柏崎・長岡(旧柏崎県)発、
歴史・文化・人物史
承前 今回で「料理通と榮養料理」完結。 すき燒にして一番旨い霜降りと俗に云ふ處は、一頭の牛からいくらも取れないやうだ。いやそれ計りではない、すき燒に使ふ肉全體が、さう澤山取れるものではない。残りの部分は、それぞれ場處に應じて、料理の仕方が違ふが、さうなると日本の料理人は、牛一頭を十分こなしきるだけの腕がない。旨くて而も榮養價の高い處が捨てられゐる。吾々が喰べ馴れないための無駄である。そこへ行くと朝鮮人は、昔から豚予知も卯牛肉が好きだから、牛の臓物でも、頭でも、目玉でも、料理して一流の腸炎料理屋で出す。戰前東京の芝浦の屠殺場で臓物は朝鮮人が喜んで買って行ったと云ふことだ。事實吾々が好いと云ふ處の肉より、臓物の方が旨いのを、日本人は喰べないと云ふだけで嫌ってゐるのである。そこにも大きな榮養の無駄がある。 考へて見ると榮養料理と云ふものには二種類あると思ふ。吾々の食用としてゐる普通の野菜とか肉魚とかの名を擧げて、これには何程のカロリーがあるとか榮養價が何程だとかを明かにして、それ等を取り合せて料理して、適當の榮養料理を指導するのが従來行はれたものである。今迄吾々は普通口にしてゐながら鯛にはどれだけ鰯にはどれだけの榮養價があるじゃ、牛肉と鳥肉との榮養差も知らずに喰べてゐるのを、この種の榮養料理によって、始めて敎へられる處が多い。米の中の蛋白は、同じ目方の豆に比べてどれだけ少ないか、澱粉はどうだ等のことが判るのである。玄米と白米との榮養價の差も、榮養学によって明かにされる。併しそれはその食べものが持ってゐると云ふだけで、吾々が喰べてどれだけ消化され吸収されるかには觸れてゐない。味が惡ければ消化も惡い、榮養價のあるものも全部吸収されずにしまふから、ここに調味法の重要性が出て來て、それが榮養料理と名附けられるのである。 榮養料理の尚他の一つは、吾々の普通喰べてゐないもの、喰べ馴れないもので、カロリーも多い、榮養價も十分あるものを、旨く喰べ得られるやうに料理する種類の榮養料理である。食べる方法、手段、料理法等を知らないために、屑として捨てられたもの、肥料にしたもの、或は野山で空しく毎年朽ち果てたもの、等を如何に旨く料理して國民の食糧になるかを研究するのが、今日料理學の持つ大きな役目ではないだらうか。いかもの喰ひだ、物好きだとして顧みられなかった人達は、今日こそ自己の經驗と味覺、趣味、とを以て調理學に貢獻する秋ではあるまいか。美食家と一口に言って仕舞へば如何にも贅澤に聞えるし、又ローマの昔に、孔雀の舌計りの料理を喜んだなぞと云ふことは、美食家のする仕事のやうに思はれるが、利用されずにゐるものを、旨く料理することは美食家や食道樂家の舌の批評に俟つのがよいのではなからうか。玄米食も宜しい、代用食も結構だ、粉食も大いに奬勵すべきだが、その中にあるカロリーだけの計算で終ったのでは、科學的とは云へない。無論カロリーの測定は科學の指示によるのであるけれども、計算だけしたのは、科學の一部で全部ではない。ほんの上部だけの紙の上の話である。科學のいろはだ。今日の科學はそんな淺薄なものではなくて、それだけのカロリーが實際にどれだけが人體に吸収され、どれだけ無駄になるか、その利用率迄つき進まなければ科學的とは謂へないのだ。更に進んで、食物の中にどれだけの榮養素としてのヴィタミンが破壊されずに人體に入るか迄を、科學は突きとめて呉れるから、今日調理學は科學と離れて一人歩きは出来ないのである。 Best regards |
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プロフィール
年齢:
77
性別:
男性
誕生日:
1947/05/18
職業:
よろず相談家業
趣味:
歴史研究、読書
自己紹介:
柏崎マイコンクラブ顧問
河井継之助記念館友の会会員
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