柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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前回に続き、その五「天ぷら」を原文のまま掲載する。

天ぷら 

天ぷらと云ふのは何處の言葉か知らないが、日本語ではないだけは確からしい。伊太利のテンプララの轉訛(てんか)だと云ふことを聞いたが、明治以來の外國語の日本化と違って、德川期以前のものだらう。伊太利には日本の天ぷらと同じ料理がある。私は嘗てローマで、小さな蛸の天ぷらを食べたことがあるから、伊太利が天ぷらの本家かも知れない。外國の料理と較べて、元來日本の料理は簡單であるが、その中でも簡單な天ぷらは、都會農村何れにも向く大衆料理である。日本人の副食物としては油の補給が出來るから、榮養の方面より見ても、もっと廣くて廉く普及させる必要がある。天ぷら程日本の料理で、値段の高いものから安いものまで、幾通りもある料理は少からう。値段の高下はたねと油によるのであって、料理は簡單のやうに見えても、天ぷらを揚げるこつと、たねと油とを選擇する腕は又別だ。

 天ぷらの好きな人は、大凡先づ海老を註文する、海老は天ぷらの王と云はれてゐるが、なかには、ぎんぽうが王だ、はしらのかき揚げが良いと云ふ江戸ッ子もゐる。いや飯のおかずにはあなぐぉ入れて呉れと、油の蒸氣を浴びながら、鍋のすぐ前に腰掛けて、親方の長い箸が、自分の處へ配って來るのを、茶碗と箸を持って待ってゐるのも樂しみのひとつだらう。

 天ぷらの海老位、ぴんからきり迄あるものは先づあるまい。最上のものは生きてゐるのを、親方が兩手で剝いて尾の先だけ皮を残して、衣をつけると、すぐ丁度好い煮え加減の油の中へ入れるのであるが、この海老の大きさは、大き過ぎる程旨くない。さらばと云って小さ過ぎては、かき揚の種にするより外はない。頃合の處は、揚げて眞紅になった尾の先が食べられる位の大きさが良いのではないか。海老の好きな人は尾を残さないからである。こんな海老は江戸前の、捲きと呼ばれる捲き船の漁獲した海老で、大きさは普通の魚屋の店頭にある車海老よりは遙かに小さい。捲き船と云ふのは、普通の日本流の四角な帆を、帆柱一杯に蟬のもと迄捲き上げて、普通の船のやうに舳が先に進むのではなくて、眞横に舳と艫と後先なく進むのである。帆柱は船の眞中にあって風を孕むから、船は横に倒れさうになりながら、舳と艫から綱で引かれた底網を曳きつつ、静かに波の上を滑って行くのである。漁場と目指した處を曳き終ると網を手繰って獲物を取り上げては、又次の場處を曳きに行く。此網へ入る海老が捲きである。同時に江戸前の旨い蟹も獲れるから、品川沖へ海釣りに出た歸りに、捲き船の上って來るのを待ち合せて、捲きを賣って呉れない時は、蟹を買って歸ることも度々あった。魚が釣れなくても旨い蟹が買へればそれで満足したものだ。

 捲き船が品川沖で、捲きを獲るのはこんな風だから、風が凪いだら全く不漁だし、風があり過ぎると、いくら帆を半分に捲いても、船は横走りだから波をかぶって網が曳けない。動力を持つ漁船だったら、どんあことでも出來るだらうが、風を賴りにする舟では捲き船の漁は日なみに支配されて、餘計には獲れない。それが、天ぷらの捲きを高價にするのである。この海老許りは天氣好くても、手頃な風が吹かなければ生きたのが天ぷら屋には入らない。本當の捲きの天ぷらを喰はうなぞとは、今日贅澤すぎるが、なによりも運が良くなければ駄目だ。近來は千葉縣下で外の漁法で獲ったのが、東京へ入るやうになったから、それ程でもあるまいが、何處のでも冷凍したのを水に漬けて戻したのでは、海老の身が白くなってゐて味が落ちる。新鮮な海老の身は、よくかへった葛ねりのやうに殆透明なのが旨い。車海老や伊勢海老は他の料理にすると良いが、天ぷらにしては捲きの敵はない。

 併し天ぷらにしては海老に及ぶものはない。乾海老でも上手にもどすと、値段の割に旨い處が特徴だ。支那料理の海老を支那式に揚げた天ぷらは、多くは乾海老を戻したのだが、殆んど判らない位によく戻してある。日本でも天ぷら蕎麥(そば)の海老は、乾海老が使はれてゐて仲々旨く戻したのがる。まづいのは海老を大きく見せやうとして衣を馬鹿に厚く廣くする事だ。乾海老なら保存が出來るから、海老の獲れる海岸なら邊鄙(へんぴ)な土地でも、乾海老を盛にし大衆的な天ぷらの種にしたい。それには先づ天ぷらの油が十分良く無ければいけない。てんぷらと云へば胡痲の油をすぐ思ひ浮べるが、この際胡痲、菜種や豆のために、畑を潰すのは成るべく避けて、他の油を見つけたい。旨い天ぷら油はどんなものが使はれてゐるか、どうもこれは餘り公にされてゐないやうだ。(かや)の實の油と、胡麻油とを混ぜたのが良いとか、胡痲も白胡痲がよいとか、色々あるやうだ。何れにしても、どの油でも一味は良くなり。混ぜ合せに秘傳があったり好みがあったりするやうだ。

 落花生の油で揚げた天ぷらも香がなくて良いが、喰べた後で口の中に油が凝固する気持ちが良くない。綿の實の油の天ぷらも輕いが、南鮮邊でないと出來ないし、満洲から豆が入らないから、豆油を使ふ譯にも行かない。椿の油は良いが量が十分に無い。動物性の油は臭みが少なくて、フライやカツレツには良いが、どうも天ぷらには旨く調和しない。天ぷらには植物性の油が適するやうだ。近來糠の油一味で天ぷらを揚げて見たら、これは仲々旨かった。天ぷら許りではない、これなら日本人の食用油の一として、今後大いに推奬(すいしょう)すべきものだと考へた。

 朝鮮では日本人の經營であるが、木浦(もっぽ)綿實油(めんじつゆ)を採取して米國へ輸出してゐるのがあった。精米事業の傍ら糠から糠油を搾って、これ又米國へ輸出してゐた。反って内地では米糠の油を搾ってゐる處は少いから、今はまだ量が十分にない。糠はそのまま家畜の餌料にしたり糠味噌その他に使はれてゐる。併し餌料にもその他大凡の場合に、油の無い方が有効だと云はれてゐる。鶏の産卵なぞは、糠を多量にやると油のために産卵が減って來るとの話だ。糠をそのまま肥料にしてもその中の油だけは一向肥効が無いと云ふから、油を搾るだけの手數で今後吾々は食料油の相當量が得られるのである。

 朝鮮で輸出の糠油を搾った人の話では、一石の玄米から一斗の糠、一斗の糠から一升乃至一升二合の油が採れるとの事だ。併しそれは糠を百度近く熱して高い壓力(あつりょく)で搾らなければならない。糠を永く搾らずに置くと、油の出方が惡いから、精米をやる傍ですぐ搾る必要がある。小さい精米所なら壓力は高くでも小さい壓搾機(あっさくき)で濟むから、町工場でも圖面さへあれば器械はできる。これを全國に普及させたら、天ぷらの油には事を()かない譯だが、萬一餘ればこの油を石鹼の原料にすると、海水でも泡の立つシャボンが出來るから心配はいらない。

 天ぷらの衣は小麥粉を水でとくが、贅澤なのはそれに卵を交ぜて金ぷらなぞと云ってゐる。それよりは衣の厚みと揚り加減の方が味覺に大きな關係がある。一疋揚げの衣は薄くなると齒當りが堅くて良くないが、餘り厚過ぎても中の種の味を損ねる。かき揚げの場合なdぞは下手な人が厚くつけ過ぎて、外は丁度良く揚ってゐても中から白い生煮えの汁が出る位だと、種も生々しく旨くない。又反對にばか貝の柱のかき揚げに衣が薄くて、揚げ過ぎると柱迄が狐色に焦げて、旨味も何もなくなってしまふ。油の煮え加減を見るのは餘程むづかしいと見えて、熟練の揚げ手でも時々箸の先から、といた衣の雫を落して見て、油の温度を測ってゐる。一體にかき揚げの方が油の熱が高いのではないだらうか。江戸前の芝海老や柱のかき揚げの持つ落ちついた味は上方にいくつ天ぷら屋が出來ても、容易には(あじわ)へまい。

 上方と云へば、上方の天ぷらは鹽で喰べるが、東京は醤油を主としたつゆに大根おろしと極ってゐるやうだ。鹽も良いと思ふが衣へついた油が醬油と口の中で溶ける味は又別の味覺である。このだしは甘過ぎると天ぷらの旨さを落すし無論辛過ぎても旨くないむづかしい處だ。少し酢を入れたものもあるやうだが、上方で東京風と云って出すつゆは槪して甘過ぎるから鹽を入れて加減すると旨い味になる。大きすぎる海老が何故天ぷらに向かないわけは、一つには天ぷらの衣とつゆとに關係があると思ふ。大きな海老だと餘程衣を厚くしないと、つゆの味とが溶け合って身に及ばないからであらう。一度揚げたものを煮る場合は、中身は厚くても味が徹るから、衣が厚すぎても、中身が大きくても差支へない。かき揚げが飯に向くのは此處からではあるまいか。勿論捲きや芝海老が伊勢海老より旨いのを、衣のためだと云ふのではない。

 次回は、その六「鮪のとろ」を掲載する。
 Best regards


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