柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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承前

野鳥の味

 

 震災前に霏本橋の電車通りから僅か東に入った處に、島村と云ふ小料理屋があった。一寸見るとしもたやのやうに見える家だったが、ここの(うずら)の吸物は有名なものであった。うづらを叩いて小さな團子(だんご)に丸めたのを一寸味附(あじつけ)をして、別に(こしら)へた實に良いだし加減の澄んだつゆに、二ッ三ッ入れてある鶉碗(うずらわん)であった。震災後四谷鹽町(しおまち)の横町にあった、丸梅と云ふ腰掛けの小料理屋では、(うずら)(きも)ばかりの吸物を出して呉れた。鶉料理の双璧と云ふ處だらう。(しか)しどちらも鶉のあの何とも云へない良い獨得(どくとく)の肉の香りは少ないから、野鳥の持つ特異の香の中で、親しみ味はうと云ふ料理屋ではないやうだ。それは鶉の足をそのまま腰の處から切り離して、股から上の大きな骨のある處を、骨の中の(ずい)の旨い味を散らさないやうに、少し叩いて食べ易くすると同時に、股へ脂が乘って白く見える處を(きずつ)けないやうに足ごと燒くのが最も良い。一羽から二本とれるが、(のこ)りの胸の肉は骨ごと叩いて平たく延ばして燒くのが旨い。これも骨の中の髓の味が、肉に浸み込んで何とも云へない良い味になる。嚙みこなせるなら叩くよりはその方が旨いことは云ふ迄もない。

 私は江戸料理はけなすけれど、江戸風の鶉料理だけは旨いと思ふ。このやうな叩き(うずら)に味をつけて空煮にしたのであって口取り等にあしらってある。胸や足の處は叩いて、平たく延ばして二皿に分け、一皿毎に(うずら)の羽根をわざと乘せてあるのは、少々氣障(きざ)ではあるが、羽根を見たり足を見たりすると(うずら)だなと思はれて、(そそ)られる味覺、それだけで喰べないうちから旨い。(うずら)も他の野鳥と同様に、全部を叩いて味をつけたのを、平たく薄い杉板の上に延して、杉板の(まま)燒く杉燒(すぎやき)も、勿論どの鳥よりもおいしい。板は薄い程早く燒ける。野鳥の中で(うずら)位旨い鳥はないから、どんな料理にしても可ならざるはなしと云って良からう。それにしてもあれだけ味覺の發達した支那人(しなじん)が、何故鶉を賞味しないのか。いやするのだらうが、鶉を料理するやうな高級な支那料理を私が知らないためであらうか。(しか)し、秋も九月頃から始まる網で取る旅順の鶉獵(うずらりょう)は、多獲で有名だが、渡り鶉で痩せてゐるから、内地鶉(ないちうずら)程に(あぶら)が乘ってゐなくて旨くない。奥地から段々移って來た鶉は、遼東半島の突端(とったん)旅順附近より海を越えて南へ行くのださうだ。だから獲れる季節が誠に短い。

 鶉の(りょう)には色々(かわ)った獲り方がある。旅順のやうに網を張って取るのもあるが、銃獵の好きな人は鶉獵(うずらりょう)位鳥撃ちの醍醐味はないと云ってゐる。同じ鐡砲(てつほう)()ちでも唯餘計(よけい)獲れるのが面白い、大きな獲物が欲しい、と云ふ人達は、鴨獵(かもりょう)や、雉、山鳥、猪、鹿を()ふのが面白いだらうが、犬を使ふ高尚な鳥打ちは鶉獵(うずらりょう)に限る。鶉は決して林の中や、高い樹や(けわ)しい山につくのではなくて、平原が好きだ。枯れ(すすき)の中や、低い草むらや、ぼさや、河原の草につくから、獵犬(りょうけん)の動作がすぐ眼の先に見えてゐる。犬の尾の振り方、素振り等で、ここにゐるなと云ふことが判斷(はんだん)出來る。鳥は容易に飛び出さないから、時間がかかる。それを待つ間の樂しみは何とも云へない。犬は鳥を見附けると、そのまま硬直したやうに動かないで、鳥を狙って主人から良しと云ふ掛聲(かけごえ)のかかるのを待ってゐる。實に鶉射ち位一羽の鳥で永く樂しめる醍醐味はない。犬の鼻先にゐると(きま)ってゐて、吾々にはどうしてもその鳥が見えない。(しか)鶉獵(うずらりょう)の名人は犬なしでこの鳥を見附けて投げ網で捕る(りょう)がある。

 秋に渡って來る田鴫(たしぎ)も、鶉と()んど同じ料理で喰べるのだが、これも實に旨い。鶉よりも骨格が華奢(きゃしゃ)だから、叩かずに骨ごと喰べられる。特に頭骨が薄くて弱いから、燒いたのを、長い(くちばし)を持って、(のう)を骨ごと(かじ)るのが旨い。田鴫は秋十月に北から渡って來るが、近來東京附近には餘り渡って來ない。附き場が亡くなったのと、(えさ)がないのとの二の原因だらう。化學肥料では、(しぎ)の好む虫類の、その又餌が田に無くなったから、三段の原因で田鴫(たしぎ)の渡りが(すくな)くなったのだらう。鴫の附き場で鳥打仲間に有名だった志村の田圃も、餘す處なく工場地域と變ったし、(わらび)から浦和へかけても工場や住宅が建て(つらな)った。明治時代、秋にはこの(あたり)に張り網が盛で鴫は膸分獲れたから、屋台店(やたいみせ)燒鳥屋(やきとりや)にも出たものである。

 (うずら)(しぎ)も秋に渡って春は(かえ)って行く鳥だが、(ばん)反對(はんたい)に春來て秋には(かえ)って行く。春來るのは日本で()(いとな)むためである。鷭の旨いのは營巢(えいそう)を始める前より、秋に大きな西風が吹けば、南へ歸らうとする時分の方が良い。春は繁殖の關係で小魚を主として喰べるし、秋は穀類を多く喰へるからである。(ばん)は脂が少くて一般にそれ程賞味さらないか、御狩場燒(おかりばやき)にすると可なり旨い。鴫のやうに燒くのには、骨が大きくて堅いから餘り向かない。フライ鍋で植物油で燒いたら良ささうに思ふが、遂に今日迄その機會がない。春から初夏の頃、眞菰(まこも)河骨(こうほね)の中から尾を上げ下げして(かく)れたりする姿が、如何にも可憐で、眺めてゐる方が喰へるより良いやうな氣がする。

 小鳥で旨いのは(あお)じと、(すずめ)であらう。(つぐみ)赤腹(あかはら)も旨いが靑じには及ばないと思ふ。明治時代には目白の鬼子母神(きしぼじん)の境内に、有名な燒鳥屋があった。恐らく昔あの(あたり)で獲れた小鳥類を、燒いたのが始めだらう。ここの燒き方は小鳥類の丸燒だが、燒く時に一寸胡痲(ごま)油をつけて燒いてゐたやうだったが、普通の燒鳥より確かに旨かった。震災後に何年振りかで行った時は、料理屋風になって、もう昔の面影はなかった。(うずら)でも(つぐみ)でも(すべ)て小鳥は、毛を引く時に皮ごと()いたのでは味が丸で落ちるから、どんなに面倒でも、羽毛だけは丁寧に皮を(きずつ)けないやうに()かなければいけない。小鳥許りではなく肉の好い味は皮と肉との間にある。(かも)の如きも格段に違ふ。(いのしし)の肉も毛を剃刀(かみそり)()るのでなければ、毛根の(ところ)の良い味は捨てられる。

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