柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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『くぢらなみ』(9)の続き。

(3)「元暦元年十二月廿六日」の段に、→ 第二冊169頁5行目

 

 廿六日 辛巳(かのとみ) 佐々木三郎盛綱、自馬渡備前国兒嶋、

 (二十六日辛巳(かのとみ) 佐々木の三郎盛綱、馬より備前の国児島(こじま)を渡し、)

追伐左馬頭平行盛朝臣事。

()()(かみ)行盛朝臣(あそん)を追伐する事。)

今日以御書蒙御感之仰。其詞曰、

(今日、御書(ごしょ)をもって御感(ぎょかん)(おお)(こうむ)る。その(ことば)(いわ)、)

 自昔雖有渡河水之類、未聞以馬凌海浪之例、

  (昔より、河水(かすい)を渡すの(たぐい)有りといえども、未だ馬を以て海浪(かいろう)(しの)ぐの例を聞かず、)

盛綱振舞、希代勝事也、云々。

(盛綱が振る舞い、希代(きだい)勝事(しょうじ)なっり、うんぬん。)

 

(4)「元暦二年六月廿五日」の段に、→ 第三冊80頁6行目

 

 廿五日 丙子(ひのえね) 佐々木三郎盛経者、平家在世之程者、

(二十五日丙子(ひのえね) 佐々木三郎(もり)(つね)は、平家在世(ざいせ)()は、)

奉背源家、於事現不忠、而彼氏族城外之後、

 源家(げんけ)(そむ)(たてまつ)り、事に()て不忠を(あら)わす、しかるに()氏族(しぞく)(きがい)(のち)、)

奉追従、遂去年一谷戦、子息俊経討取越前三位通盛、訖。

追従(ついじゅう)(たてまつ)り、去年(きょねん)一ノ谷の合戦を()げ、、子息(とし)(つね)、越前の三位(さんみ)通盛を討ち取り、おわしむ。)

仍雖望其賞、令悪先非給之間、敢無御許容之處、

(よって、その賞を望むといえども先非(せんぴ)をにくましめ給うの間、あえて御許容(ごきょよう)無きの処、)

属侍従公佐朝臣、頻依愁申之、募子息之功、

侍従(じじゅう)公佐(きんさ)朝臣(あそん)(ぞく)し、(しき)これを(うれ)(もう)すによって、子息の功に(つの)り、)

本知行所者可被沙汰付之申、有御契約、云々。

(本知行所(ちぎょうしょ)は、沙汰(さた)に付けらるべきの(よし)御契約(ごけいやく)有りと、うんぬん。)

 

 今回は、ここまで。

 

Best regards


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