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柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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『歯科医事衛生史』前巻の第一遍「外人歯科医」から始める。 

 本文の前に。読んで判ったのだが、写真にもある様に、シーボルトが歯科医学を我国に紹介した嚆矢(最初の人)である可能性がある。実に興味深い。また、維新以前の歯科医師が、写真の説明文にある様に、全く社会的地位が無かった事には、予想はしていても驚く事だ。外国人歯科医が、当初、我国に定住しなかった理由かもしれない。

 また、東京帝国大学に歯科が新設されたのは、明治30年(1897)頃であったようで、この時、耳鼻咽喉科と整形外科も新設されて居る様だ。読み進める中に、この辺りの事情が明らかになるのではないかと思うのだが、その後の医学史を考える場合、実に興味深い事実である。 

歯科医事衛生史』(前巻)

【緒言】

  我国に泰西歯科学が渡来した経路を按ずるに、

第一、   支那を介して漢学によって東漸したもの。

第二、   外国人、殊に葡萄牙人和蘭人等によって、所謂南蛮医学或は蘭医学の一科として東漸したもの。

第三、   外国人歯科医によって、直接本邦に紹介されたもの。

第四、   外国に在った日本人が、歯科医術を修得帰国して本邦に紹介したもの。

の四つを考えることが出来る。

 第一の支那を介して東漸せし事実に就ては、支那の口科書の発達によって之を説明し得ると同時に、本邦ぬも早くから之が輸入され口科医に伝えられたことは想像される。

 第二の外国人医師によって医科の常識が紹介され、殊にシーボルトの如き外科に長じたものは外科的歯科処置をよくした。在来の口科医が、是等の洋方医術によって蒙を啓かれた点は相当に多い。

 第三の外国人歯科医から直接紹介された点は最も大なるものであって、記録によれば万延元年(1860W.C.イーストレーキが横浜に来たのを以て嚆矢とする。次で、レスノー、ウィン、アートラック、エリオット、パーキンス、アレキサンドル、ギュリッキ等が記録に見える。

 レスノーに関しては、慶應二年五月七日、同月二十七日及び八月二十五日の三回「海外新聞」に次の広告を見る、蓋し本邦に於ける泰西歯科医の広告としての嚆矢であろう。

 

(註1)泰西:    西洋の事。

(註2)葡萄牙人:ポルトガル人

(註3)和蘭人:  オランダ人

(註4)南蛮医学:西洋医学(洋学)

(註5)蘭医学:  オランダ医学(蘭学)

(註6)東漸:    だんだんと東洋に拡がる

(註7)支那:    チャイナの漢訳語

(註8)口科書:「口科」は、口腔外科の事と思われる。ただし、この辺りは専門の分野になるので、取りあえず措く。

(註9)(外人歯科医):各外人歯科医に関しては、それぞれの項を参照。

(註10)海外新聞:ジョセフ・ヒコ(濱田彦藏)の『海外新聞』は、岸田吟香の援助で、元治元年(1864)に発刊された。浜田彦蔵は、幼名を彦太郎、通称を「アメ彦」と言われた。天保8821日(1837920日) - 明治30年(1897年)1212日)尚、当時の新聞広告に関しては、次の文献に詳しいので紹介する。

 http://www.yhmf.jp/pdf/activity/adstudies/vol_09_01_02.pdf

 (写真及び解説)

 
(本品は西暦1823年(文政6年)8月、シーボルト(独人)が持って来た愛用の抜歯器である。これがシーボルトの愛児に残され今は長崎図書館に珍蔵されている。) 

 是等の外国人歯科医中、アレキサンドルが一人仏国であるのみで、他は何れも米国人である。日米通商条約締結後、イーストレーキ先ず神奈川に来たが、歯科を永く開業するに至らず香港に再航した。ヘンリー・ウィンも亦日本に業を開かず、香港に行って開業し、後年、横浜に出張所を出し毎年来港した。兎も角、明治前は横浜も未だ外国人歯科医の永続的開業を許す程度には開化していなかったのであるから、恐らく数ヶ月の出張的開業を以て事足りたもののようである。

 (写真及び説明文)

W.C.イーストレーキの蔵した日本風俗写真帳に当時の横浜街頭の歯科医の写真を揚げ、次の英の説明が附されている。)

英文の大意(拙訳、ご容赦)

旅する歯科医

 この愛すべき人物は、立派なあごひげを愛でる数少ない日本人の一人だが、横浜では知らぬ人の無い人で、歯科医を兼ねた足専門医としての治療は、外国人の間でも著名である。

 当時の歯科医は、大道芸人や占い師と同様で、様々な治療薬をお守りと同じように売ったり、抜歯や魚の目の切除の仕事が無ければ、刀の飲み込んだり、詐欺師紛いのトリックで子供相手に身をやつし、日々を送っている。使用する歯科器具はと言えば、原始的な代物で、苦痛の高にに見合う程度のもので、まあ料金もその程度だ。

  又これ等の外国人歯科医の日本へ渡来せし動機は全く不詳であるが、エリオットの如きは支那が有望なるを知り支那に於て開業の考えなりしを、横浜の同胞が引留め開業せしめたという。ウィンは伯父の宣教師S.R.ブラオン(ブラウン)博士が横浜に居たためだし、ギュリッキは父母に兄二人姉一人が神戸に居たのだから、之等の在留同胞の誘致が来航の動機となりしは想像される。

 次にW.C.イーストレーキ、ヘンリー・ウィン、セントジョージ・エリオット、ハラック・マンソン・パーキンス、ペー・アレキサンドル、ギュリッキ等、稍々判然としている外人歯科医の小伝を揚げることにする。

 (註11S.R.ブラウン:  詳細に関しては、ウィキペディアを参照。

 以上、「緒言」

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