柏崎・長岡(旧柏崎県)発、
歴史・文化・人物史
「流行」の項も終わりになる。 昭和元年(1926)~2年には、「籠に小鳥を飼うことが全国的に流行した」と、前回の「生きる意志の否定」(1903)から、唐突の「小鳥の流行」が出現する。 こうなると、「小鳥の流行」よりも、この空白の二十余年が気がかりである。 明治の晩年と大正時代が、すっぽりと抜けているのだ。
こうなると本格的にチェンバレンを調べなければならない。 まあ、その前に、このシリーズの締めくくりとして「鳥篭の小鳥」のことも調べよう。
これが意外と難題である。 調べるのは、当時の「小鳥の飼育」に関する出版物であろう。 使える飼料がほしいから、先ずは、「近代デジタルライブラリー」から検索する。 ところが、プライオリティが低いのであろう。 クロス検索しても5件しかヒットしない。 取敢えず、その4点を確認する。
(1)『娯楽と実益家禽と小鳥の飼ひ方』、家禽飼育研究会編、東京:盛陽堂、大正7年
さて、この5件の資料で、昭和元年辺りの「籠の小鳥の飼育」に直接関係ありそうなのは、(5)なのだが、本文を読むと第二編「小鳥の飼ひ方」第一章「飼ひ方の心得」とあり、一見すると、丁度、子供がお祭りでひよこを買う場面が思い浮かぶのである。 お祭りの「ひよこ」は大抵雄で卵を産まない。 可愛さ余って親にせがむ、「これは皆雄だから卵は産まないよ。 大きくなると困るんだよ」と言われても、黄色い小鳥の魅力に勝てない。 そんなことも考慮して書かれたのがこの本か。
先ず、本文を紹介しよう。
「人気のあったのは、鸚哥(インコ)、牡丹鸚哥、ジャワ鶸(ヒワ)であり、べらぼうな値段が支払われた。 しかし、この小鳥も繁殖するにつれて、流行は下火となり、高値な小鳥は売りたくても売れず、結局は、餌代を節約するために放してしまうのが多かった」と。
要するに利殖の為の飼育であり、趣味なんて何処にもない。 こりゃあ皮肉だ。 彼のいう「流行」とは、ブラックヒューモアに違いない。 伝統や文化、あるいは文明を捨てると、ただ目先に走るのが人間の本質だ。 もう頼るのは相場だけ。 滞在、五十余年におよぶチェンバレンも、この流行には、呆れ返って辟易し、匙を投げたの感がある。
自分が、「流行」を取り上げたのも、そこにある。
ところで、話は変わるのだが、司馬遼太郎著『街道を行く』の第一巻に、チェンバレンが登場する。 二回目に当たる「竹内街道」の一場面、ケンブリッジと記憶するが、京大留学中(学生ではない)の日本語学者ロジャ・メイチン氏の挿話である。 司馬遼太郎氏は言う、
「じゃ、B.H.チェンバレンという人を知っているの」
「その人の名をきくのは、はじめてです」
もう、こうなると考えてしまう。 機会があれば、この続き、書くこともあるだろう。 |
カウンター
プロフィール
年齢:
77
性別:
男性
誕生日:
1947/05/18
職業:
よろず相談家業
趣味:
歴史研究、読書
自己紹介:
柏崎マイコンクラブ顧問
河井継之助記念館友の会会員
最新記事
(10/14)
(10/14)
(10/14)
(10/14)
(10/14)
最新コメント
[04/17 梶谷恭巨]
[04/17 まつ]
[03/21 梶谷恭巨]
[11/18 古見酒]
[07/10 田邊]
カレンダー
フリーエリア
最新トラックバック
ブログ内検索
最古記事
(11/28)
(11/28)
(11/28)
(11/28)
(11/28) |