://www.geocities.jp/sybrma/164wadaheisukenohi.html

 ここで注目するのは、和田平介を「新田宮流開祖」とするところである。 この件は、水戸東武館に確認する必要があるだろう。 碑文では、明治10年1月、田宮流第十六代、大日本武徳会剣術教士・水戸東武館長・小澤一郎弘武謹識とあるからである。 碑文から察するに、実に興味深い人物である。

(注3)長谷川英信流: 本文にある如く「無双神伝英信流」あるいは「無双直伝英信流」といい、主に信州あるいは土佐で伝承された。 特に、土佐では現在も「無双神伝英信流」として盛んである。 また、中山博道は、この土佐流の谷村派あるいは下村派に学び、「夢想神伝流」を創始した。

(注4)長谷川主税英信: 江戸時代初期の武芸者であるが、不詳。 ここでは、本文の通り林崎重信より七代目・長谷川主税英信とする。

(注5)大森流: 三代将軍家光の頃、大森六左衛門正光が、新陰流と小笠原流礼法を基に創意工夫して完成させた居合術。

(注6)林六太夫守政: 寛文3年(1663)、土佐山内家の御料理番頭・林政右衛門の子として生まれ、江戸勤番の折、長谷川英信流第八代・荒井信定(勢哲)から居合を学び、継承して第九代となったほか、大森六左衛門からも居合を学び、流派を発展させた。 帰国後、四代藩主・豊昌に仕え、藩内に流派を広めた。 幕末の藩主・容堂、板垣退助などが門人として有名。 享保17年(1732)7月17日、江之口村七軒町に没す。 享年70歳。 同村筆山に墓がある。 尚、「九代」とは、林崎甚助から九代目ということであり、長谷川英信流では第三代に当たる。 次のようなブログがある。 http://yaplog.jp/wellers/archive/318  参考までに。

(注7)大森六郎左衛門: 正光(あるいは、正虎)、(注5)参照。

(注8)真陰流: 新陰流のこと。 上泉信綱によって創始された流派。

(注9)古流五本の任形: 「古流五本」は、後に出てくる「鞘の内」のこと。 「任形」というのは「形い任せて」ということだろか。

(注10)景山眞刀流: 丹波の人で、新当流を学んだ景山善賀入道景山流が、慶長の頃、伯耆と備前の国境の山中に籠り居合術(抜刀術)を考案したとあり、また「眞刀流」は、他にも異字を使う例があるので、「新当流」と考えると、「景山新当流」という流派があったのではないだろうか。 因みに、「景山流」は、新当流剣術、静流薙刀術、三徳流三道具(刺又・突棒・袖搦の三捕り物道具)術、棒術、小具足(柔術)、それに居合を入れた総合武術で、特に仙台藩に伝えられ、現在も残っているようである。 余談だが、先の三道具は、昔から我家にもあり、子供の頃、それで遊んで叱られたことがある。

(注11)一伝流: 本文の通りだが、一伝流が付く流派として、「浅山一伝流」とその分派「津田一伝流」があるいが、丸目主水正との関係は不詳。 ただ、丸目主水正の一伝流は、国家(クニカ)弥右衛門に継承され、それが浅山一伝斎(浅山一伝流開祖)に引き継がれたという記事がある。

(注12)伯耆流: 片山伯耆流。 片山伯耆守久安を開祖とする剣術と居合術の流派。 開祖・片山久安は、天正3年生-慶長3年没、安土桃山から江戸時代初期の人で、元和年間、安芸国に移り、浅野氏の家臣に門人が多かったが、その後、岩国に移り、子孫は廃藩まで岩国藩吉川家に仕え、流派は第八代片山武助まで(1944)継承された断念、現在は、その分派が熊本に伝承されているようだ。

(注13)荒木流・荒木銕心斎:  不詳。

(注14)新刀一流: 不詳。

(注15)長尾流: 「正伝長尾流躰術」と古武道の流派が、金沢工業大学の正伝長尾流躰術部に継承されている。 様子を見ると、単なる柔術ではなく、剣術・柔術などを組み合わせた総合武術のように見受けられる。 もしかすると、居合術も含まれていたのかもしれない。 (金沢工業大学の同部に紹介のメールを書いた。 回答があれば、紹介する。

(注16)神陰流: これは、新陰流のこと。

(注17)鞘の内: (注9)参照。

(注18)長井兵助: 代々蔵前に住み、居合い抜きで客寄せした江戸後期の大道芸人。 ガマの油など客寄せに居合を見せ評判になった。 明治の初めまで、数代続いたという。

 余談だが、夏目漱石の『彼岸過迄』に「長井兵助の居合抜」と出ている。 また、明治29年に「春風や永井兵助の人だかり」、「居合抜けば燕ひらりと身をかわす(この句も、長井兵助のことか)」、明治30年に「抜くは長井兵助の太刀の春風」の句がある。

 尚、中山博道については、別に項を設けて、後に紹介したい。

 今回は、取材・調査に時間が掛かってしまった。 何しろ、分派分派があり、その関係も資料不足で、一々追いかけていたら、それこそ迷路に迷い込む次第だ。 史料・資料が少ないのは、恐らく江戸期までは、門外不出の継承・伝承であった為と、明治中期まで、言い換えれば、武道(剣道と柔道)が中等教育の正科となるまで、武術が省みられなかったこともあるのかも知れない。 また、「武士道」が、本家本元である日本で廃れ、外国人、例えば、チェンバレンらによって海外に紹介され、新渡戸稲造がそれに応えて『Bushido(武士道)』を英語で書き、時の米国大統領・ルーズベルトが高く評価したことによる逆輸入で、日本人が改めて「武士道精神」を省みたのではないかという様子が窺える。 この武道の寒冷期に、多くの系譜が断絶し、資料が仕舞い込まれるか、そのまま廃れたのか、何とももったいないことである。 それに、武道の性格から、武道の歴史が軽視される傾向にあったことも、武道史研究者の少ない所以だろう。

Best regards

梶谷恭巨  

 


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