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柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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承前。

 

柏崎の廓言葉」

 

何れの遊郭でも、其言語に普通と異(チガ)って居る点がある様であるが、柏崎い於ける廓内の言葉を紹介すれば左の通りである。

 

「廓内の部」

ためにかかります(是は玉代、線香代のかわりめの時)、貰い切り(揚げ切り)、あばァ(下女)、ちらし(一寸お目見え)、踊子(禿(かむろ))、内がかり(楼主より諸経費を負担する妓)、()ものもち(常着其他を所持する者)、自分持(全部妓の負担になる者)、はだか(内がかりに同じ)、やまだし(始めて娼妓となる者)、ひまもらい(呼戻す事)、東京のしょ(東京の客)、大阪もん大阪の客)、叱られます(情夫のお惚気(のろけ))、言へ付けますで(同)、浮気もんが(お転婆の事)、こうかつだぜ((けち)なるを指して)、猫なかせ(大喰者(おぐいもの))、いけすかんが(気に入らぬ)、へなちょこ(嘲る事)、鼻たらし(鼻下(びか)(ちょう))、あつべろん(そうでない事)、しゃれこき(美装)、人の人(己の情夫)、姐さん(老妓)、やまのとっさん(猿)、大きらいだが(嫌なこと)、ひねりっぱなし(線香一本でかいさるる時)、おとといおいで(すかぬ客に(から)かう時)、在の旦那衆(田紳)、いやおつきに(そうでない)、なまくら((なま)けもの)みじまい(化粧)、銀ながし(ハイカラ(もん))荒浜もん(夜具を急ぐ人)あんちや(兄さんの異称)、おつちやん(弟)、あの子さん(使子を呼ぶとき)、なで箒((あい)(かた)変える客)、この人さん(此人)、たらどうしょば(困った時)、札がかかった(入院)、腕が利く(遊芸に達せるもの)、チャントついています(情夫のあることを云う)、これ(恋人)、旅の人(他地方の客)、はがき或いはしきり(勘定書)、はばかり(便所)

「客筋の部」

はをし(二度玉代及び線香を重ねる時)、かんろッこ(禿)、一つはだくか(登楼をする事)、いろをんな(情婦)、あぶ(遊ぶ)、にかや(二階)どっさり一ぱいこと(沢山)、しぎる(奢る)、じゃしきあるかい(座敷があるかい)、すぱだく(登楼)

 

(注)下線の部分は、原文に付点があったところ。尚、音便とう小文字とそうでない所が混在していたので、判る所は音便にしたが、表記は音便表記ではないと考えてよいのではないか。また、仮名遣いは、言葉の問題だから原文のままとした。

(註)禿: 肩までで切り揃えた児童期の髪形、転じて、遊郭に住み込む童女の事。余談だが、柏崎には、「禿」姓がある。お寺の姓なのだが、この先代ありは先先代に、神道無念流有信館・中山博道門下の禿勇専(教士)氏がある。氏は、大正2年(1913)3年、大正6年~昭和5年(1930)の間、旧制県立柏崎中学の剣道師範だった。因みに、友人・市川昌平氏の父上、故市川隣平氏は、禿氏の同門の後輩に当たり、教士(八段)、昭和10年から終戦の年まで、柏崎中学の剣道指南だった。

 

 興味ある部分なのだが、何しろ地元の者ではない、文中の言葉を借れば、「旅の人」であり、(事実、新潟に来て40年近くなるが、昔はよく「旅の人」と言われた)、コメントのしようがない。ただ、文中にもあったが、この地方(柏崎)では、「い」と「え」の発音の区別が定かではないようだ。

 

 それでは、と言うのではないが、実は、柏崎の言葉は広島弁と共通点が多くあるように感じる。例えば、「そうだすけーのう」は「そうじゃけーのう」とか、また、単語に於いても、ほぼ同音同義で使用されている言葉が多く見られるように思う。これは、一つには柳田國男の「言語のドーナッツ理論」から、もう一つは、北前船あるいは北前廻船による言葉の伝播あるいは拡散に依るものではないだろうか。

 

 ところで、先日、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」(山県県鶴岡)で、「そうでがんす」というのが鶴岡方言と聞いたのだが、広島(西部、安芸国)では、昔、古老が、全く同じ使い方・意味で、この「そうでがんす」と言う言葉を使っていた。広島でも、実は、旧安芸国山間部と海岸部では言葉が異なる。また、詳しくは知らないのだが、広島市(城下)の言葉も、大分違いがあったようだ。しかし、概していうと、岡山から広島山口、更に、旧石見国(島根県西部)、出雲を飛ばし、鳥取、福井、などで、同質の言葉をよく耳にした。ただ、残念ながら、大抵の県は旅行したことがあるのだが、山県と秋田だけは、一度も足を踏み入れたことがないのだ。そんな訳で、広島と鶴岡の「そうでがんす」が、どのような関係に在るのか、感覚的にも把握できないが、調べて見た事である。

 

 また、長岡と柏崎では、言葉が違う。しかも、長岡でも、所謂「在郷」と長岡のでは、全く言葉が異なり、違和感を感じた経験がある。越後は、兎に角、在地の大名領、その飛び領、また、大身の旗本や他地方の大名の飛び領、更に天領が入り組んで、それこそ他地方には見られない言語・文化、経済・社会システムなどが混在し、越後独特の文化圏を形成してきたのではないだろうか。

 

 私自身は、旧越後という複合社会・文化圏を、日本の近代化のモデルではないかと考えている。言い換えれば、人間関係を含む越後の全体的近現代史の把握こそが、「今を見る鑑」としての歴史認識ではないのだろうか。大分飛躍してしまったが、いずれにしろ、郷土史を単に限定的地域史と捉えるのではなく、全体との関係あるいは位置付けで見る事が、重要だと考えるのである。過言、ご容赦。

 

Best regards

梶谷恭巨

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