柏崎・長岡(旧柏崎県)発、
歴史・文化・人物史
「流行」の続きを書こう。 チェンバレンは、『日本事物誌』に日本の「流行(Fashonable Crazes)」について書いている。 「Craze」の意味から考えると、むしろ「流行熱」とでも訳す方がよいのかもしれない。 そこで、彼は、冒頭に「日本人は長い間動かずにじっと立っていたから、時間の損失を埋め合わせるために、今や急いで何度も動かなければならない。 数年毎に新しい流行が起こり、国民は―少なくとも国民のうちで東京に住んでいる人々は―一季節(シーズン)の間は夢中になる」と評している。
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梶谷恭巨
チェンバレン(Basil Hall Chanerlain)は、1850年(嘉永3年)10月18日、英国サウスシー(ポーツマス)に生まれた。 英国海軍提督(中将)の父・ウィリアム・チャールス、低地スコットランドの旧家ホール家出身の母・エライザ・ジェーンの長男として生まれた。 8歳の時、母を失うのだが、チェンバレンの語学的才能は、この母から受け継がれたようだ。 というのも、当時としては、(恐らく)先進的な考え方だと思うのだが、何とこの母は、産まれてくる子供の為に、ギリシャ語とラテン語を学んだのだ。 今でいう胎教である。 以下、『日本事物誌』の翻訳者・高梨健吉氏の解説から抜粋してみよう。
チェンバレン家は、英国の名門で、祖父・Sr.ヘンリー・オーランドー・チェンバレンは外交官であり、ポルトガル王の一族がフランス軍(ナポレオン)からブラジルに亡命していた頃、リオデジャネイロに駐在していた。 また、母方の祖父・Cpt.バジル・ホールは、1816年、軍艦ライラ号の艦長として、琉球や朝鮮沿岸を調査し、帰途、セント・ヘレナのナポレオンを訪問し、『琉球紀行(Account of a Voyage of Discovery to the West Coast of Corea, etc., 1818)』を著している。
母の死後、チェンバレンは、弟二人とフランスのベルサイユに居た祖母に育てられた。 因みに、次弟・フーストンは、後に哲学者として知られ、楽聖・ワーグナーの娘と結婚し、ドイツに帰化した。 彼の著書『十九世紀の基礎』(1899)は、ローゼンベルクやナチの民族思想の根拠となり、反ユダヤ主義の理論として使われた。 台頭前のヒトラーとも親交があったといわれる。
こうした環境の中に育ったチェンバレンは、後に(1892年2月1日、東京)、ラフカディオ・ハーンに宛てて次のように書いている。
「この国はあまりにも狂信的な愛国主義があるように思われます。 しかし、打ち明けて言えば、愛国主義は、どこの国であろうと私の気持ちにはまったく合わない、嫌いなものです。 というのは、私は生まれつき世界主義者(コスモポリタン)で、二歳半のときから旅行や外国語の勉強を始めたからです。 今ではどこの国に住んでも、自分の家にいるような気楽さは感じませんが、どこにいても面白く楽しんでいるお客さまなのです」と。
『日本事物誌』を読むと、今に通じる日本観あるいは日本人観が散見される。 言い換えれば、今の日本人にも見られる性行が展開されているのである。 この観察力あるいは洞察力は、天性の才能と生まれ育った環境から形成されたものではないだろうか。
『日本事物誌』は、著者自身がいうように、思いついたままに事項にまとめ、アルファベット順に書かれているが、百科事典のようなものではなく、また随筆でもなく、当に表題をつけるのに苦心したという「Things Japanese, Notes on various subjects conectted with Japan, For the use of travellers, (Sixth Edition Revisioned, London & Japan, 1939)」なのである。
『日本事物誌』は、1890年に初版が刊行されている。 明治6年(1873)5月9日に来日し、翌年9月1日より海軍兵学寮の英語教師となり、東京帝国大学英語教師、明治24年には、外国人として初めての名誉教師となった。 こうした背景からも、初版から第6版までの40年間、近代日本の誕生から第二次世界大戦への序奏期を、当に「お客様」の眼で見聞し、事実関係を検証しながら書かれた『日本事物誌』は、単に史料としてではなく、今の日本人が読むべき歴史書の一つとして推奨できる一冊と考えるのである。
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梶谷恭巨
第二冊までが終了した。 ここまでのの結果を降順に並べると、下記の通りである。 今回、特に注目を引くのが、北陸地方の各県出身者だ。 前回も書いたが、この『北海道立志編』が、主に商工業者うを中心に採り上げている様子が見えることから、矢張り、北前貿易に関係あるのではないかという推測である。 また、このことは、新潟県についても言えるようで、家業として廻船を営んでいた家の子弟、特に次三男に渡道者が多く、地縁・血縁を頼った形跡も見受けられる。 詳しくは、人物別に紹介する予定だが、出身地を確認しながら拾い読みしていくと、当に立志伝中の人というべき人物が多いことが判る。 新潟県: 87名
北海道: 78名
石川県: 52名
青森県: 40名
秋田県: 35名
岩手県: 31名
宮城県: 25名
福井県: 20名
東京都: 17名
山形県: 16名
滋賀県: 16名
福島県: 15名
富山県: 11名
以下、まとめると
9名: 茨城県、千葉県、徳島県
8名: 長野県、三重県
7名: 兵庫県、広島県
6名: 京都府、鹿児島県
5名: 大阪府、愛媛県、福岡県
4名: 栃木県、静岡県、和歌山県
3名: 岐阜県、愛知県、鳥取県、長崎県
2名: 群馬県、神奈川県、山梨県、奈良県、香川県
1名: 島根県、岡山県、高知県、佐賀県、大分県
今のところ、出身者が居ないのは、
埼玉県、熊本県、宮崎県、沖縄県の4県である。
以上、第二冊までの累計である。 参考までに。
『北海道立志編』県別出身者
Best redards 『北海道立志編』の第一冊第一および第二編までの都道府県別出身者数。 その覚書的中間報告である。 因みに、第一冊は、序文他、肖像写真および広告など含め約500ページ(本文の最終ページは、426ページ)である。 第一冊第一編および第二編までの数値を見ると、矢張り、北海道、東北6県および新潟県が多いことが判る。 また、宮城県および福島県に関しては、旧仙台藩と旧会津藩の関係者が多かった。 特に、仙台藩に関しては、藩公あるいはその一族が、北海道開拓に尽力していることに関係すると思われる。 また、新潟県の内の佐渡出身者と石川県出身者が多いのは北前貿易に関係した人が多かったことに関係すると思われる。 以下、出身者の多い順に紹介する。 (尚、エクセルの図表を貼り付けることができればよいのだが、容量の関係で難しい。)
以上、246名が、第一冊に掲載されている。 以上のことからも判るように、新潟県出身者が如何に多いかが判る。 しかも、北海道出身者中、例えば、江差は、柏崎の出身者が作った町と言われるくらいであるか、親の代で、渡道したと思われる人を加えると、圧倒的な多さである。 ただし、第一編中であるが。
さて、そこで新潟県出身者を見てみると、次のようになる。
◎越後の人のみで出生地不詳 ○五泉町: 伊藤源三郎
○庄瀬村: 川又健一郎 ○新津町: 佐藤弘輔 ◎南蒲原郡 (6名) ○三條町(現・三条市): 今井藤七、今井武七、今井良七の「丸井今井」の三兄弟(独立した項目として掲載されていないが、藤七の兄・栄七の名が、藤七紹介文中に出てくる。)、星野十九七 ○加茂町: 高橋儀平 ○大島新田: 佐藤嘉一郎 ○下条村: 諸橋亀吉 ◎西蒲原郡 (2名) ○潟南村: 五十嵐與六 ○木滑村: 大橋仁吉 ◎三島郡 (1名) ○稲荷町: 加藤忠五郎 ◎刈羽郡 (2名) ○石地: 細山喜三松、高橋直治(北海道選出初代・衆議院議員) ◎古志郡 (1名) ○長岡町: 柳町静一郎 ◎北魚沼郡 (1名) ○小千谷: 山本平吉 ◎中頚城郡 (2名) ○直江津: 早川善太郎 ○高田町: 奥角知現 ◎佐渡 (13名) ○相川村: 藤沢勇蔵、島倉久次郎 ○河原田: 本間泰蔵 ○真野村: 亀尾紋蔵、計良甚四郎 ○小倉村: 加藤豊章 ○新 町: 倉内仁吉 ○川崎村: 山口三次郎 ○松ヶ崎: 青木順五郎 ○住所地不詳: 本間幸太郎、本間玄契、加藤多一郎、有田法宗(僧侶) 以上、40人中、佐渡出身者が圧倒的に多いことが判る。 個々人の詳細は、別に書くとして、時代背景と『北海道立志編』の性格によるものと思われるが、特に商業を中心とした立志伝中の人が多い。 また、ざっと見た限り、当時の知識人とか郷紳の考えてして、紳士録などに名前を連ねることを好としなかったのではないだろうか。 例えば、関矢孫左衛門や岡田孤鹿の名を見ないのである。 また、県別の分布として、戊辰戦争の影響があるように思える。 ただ、全4冊中、未だ第一冊であるので、今後の集計によっては、出身地別分布は大きく変わるかもしれない。 因みに、第二冊では、北陸出身者が多くなる傾向があるようだ。 ●広島県出身者 ◎沼田郡(広島市) ○段原村: 和田郁次郎(現在の北広島市、広島村の創設者) ○観音村: 佐伯久吉(渡道後、和田郁次郎に相談し、音江別を開墾した。 私事だが、私の卒業した県立観音高校の名の由来地である。) ◎豊田郡 ○御手洗: 若桑久吉(これも私事だが、私の主治医と同姓である。 珍しい苗字なので何か関係があるのかもしれない。) 尚、独断だが、個別に紹介するのは、新潟県、自分の出身地である広島県、同関係の深い福岡県を予定している。
ところで、このブログ・ツールは使い難い。 始めから使っているので変える気はないのだが、向上を期待したい。
Best regards 梶谷恭巨
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